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「ねえ、彩香」
甘えたような声で話しかけられたので、私はカバンに教科書やらノートやらを押し込みながら「なあに?」と答える。顔を見なくても、その声の主が誰なのかはすぐに分かった。
「今日みんなでバニーズの秋の新作フラペチーノ飲みに行こって話してるんだけど、サヤも来るよね? SNSの口コミ見たけど、めっちゃ美味しいんだって!」
私に声をかけてきたのは、友達の舞。
舞は中学からの同級生で、知り合ってすぐに仲良くなり、今では気の置けない友人である。彼女はスマートフォンをささっと操作して、ある画像を私に見せた。その画面に映るのは、黒と白の何かが入り混じった容器の上に灰色のクリームがたっぷり乗ったフラペチーノ。その中に何が入っているのかとか、そのフラペチーノが一体どんな名前なのかを聞かないと、私には、その味を想像することができない。でも舞は、スマートフォンを見ながら「とっても美味しそう」とはしゃいでいる。
「あー……ごめん、私今日行けないんだ」
私がそう断ると、舞は少しだけ眉を下げて悲しそうな表情を見せる。いつの間にか舞の後ろにいた他の友達も同じようにがっかりしているみたいだ。その様子をみていると、なんだか申し訳ない気持ちがこみあげてくる。
「えー! サヤ、今日は何か用事でもあるの?」
「うん、病院に行かなきゃいけないの」
私の言葉を聞いた舞が、今度は眉をひそめてとても気まずそうな顔をしながら口を開いた。
「……それって、いつものの定期検査ってやつ?」
「そうそう。だから、もう行かないと。予約の時間がそろそろ……」
頷きながら、カバンのチャックと閉めようとしたけれど、中々うまくいかない。いろいろ詰め込んで無理やり閉めようとすると、小さくため息をついた舞が私のカバンをひったくって、中身をすべて出していく。教科書が少しくらい折れたってあまり気にしない大雑把な性格の私。それとはうってかわって、几帳面な舞。彼女はいつも私のカバンの中を、まるでパズルでも解くかのように整理してくれるのでとても助かっている。
「そうだ、サヤ」
舞のおかげで綺麗になったカバンのチャックを閉めると、こちらも同じく友達の莉子ちゃんが話しかけてきた。莉子ちゃんは高校に進学してからできた友達の一人。いつものんびりしている子なのに、今はせわしなく何度も瞬きをしている。
「早く行かないと、ちょっとマズイかも……」
莉子ちゃんの言い方が何だか意味深で、嫌な予感がした私は声を潜めて聞き返す。
「え? 何かあった?」
「あのね、さっき用事があって職員室行ったんだけど……美術の伊沼先生にサヤのことを聞かれたの。三原はまだ教室にいるか? って。サヤの事探してるんだと思う。……捕まると怒られるんじゃない? 先生、何かちょっと怒っていたみたいだし」
「げっ、まじか」
私が蛙とつぶしたような声を出すと、舞は不思議そうに首を傾げる。
「どうして伊沼先生がサヤの事探すの? サヤ、何か悪い事でもしたの?」
「……悪い事っていうか、私、美術の課題出してないから伊沼先生に目を付けられているみたいなの」
廊下で伊沼先生とすれ違うたびに、いつも課題の事でチクリと言われていた。そのことを思い出しながらため息まじりにそう呟くと、二人とも「ああ」と声を出した。
「美術の課題って、この前の水彩のやつ? 果物の静物画描くっていう」
「そう、それそれ」
美術が得意な莉子ちゃんも、特にそういう訳じゃない舞もその課題はあっさりと取り組んでいた。他のクラスメイトたちもみんな同じように。口々に「面倒くさい」とか言っていたけれど、手はしっかりと動いてキャンバスに向かって絵を描いていた。
それなのに、私だけがそのキャンバスの前でじっと動けないままだった。丸椅子に座って、ただ時間が過ぎていくのを待ち続けていた。私にとって美術の授業というものは、ただの時間を浪費するだけのもの。
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