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エピソード1 死ぬにはちょっと不都合な日だった
生きることが嫌なら、死ねばいい。
よく晴れた春の日、日も落ちる寸前の夕方の事だ。そんな単純かつ明快な思考で、彼女はそこに立った。
閑鳥翼と言う少女がいた。その少女は、少しだけ生きることが苦手だった。
少しだけ、好き嫌いが多くて、食に楽しみを見出せなかった。少しだけ、寝るのが苦手で、睡眠が苦痛だった。少しだけ、人間が嫌いで、周りの誰かに恋をすることができなかった。
少しだけ、続きが気になる本はあった。少しだけ、好きなものもあった。少しだけ、聞きたい音楽もあったし、少しだけ、話してて楽しい人もいた。
だけど、それは翼が生きたいと思うのに十分な理由にはなり得なかった。
翼には、決定的なナニカが足りなかった。
それは多分、生きたいと思える意欲だったのだと思う。
それは多分、死にたくないと思える恐怖心だったのだと思う。
単純な話、翼にはどうしても失いたくないと思える大切なものがなかった。
人は、死ねばすべてを失う。食べることも眠ることも恋することも、好きなアニメを見ることも楽しいおしゃべりをすることも季節の行事に参加することも、出来なくなる。家族とも友達とも恋人ともペットとも会えなくなる。
何か、たった一つでも失いたくないものがあれば、人は自ら死を選ぶと言う事が出来なくなる。
逆を言えば、
どうしても失いたくないものが一つもなければ、人は自ら死を選ぶことができる。
死ぬことに抵抗など微塵もなかった。生きたい人が、生きる権利があるのなら、死にたい人が、死ぬ権利だって、あるはずだ。
リーンゴーン、ガーン、ゴーン・・・。
体の内側から音が響くような、妙な感覚に翼はびくりと小さく身を震わせた。翼が死に場所に選んだのは、このあたりでは一番高い建物。時計塔だった。特定の誰かの所有物なのか、市か県かの管理下にあるのかは知らないが、管理人のおじいさん以外の人間が立ち入ることはそうないこの場所は、翼にはうってつけの死に場所だった。
子供の頃、空想と現実の狭間で幾度となく願ったことがある。大空を自由に飛ぶことができたなら、どんなに気持ちがいいだろうと。
一瞬でも空を飛べるなら、その先の死にも耐えうる気がする。そんな淡い空想と共に、翼は靴を脱いだ。特に急ぐ必要もないが、時報の鐘の音でいつまでもこんな所でボーっとしている訳にもいかないと気付いたのだ。
靴を脱いだことに、特に理由はなかった。思えば、夕日がきれいな空に身を投じるにあたって、靴を脱ぐ必要など全くない。全くないのだが、テレビか何かで刷り込まれたのかなんなのか、なんとなくそれが常識のように思ってしまった。
後から思えば、そのたった一瞬の判断が翼の命運を、文字通りの命運を、分けたのだった。
果たして、裸の足を時計塔唯一の窓にかけいざ飛び降りようと言うその時、
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