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今吐き出しているのは煙草の煙だろうか。
それとも俺のため息なのだろうか。
コートのポケットから手を出すことも憚られる1月の終わり。
「さみぃ」
店前の喫煙スペースでグシャと吸い殻を潰す。
「いらっしゃいませ」
聞き慣れた入店メロディに合わせ、お世辞にもやる気があるとは言えない声が俺を出迎えた。
自宅から徒歩5分圏内の最寄のコンビニ。
(また、あいつか。)
こちらが認識しているくらいだから向こうはとっくに俺のことを認識していることだろう。
金髪、長身、指にはゴツいシルバーの指輪。
深夜のコンビニは人も少なく、明らかに俺は浮いていた。
(ステージでもこんだけ目立てれば違ってたんだろうか。)
ひかり輝くと書いて「光輝」だなんて、親も大層な名前をつけたものである。
俺はベーシストだし、ギタリストほど派手じゃない。
スラップを多用するタイプなら目立ったりもするんだろうが、俺はどちらかといえばシンプルなベースラインが好きだ。
かっこいいと思う楽曲を支える演奏がしたい。
争いが好きなわけでもなければ、5年付き合っている大事な彼女もいる。浮気なんてもってのほかだ。
およそビジュアル系には向いていない。
わかっている。
自分が一番似合わないことはわかっている。
店内は暖房が効いていてぼわんとした暖かさに満ちていた。
壁面にならぶ商品に目を向け、店内を歩きながら俺は今日のことをぼんやりと思い返していた。
*****
「光輝さ、もっとこう、何かないの?お前、なんか地味じゃん。」
ライブが終わり、楽屋で煙草を吸っていた時だ。
最初にそう言ったのは、ボーカルの瑠衣だった。
「何かって、何。プレイの話?見た目の話?」
「全部。つまんねえんだよ。収まるところに収まってますって感じがして。無難っつーかさ。」
缶のハイボールを片手にそんなことを言う。
内心腹が立っていた。
「つまんねぇってなんだよ。」
「まあまあ、ふたりとも喧嘩すんなって。な?落ち着こうぜ?」
「泰正は甘いんだよ光輝に。同じリズム隊だからって肩持ちすぎ。」
「そんなんじゃないって。ほら、ジンちゃん戻ってきたから。」
トイレに行っていた仁は冷静な表情で俺と瑠衣を交互に見る。泰生が穏やかな大型犬ならさしずめ仁は飄々とした野良猫だろう。
「なに、また喧嘩でもしてんの?元気じゃん。」
仁がはっと短く笑うと、瑠衣はあからさまに苛ついた様子で立ち上がる。
ピリついた空気が楽屋を支配した。
「あーもういいわ、俺帰る。」
去り際、瑠衣は俺の方を振り返り、キッと睨んだ。
「光輝、お前今なんのためにバンドやってんの?」
「は?」
「次のスタジオでお前が変わってなかったら、俺もうこのバンド辞めるわ。」
じゃあなと手を振って瑠衣は楽屋を出ていった。
重い空気が流れる。皆気まずさに黙っていた。
「はあ。またこの流れ?お前ら女子かよ。」
仁は一時的にケースに入れていた愛用のギターを取り出すと、クロスで軽く拭きながら大きなため息をついた。
ため息をつきたいのは俺の方だ。
完全にあてつけじゃないか、こんなの。
「瑠衣はさ、光輝に期待してんだよ。信頼してるからあんな言い方してる。」
なんとか場を取り持とうと泰正がフォローを入れるがそれも俺には届かなかった。
「泰正はそう言うけどさ、俺あいつがそんな素振りを見せてるところ一度だって見たことないんだけど。」
「あー…まあ、あいつ不器用だから。そういうの。」
「もういいよ、帰ろ帰ろ。瑠衣の気分屋は今に始まったことじゃないじゃん。酒飲んで寝たら治るでしょ。」
仁はそう言うが、今回ばかりはそんな軽いものではないと感じていた。
しかし、今ここで考えたところで何も変わらないというのも同じく事実なのである。
仕方なく、残された俺達も帰りの支度を始めることにした。
会場の外にはまだファンの女性達がちらほら残っていた。瑠衣は一体どうやってこのファンの目をすり抜けたのだろうか。
会場裏口から一歩外に出た仁は出待ちのファンにあっけなく見つかったようだった。
「あーあ。大変だ。」
泰正はその光景を眺めて呑気にそんなことを言っている。
「助けてやれば?」
「やだよ。俺は帰ってモフッとどうぶつ王国の再放送を見るんだ。じゃ、光輝も気をつけて。」
泰正は裏口が賑わっている隙に堂々と表口から出て行った。俺も帰ろうと用意を済ませ、フロアに出ようとすると、ちょうど帰る間際のファンの女性二人組に鉢合わせた。
スタッフに挨拶をしようと楽器を背負っていなかったからなのか、コートにニット帽という姿故になのか、すぐには自分だとバレなかった。もしかしたら対バン相手のファンだったのかもしれない。彼女達は今日の感想を話していた。
「今日のトリのバンド良かったね。今日初見だったけど、やばかった。あのボーカルの…瑠衣さんだっけ?あれはずるいわ。」
「瑠衣さんも素敵だけど、私は断然ギターの仁君推し!あのミステリアスな雰囲気がたまらないんだよねぇ。」
今あなたの推している人なら裏口にいますよ、とは言わないでおいた。
うちのバンドは大体あの二人のどちらかに人気が二分する。そして俺と泰正はベースとドラムの人という呼称になる。
「ドラムの人は可愛い系だよね。」
「あ、わかる!愛されキャラって感じ!」
まあライブ後に動物番組の再放送を心待ちにしている男だからな。そりゃ可愛い系と言われても不思議はないだろう。
で、お馴染みの展開を迎えるわけだ。
「ベースの人はなんていうか…普通?」
「あーね。普通にイケメンって感じ。」
褒められるわけでも酷評されるわけでもない。
普通。
ある意味この評価は一番残酷なものだと思う。
だって、それは興味がないということの表れでしかないからだ。
俺は彼女達が立ち去るのを待ち、スタッフに挨拶をしに行った。二言三言ことばを交わし、もう一度楽屋に機材を取りに戻る。
『なんていうか、普通だよね』
『地味なんだよ、お前』
他人の評価が脳裏をちらつく。
ライブハウスを後にして家に帰ろうと足を踏み出した時、ふと瑠衣の言葉が頭をよぎった。
『お前が変わってなかったら、俺このバンド辞めるわ』
あいつはムカつく奴だが、有言実行の男だ。
女にはだらしないし、生活もめちゃくちゃで、おおよそ尊敬できるところなどカケラもないような奴だが、そこだけは素直にかっこいいと思っていた。
そんな男の言葉だからこそ、俺はどうしたらいいのか分からなかった。
「なんのために…か。」
俺はなんのためにバンドなんて始めたんだっけ?
俺にとっての音楽って、なんだったっけ?
コートのポケットの中、携帯が震える。
画面を見る。未読通知が一件。
画面ロックを解除すると、緑色の画面を一瞬経由してからすぐにチャット画面に切り替わる。
直美と表示されたアイコンから白い吹き出しがひょこりと現れた。
『こーちゃんお疲れ様。コンビニ寄るならプリン買ってきてほしいな。ご飯まだなら今家に何もないから好きなの買ってきておくれー。』
いつも通りのやり取りに心が和む。
店内ではどこぞの流行りのバンドの曲が淡々と流れていた。
インスタントコーヒーのような無難な印象の曲だった。
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