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「まったく…………」
気を紛らそうと店内を見回し、彼は気付いた。
たとえば奥で新聞を読んでいる男。
彼が持っているのはロボット関連の記事ばかりが並ぶ号外だ。
窓際にいる数名の女は、妙に高い声で人工知能がどうだのと語っている。
ロボットに興味を持つのは男の子だけ、という時代はとうに過ぎ去ってしまったようだ。
カウンターに近い席では黙って食している客がいるが、この人物は店主ご自慢のウェイトレスが料理について説明しているのに熱心に耳を傾けていた。
どいつもこいつも毒されやがって、と青年は内心で悪態をついた。
ここには人間らしい人間がいない。
くだらない機械と戯れ、転がされ、挙句に利用されるような輩ばかりだ。
こうなるとたった今まで何も感じていなかった彼は、途端に強い感情を抱くようにようなる。
世間ではあまり受け入れられない、むしろ忌避される想い。
怒りや憎悪、もっと言えばロボットや人工知能に対する強い敵意だ。
何が何でもあの人形どもをねじ伏せてやろうという闘志が湧いてくる。
もちろん力ずくで根絶やしになどできない。
いまや遍く存在する彼らを一匹残らず消し去るのは不可能だ。
彼の武器は机上にある紙と鉛筆だけだ。
この原始的で文化的な道具で彼らを打倒するのだ。
「ごちそうさまでした。いいアイデアが浮かんだのでこれで失礼しますね」
今は一秒も惜しいと言わんばかりに彼は支払いを済ませ、早々と店を出た。
アイデアが浮かんだ、は口実ではない。
名作の模倣しかできない人工知能に勝つ方法を見つけたのだ。
誰もが思いつかないスリル満点のストーリー。
多すぎず少なすぎない登場人物の、それぞれの思惑が絡む人間模様。
息をつかせぬスピーディな展開は、ついページをめくる手を早めてしまう。
そんな物語を青年はようやく掴んだのだ。
あとはそれを文字に起こすだけだ。
彼はその日から、家にこもりっきりになった。
日が昇っても沈んでも一歩も外に出ようとはせず、ただひたすらに原稿用紙と向き合う。
機械との真剣勝負に彼は没入した。
そのうち妙な使命感や正義感が湧き、この戦いに勝利することが人のあり方、機械の存在価値を世に問うキッカケになるに違いないと思い込むようになる。
表現の幅を広げるために辞書を引き、描写に彩りを添えるために文豪の著書を読む。
彼はテレビもラジオも、インターネットも断ち切った。
得られる情報は多いが、結局は機械の手を借りているのだと思うと癪だった。
だから執筆にもパソコンを使わない。
「今に見ていろ」
誰にも聞かれない呟きを繰り返す。
禿びた鉛筆が転がり、砂粒ほどになった消しゴムが家具の隙間に隠れ、破り捨てられた原稿用紙が堆くなり……。
それはついに完成した。
彼の頭の中にだけあったストーリーが、乱雑な文字の羅列となって表現された。
ずしりと厚みのあるこれは映画にすれば三部作にも及ぶだろう。
また著名な批評家をも唸らせ、これまで活字に触れてこなかった層にも受け容れられるだろう。
彼はそう信じていた。
それだけのものを創り出したという自負がある。
模倣ではない、紛れもなく彼自身にしか誕生させられない傑物だ。
「できた! できたぞ! ざまあみろ!」
彼はもう勝った気でいた。
原稿はまだ手許にある。
これを郵送し、審査を受けなければ結果は分からない。
だが青年は勝利を確信していた。
道を歩いていて頼みもしない健康診断をしてくる自販機、給仕の仕事を代行するロボット、名著をなぞって執筆まがいのことをする人工知能。
それら全てを下した、と彼は思いこんだ。
ロボットはけっして人間を越えることはできない。
青年は前回のコンクールで敗れたが、彼を負かした人工知能に”入賞できるような作品を書け”と命令した人間がいるハズなのだ。
そしてその命令に従って書くことはできたが、ストーリーまでは作り出せないために過去作を丸写ししたに過ぎない。
「あとはこれを送るだけだ。お前たちロボットが緻密で杜撰な機械だってことを証明してやる」
晴れ晴れとした気持ちで彼は郵便局に向かった。
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