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課題はレポートにしてください。そう続けようとした時、伊沼先生がポツリと呟いた。
「正しい絵ってなんだ?」
「……え?」
「だから、正しい絵だよ。三原が思う、正しい絵ってどういう事なんだ?」
「そんな事、急に言われても! ちゃ、ちゃんとした形を描いていたり、普通の色で塗ってあったり……」
私はあやふやな答えに、伊沼先生は満足しなかったみたいだ。
「それが、本当に正しい絵か?」
「……はぁ?」
その問いの意味が分からなくて、私は頭を抱える。すると、伊沼先生は丸椅子を二つ引っ張り出してきて、その一つに座った。もう片方を手のひらでポンポンと叩く。まるで、私にさっさと座れと催促するように。
仕方なく私がその椅子に座ると、先ほどまで見上げないとみることができなかった先生の目が、真正面に見えた。先生は真っ黒な瞳で私を射抜くように見つめている。その視線についドキリとしてしまう自分が情けない。肩を落とすと、先生は私の言葉を促すように小さく頷いて、口を真一文字に結んだ。私は仕方なく口を開いた。
「そんな事言われても……わかんないですよ、何が正解で、どれが間違いの絵かなんて。私なんてただの素人だし。そんなの、先生の方が分かるんじゃないですか? 美術の先生なんだから」
苛立っている私の返答に対して返ってきた先生の言葉は、拍子抜けするものだった。
「俺は、そんなものないと思ってる」
「はあ?!」
人に聞いておいて、先生の答えはふわっと宙に漂っているものだった。私は怒りを隠すことも出来なかったみたいで、髪の毛が逆立つ。先生はそんな私の様子を見てクスリと笑った。
「間違いの絵や正解の絵なんてないから、絵を描くのは面白いんだよ」
「それは、きれいで上手な絵が描ける人の意見じゃないですか」
「お前だって、描こうと思えば描けるだろ。むしろ、三原にしか、三原の目を通して見ることでしか描けない絵だってあるんだ。絵は、描く人それぞれが好きなように、心が感じるままに描く。そういうものだと思っている」
「……私にしか、描けない絵?」
私が先生が言ったばかりの言葉を繰り返すと、伊沼先生は深く頷いた。伊沼先生の目はさっきと比べて何だか輝いている。まるで――私のこの目に憧れるように。私はこれ以上見つめられるのが怖くなってしまって、その視線からぷいと顔を反らしてしまった。
「絵は、目の前にある物を正しく写し取るだけの物じゃない。心を描くことだ」
先生は立ち上がって、美術準備室に引っ込んでいってしまう。私は美術室で一人取り残される。先生がいないならもう逃げようと思えば逃げることはできるけれど、私はどうしても「私の目でしか描けない絵がある」という先生の言葉が気になってしまって、椅子に縫い付けられたように動けなくなっていた。
数分後、伊沼先生はいくつかのキャンバスを抱えて戻ってきた。クラスメイトが描き上げた、あの課題の絵だった。イーゼルを3つ立てて、その絵を並べていく。慌てているのか、先生は何度も絵をイーゼルから落っことしていた。
「見てみろ、この絵を」
「見てみろって言われても……」
果物の絵が三枚並んだ。どれも構図は似たり寄ったりだ。
「これは、広岡の絵」
広岡君は私と同じクラスの男の子だ。いつも教室の隅で本ばかり読んでいる大人しくて引っ込み思案な子。女の子が苦手みたいで、あまり彼とは話をしたことがない。
仕方なく、私は先生に言われた通り広岡君の絵を見た。線がどこか荒々しく、リンゴの輪郭が揺れているようにも見える。
「な、お前がイメージしている広岡とは違うだろ?」
先生の言葉に、私は思わず頷いてしまった。
「は、はい……何かもっと丁寧に描くんだと思ってました。広岡君ってまじめだし、どことなく繊細な部分もあるし」
「これ出来上がった後に、アイツに聞いてみたんだよ。何かあったのか? って。そうしたら、仲のいい友達と喧嘩した直後に下書きを描いたって言ってた。イライラしていたのが線に出たんだな」
「……へえ、そうなんだ」
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