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直美に頼まれたプリンと俺の缶ビール、それから弁当をカゴに入れ、レジに向かう。
深夜のコンビニ店員というのはあまり顔ぶれが変わらない。
今目の前で俺の買ったもののバーコードを読み取っているこの男もまた、その一人だった。
この時間に来ると大抵この男が立っている。
名札を見ると「田中」というありふれた二文字が記されていた。
「あの」
俺は名前を見ていたことがバレたのかと思い一瞬ビクリとした。
「え、あ、はい。なにか?」
「いや、あたためますかって…」
彼は手にした弁当を示していた。
どうやら質問を聞き逃していたようだ。
「おねがいします。」
「はい。」
田中は弁当を電子レンジに入れてスイッチを押す。ブーンという稼働音がやけに大きく聞こえる。
「煙草…」
「え?」
「要りますか?いつも、買ってるから…」
長い前髪の隙間からチラリと見えた瞳と俺の視線がぶつかる。彼は綺麗な目をしていた。
思わずじっと見てしまった俺を不思議そうに見て、彼は「あの…」と口ごもる。
語尾が消えてしまう独特の話し方はずいぶん昔の、それこそ瑠衣やバンドに出会う前の自分を思い起こさせた。
「いや、まだあるから、煙草は今日は大丈夫です。」
「そっすか。」
「覚えてたんすね。俺のこと。」
「そりゃまあ、常連さんですから。」
田中は俺を『目立つから』覚えていたとは言わず、『常連だから』覚えていると言った。
「あの、変なことを聞くようだけど、俺って地味ですか?」
田中は随分と怪訝そうな顔をしてこちらを見つめていた。
「ちょっと言っている意味がよくわかりません。あなたが地味なら僕はどうなるんですか?」
「あー…ですよね。」
「ですよ。」
ピーという電子音がして、田中はレンジからあたたかくなった弁当を取り出す。
「…何があったのかは知らないけど、あなたSOLの光輝さんでしょ?」
俺は驚きのあまり危うく買ったばかりの弁当を床にぶちまけそうになった。
彼が口にしたのは俺の所属するバンドの名前と、俺の名前だった。
おおよそビジュアル系バンドなんて聴かなさそうなこの男が一体何故それを知っているというのだろう。
「どうして…」
田中は黙ってズボンの尻ポケットから携帯を取り出した。
彼のスマホのロック画面には俺達のバンドのロゴが写っていた。
「SOL、俺1stのシングルからのファンなんです。特にあなたの、光輝さんのファンなんです。自分もベースやってて、光輝さんのベースプレイかっこいいって思っていたから。」
「でも今までそんなの少しも…」
田中は照れ臭そうにしていた。
ぽりぽりと頬をかいて視線をそらす。
「そりゃ、プライベートだし。本当は何度か話しかけようかとも思ったけど…騒がれたら嫌かと思って。」
「そんな気を遣わなくてもよかったのに。ていうか俺今メイクしてないんだけど、よく分かったね。」
田中は急に熱のこもった声をあげた。
「いや、メイクなんて関係ないっす。光輝さんのことはずっと見てきたから一目でわかります。音楽に対してすごくストイックで、だけどここで会う時はいつも、会計済んだらありがとって言ってくれて、優しくて。あなたはいつだって俺の憧れで、なんていうか、俺にとっては神様みたいな存在なんです。だから、えっと…」
そこまで言うと、途端に恥ずかしくなったのか田中はまたいつもと同じトーンに戻り真っ赤になって俯いてしまった。
ああ、そうだった。
俺だって、かつてはこの田中青年のように憧れの人がいたんだ。
その人は瑠衣と当時バンドを組んでいたベーシストで、彼の演奏を聴いて俺は雷に打たれたみたいな衝撃を受けた。
少しでも近づきたくて、毎日毎日バカみたいにベースを弾いて。
結局自分が人前で演奏できるようになった頃にはその人はもうバンドを辞めてしまっていた。
しかし瑠衣は俺を認めてくれて、お前がいいと言ってくれた。お前と一緒にバンドがしたいと、そう言って笑ってくれた。
そうだ。そうだった。
バンドを始めた時、俺もいつかはあの人のように、誰かにとっての憧れや…光になりたいと、そう願ってやってきたのではないか。
瑠衣が言っていた何かはきっと、単純に見た目や演奏の派手さを求めていたわけではない。
そういう問題ではなかったんだ。
あいつが求めていたのは多分、個性だ。
個性というのは勝手に生まれるものじゃない、作るものだ。
何度も何度も磨き上げて、自身の手で作り上げるものだ。
最近の俺はどうにも焦っていた。
小手先のものばかりに目がいってしまって、大事なことがすっかり頭から抜け落ちていた。
一方通行の押しつけほどつまらないものはない。やるならお前のお前らしさを見せてみろ。
瑠衣が言いたかったのはつまりはそういうことだったのかもしれない。
俺はいつも通りに「ありがとう」と言ってコンビニを出た。
吐く息の白の向こうに、月の光が透けて見えた。
その輝きが、今夜はやけに綺麗に見えた。
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