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「今に見てろよ」
押しつけられたジュースとサプリメントを流し込み、青年は行きつけの喫茶店に向かう。
大通りから二区画ほど離れたところに、今にしては珍しく手書きの看板が掲げられた店がある。
木造の店舗は世間からは化石も同然だと笑いの種にされるが、彼のように現代の生活に馴染めない者にとっては数少ない気の休まる場所だ。
「いらっしゃいな。お、兄さん、久しぶりじゃねえか」
「ご無沙汰です。ちょっと立て込んでて……」
青年の顔を見るや店主が気さくに声をかけてくる。
この恰幅の良い男は間違っても、「21日と3時間47分ぶりですね」などとは言わない。
「どうだい、執筆活動は進んでるかい?」
「まあまあですね。ネタはあるんですが筆の進みがいまいちで」
「はは、何かを作るってのはそういうもんさ。何をするにもエネルギーがいるからな。波があるのは自然なことだよ」
「締切が近いんで波があるのは困るんですけどね。あ、アルコールの入ってないやつをお願いします」
「はいよ、脳が活性化する成分が入ったフルーツジュースを作ってやろう」
店内には数名の客がいる。
新聞を広げる者、談話に花を咲かせる者、ただ黙々と料理を口に運んでいる者など様々だ。
それ自体はよくある光景だが、青年には彼らがこの空間で過ごすひと時を心から楽しんでいるように見えた。
誰に追い立てられることもなく、何にも行動を強制されることもなく、人々は自分の意思でここに来て、飲み食いし、談話する。
こういう自由な環境の中でこそ自由な発想が生まれるのだ、と彼は思っている。
「兄さん、この間の試合観たかい?」
フルーツを刻みながら店主が言った。
「ほら、この間のロボファイトだよ。優勝した西雪之丞工科大学ってさ、実は俺の出身校なんだ」
「へ、へえ、そうなんですか」
曖昧に頷いてから青年は数週間前にテレビで観たのを思い出した。
関連の研究所や大学がロボット技術を競い合うコンテストで、今年で開催20回目となる。
競技内容は障害物走、10個のブロックを指定の位置に運び切るまでのタイムを争うなどいくつかあるが、一番の見ものは総合格闘技さながらに戦うロボファイトだ。
飛び道具が禁止されている以外は自由なスタイルで戦うこの競技、当初はコンテストの一種目でしかなかったが今では競馬や競輪に並ぶギャンブルとして世間に浸透している。
生身の人間が殴り合えば怪我もするし、感情が昂ればゲームとして成立しない場合も出てくる。
その点ロボットは相手の反則技にも腹を立てないし、そもそもルール違反を犯さない。
つまり審判の不公平な裁定が入り込む余地もないため、この公正平等なところが人気の秘密だといわれる。
「刺激されたってわけじゃないけどさ、俺もちょっとこんなものを作ってみたんだよ」
店主は特製ジュースをテーブルではなく、腰の辺りの高さにある台に置いた。
すると奥からぎこちない足取りで女の子がやって来てジュースを手に取り、青年の元へと運んだ。
「おまたせしました、どうぞ」
起伏のある無機質な声が口の部分から発せられ、彼は思わずのけぞった。
間近で見るとシリコンで覆われた顔が動くのは不気味だ。
中途半端に人間味を持たせたせいで、ホラー映画にでも出てきそうな佇まいだ。
それが自分たちと同じ人間のふりをするのだから、青年が快く思うハズがない。
「あのマスター、これは?」
「俺の手作りさ。部品なんてそこらの電器屋を巡ればいくらでも手に入るからな。ちょっと前から店に立たせてるんだ」
「はあ…………」
困惑する青年をよそに店主は上機嫌で言った。
「今はまだ料理を運ぶくらいしかできないが、もうちょっと予算をかければいいのができるんだがね」
「へえ、個人でできるものなんですか?」
青年は精一杯の愛想笑いを浮かべて訊ねた。
「単純な構造ならね。ある程度なら自分で考えさせることもできるんだ。ほら」
店主は手が当たったように装ってテーブルのおしぼりを落とした。
人形はそれに数秒遅れて気付き、緩慢な動作で拾い上げた。
「落ちているものは拾う。俺が教えたわけじゃなくて、こいつが自分で学んだのさ」
店主は得意げに言ったが、青年は不愉快でたまらなかった。
電気信号で動く作りものが、どうせ完璧には真似できないくせに人間を演じる様には嫌悪感しかない。
(学んだ? そんなわけがない。そうなるようにプログラムされているだけだ)
ここ数年のロボットの進化は目覚ましい。
当初はぎこちない動きだったものが、驚くほど精巧な外見と動作を得るようになった。
少し前までは演算装置も非力で計算能力も乏しかったため、労働力というよりも高価なペットとしての需要が多かった。
不器用だが人間に似せて作られたそれらが、却って人間味を出していたためだ。
それとは逆に技術が上がると、人々が求めるのは正確さや汎用性に絞られるようになる。
そうなると必然的に人間らしさや感情表現(の真似ごと)は軽視されるようになり、やがてはロボットというよりはヒトの姿をした機械ばかりが生み出されるようになった。
「なんてことだ……」
彼にとって唯一のオアシスだったここは、もうそうでは無くなってしまった。
良き理解者がいなくなったように感じ、青年はなかば自棄ぎみにジュースを飲み干す。
味など分からない。
喉のあちこちに果肉がぶつかる感覚はあったが、彼が感じたのはただそれだけ。
あとは疎外感や寂寥感といった、本人もいまひとつ自覚できない類のものばかりだ。
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