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握られた鉛筆はほとんど動かず、たまに原稿用紙の上を滑ったかと思えばすぐにその足跡を消しゴムが消していく。
普段はおしゃべりなこの青年は、頭の中に浮かんだ物語を文字に起こす作業が苦手だった。
ようやく完成した文章もよくよく読めば単語の羅列でしかなかったり、誤字や脱字が多かったりと、とても読めるレベルのものではない。
だが彼はこの作業から逃げようとはしないし、投げ出そうともしなかった。
「もうちょっとなんだけどなあ、ここの場面転換が上手くいかないんだよなあ」
ほぼ五分おきに呟く。
姿勢を変えてみても、ため息をついてみても、執筆は進みそうにない。
「ちょっと休憩するか」
青年は鉛筆を置いてベッドに寝転がった。
この時代にまだ鉛筆や原稿用紙を使うのは彼のプライドによるものだ。
少し前、大手出版社が主催した文芸賞に投稿したのだが青年の作品は二次選考でふるい落とされた。
結果そのものは構成力の甘さや表現の拙さによるものだったが、彼が納得できなかったのは上位入賞者の顔ぶれだ。
おそらくペンネームだろうが投稿者名の後にアルファベットと数字が付記されている。
これは使用されたソフトとヴァージョン情報だ。
数年前から人工知能に小説を書かせ、その出来栄えをテストするためにコンクールに応募する団体が増えてきた。
人工知能とは元々、ロボットが人間の指示を受けずに自発的に考え行動できるように作成されたプログラムだ。
これによって災害時や緊急時等、人間が介入できない状況でも即座に状況を判断し迅速に人命救助が行えると期待されている。
このプログラムに様々な改良を加え、あらゆる局面で活用する研究が進められており、小説を書かせるというのもその一環だった。
青年はこれに負けた。
まだまだ発展の余地がある機械が作った文章に、彼は負けたのだった。
「ロボットを作ったのは人間だ。だから人間より優れたロボットなんて存在しないハズなんだ」
というのが彼の口癖になり、文筆家として成功するよりも人工知能をやっつけるためだけに執筆に耽るのだった。
そのための敵情視察も欠かさない。
暇を見つけては各地の研究室に取材と称して潜りこみ、技術を盗み見る。
この程度の拙い短文しか作れないのか。構文に齟齬がなくなってきた。これは看過できないレベルにまで進歩したぞ。
電磁的な敵の特徴を見抜き、それに負けないアイデアで勝負する。
青年の武器は突飛なストーリー。
常に予想を裏切る展開と衝撃の結末こそが、人工知能に勝る重要な要素だと彼は信じている。
「ここはもう少しひねったほうがいいか……」
熱心な研究の結果、彼はロボットの持つある弱点に気がついた。
それは無から有を作り出す能力が皆無であるということだ。
ためしに過去の入賞作を読んでみたところ、神話やお伽噺の固有名詞を変えただけというものも多い。
彼からすれば何故そのような陳腐な改変をした作品――というよりもはや剽窃に近い――が認められるのかが納得できなかった。
たしかに神話の類は時代を超えて人気がある。
翻訳本や解釈本は途切れることはないし、映画化すれば動員数はトップクラスに入る。
しかしそれらは当然、作る側は土台が何であるかを明示している。
近年の受賞作のように、あたかも自分が一から創り上げたかのような宣伝はしない。
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