1 白と黒だけの世界

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 そうなってしまったのには原因がある。 「だって、しょうがないじゃない。こんな『目』なんだから。私に絵なんて描けないよ」  私が諦めたようにそう言うと、二人は何て言ったらいいのか迷うように、顔を見合わせて困った表情をしていた。私が自分自身のデリケートな領域を自分から開いた時、みんなは途端によそよそしくなり、それを見ないふりをする。  その反応にすっかり慣れっこになってしまった私はカバンを肩にかけた。病院の予約時間が迫ってきている。もう教室を出ようと、ふっと、教室の前方にあるドアに視線を向ける。……次の瞬間、私の目は大きく丸くなっていた。  今まで話の中心にいた、美術の伊沼先生がドアの近くに立っていたからだ。それが何色なのか分からないけれど、絵の具で全体的にうす汚れている白衣を着ているその姿、間違いない……伊沼先生だ。先生は教室の入り口で、クラスメイトを捕まえて何か話していた。どんなことを言っているのか教室の後ろ側にいる私には聞こえてこないけれど、きっと私の事を探しにここまでやって来て「三原はまだ教室にいるか?」みたいなことを言っているに違いない。  私は舞と莉子ちゃんに目配せをする。二人はすぐに分かってくれたみたいだ。私の姿が見えないよう壁になってもらってそっと後方のドアから教室を出ようと試みる。……けれど、カクカクと、まるでオイルをさしていないロボットみたいに動く私たちは逆に目立ってしまい、すぐに伊沼先生に見つかってしまった。 「おい、三原!」  先生の声は教室の中をまっすぐ貫き、私の事をぐさりと突き刺そうとする。 「ひっ! バレた!」  先生は廊下側をどんどん進んで、後方のドアで固まっている私たちに近づいてくきた。 「この前の美術の課題だけど、いつになったら出すんだよ。他は全員出したんだ、提出していないのは三原だけだぞ!」 「い、いつか出します!」  私の事を睨む伊沼先生の視線があまりに恐ろしくて、私の声はつい上擦ってしまう。 「いつかって……三原、放っておいても描かないだろ。だから、今日から絵が完成するまで放課後美術室に残って……」 「あー! 大変、遅刻しちゃう! 私、急いでるのすっかり忘れてました! 先生それでは、サヨウナラ!」 「おい! 三原!」 「舞も莉子ちゃんも、またね!」  私が廊下を一気に走り出すと、先生も慌てて追いかけてきた。後ろから「三原!」と私の名前を叫ぶ声が迫ってきて、恐怖がどんどんこみ上げる。私は廊下にいる他の生徒の間をすり抜けてながら、全速力で学校の中を駆け抜けていく。 「三原、待て! ……っと、悪い!」  唐突に、先生が私の名前を叫ぶのをやめた。気になって足を止め後ろを振り返ると、伊沼先生はどうやら廊下を歩いていた男子生徒にぶつかったみたいだった。彼に向かって何度も頭を下げている。先生との間に十分に距離が出来て余裕が生まれた私は、立ち止まり息を整えてから声を張り上げた。 「先生、ごめんなさーい! 私、今日は病院行く日なんで居残りとか無理なんです! 課題の件は、また今度にしてください!」  伊沼先生がまた私の名前を叫んだ気がしたけれど、私はそれが聞こえないふりをして、今度はウキウキとステップを踏みながら玄関に向かう。上履きから革靴を履き替えて、そのまま急ぎ足で病院に向かった。スマフォを見ると予約している検査の時間が刻一刻と迫ってきた。今更マップを確認しなくても、私の体はすっかり病院の場所を覚えてしまっている。  常盤台大学病院は、私が通っている高校から歩いて十分ほどのところにある大きな病院だ。私は十歳の時から月に一度、定期検査のためにここの眼科に通院している。私の目に残った後遺症を治す糸口を探すために。  私の目に今見えている世界は、白と黒、そしてグレーのグラデーションしかない。鮮やかな『色』というものは、とある事故以降失われてしまった。  病院に向かって歩いていくと、横断歩道に差し掛かった。信号機を見るけれど、私には信号機の赤と青の色も見分けがつかない。上下のどちらかが光っているのはかろうじて分かるけれど……いまいち自信がないから、車が完全に止まって、誰かが信号を渡り始めるまで私は後ろの方でじっと待っている。他の人の様子を見てから、ようやっと横断歩道を渡ることにしていた。
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