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「行き詰まったな、気分転換に出かけるか」
この青年はいちいち独り言を大きな声で言う。
原稿用紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ入れ、彼は財布だけを持って家を出た。
筆が進まない時は外の空気を吸うのが良い。
新鮮な風を取り込んで熱くなった頭を少し冷やせば、思いもよらないアイデアが湧いてくることがある。
……というのはもう何十年も前のことだ。
昔なら季節ごとに移り変わる風景を眺めれば心は穏やかになり、文筆家であれば新しい表現が、音楽家であれば未知の旋律が、写真家であればフレームに収めたい雄大な自然の美が簡単に手に入った。
今はといえば右を見ても左を見ても、上や下でさえ人工物ばかりが目につく。
白っぽく舗装された通りを挟むのは、昼夜を問わず輝く電飾。
先進的なデザインの高層ビル、縦横を駆け抜ける車と途切れることのない人の足。
それらがどこに立っていても数メートル先にはあるのだから、落ち着けるハズがない。
もはや自然と呼べるものは空くらいしかない。
それさえも見方によっては構築物というフレームに収まってしまう。
「喉が渇いたな……」
呟いてから彼はしまったと思った。
途端に近くにあった自販機からアラーム音が鳴る。
青年は舌打ちしてそれに近づいた。
『体内の水分が減少しています。また骨格に微細な異常が見られます。これをお飲みください』
自販機前面のカメラが青年を認識し、即座に彼の健康状態を分析する。
得られたデータから今の彼に最適な飲み物を選定し、提供してくれる。
しかしこの自販機が出す飲み物は、たいてい油っぽくて味気のない液体ばかりだった。
「ったく、頼んでもいないっていうのに」
彼はまた人工知能が嫌いになった。
世の中のほとんどのものが機械化され、それらがロボットと呼ばれるようになり、そこに人工知能が付け加わると彼らはやたらと世話を焼き出すようになった。
今のように健康状態を読み取って勝手に飲み物を出す自販機もあれば、退屈している人になかば無理やり映画を見せてくる施設もある。
寝不足の人がいれば誘眠作用のある香りを飛ばす寝具などもある。
これらは便利さを求めた人間が安全かつ快適に暮らすために生み出したものであるが、過剰なサービス精神を盛り込んだために今の人々はかえって窮屈な生活を送っている。
押しつけられた親切心のお陰で彼らは無駄に健康で、無意味に長生きする。
ありがたいハズなのだが青年はこれに反発している。
自由を握られているような気がしてならないのだ。
本来は支配するべき側の人間が、自分たちの作った精巧なおもちゃに踊らされている現実は彼には受け入れ難い。
これが彼の人工知能に対する嫌悪の理由だ。
したがい文章によってその精巧なおもちゃをやり込めてやろう、という想いもごく自然に発生する。
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