page. 13 『リキサクなんだから!』

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「――さぁ、街に繰り出すわよ!」  食卓の向かいに腰掛けた彼女は、昼食のバゲットを勢いよく引きちぎりながらそう言った。やけに張り切って掃除を進めているかと思えば、そういう魂胆だったか。 「繰り出すなんて言葉、よく知ってたね」 「失礼ね! 私だって日々進化しているのよ」と胸を張った彼女の口元には、ジャムがついていた。  母は友人の収穫を手伝うため、朝から遠出していた。熊が我が家を訪れなくなり、すでに二週間。べにばらは満を持して行動に移すつもりなのだ。  街に彼が滞在しているかどうかは分からないが、彼女はきっと会いたくて仕方がないのだろう。毎晩のように啜り泣き、昼間は空元気を続けていたのだから。 「勝手に出歩いて怒られない?」  私がそう尋ねると、彼女は人差し指を立ててゆっくりと左右に振った。 「昨日の夜、ママに言われたの。そろそろ街へ連れて行ってあげなきゃねって」 「じゃあ、帰ってくるのを待つわけだ」 「違うわよ、今から行くの!」 「え、だって――」と私が発言しようとするのを彼女は手で制し、「考えてもみてよ。そろそろ連れて行っても良いということは、勝手に行ってきてもそんなに怒られないってことじゃない?」と言った。  ひどく捻じ曲がった理屈だ。 「この不良娘め」 「あら、不良姉妹でしょ」  彼女はうふふと笑い、「さぁ、早く行かないと日が暮れちゃう!」と言うと、残ったバゲットや飲み物、草花を採集するための鋏をバスケットの中に詰め込み始めた。 「お母さんに伝言をのこさないと」  べにばらは紙と鉛筆を取り出し、大きく【二人でおさんぽに行ってきます】と書いた。 「これでいいよね。行こ」  互いの髪に熊から貰った髪飾りを付け合った後、私は先に玄関へ向かった。扉を開けて天気を確認すると、雲が出ているものの雨が降りそうな気配はない。  日暮れ時には寒いだろうか、などと考えながら表に出ようとすると、「あぁ、ちょっと待ってよ!」と彼女が叫んだ。  降り返ると後ろ手に何かを隠し、薄らと頬を赤らめている。 「じゃーん!」と言って彼女が目の前に出した両手には、小さなぬいぐるみのようなものが乗っていた。「可愛いでしょ」 「これは?」  手に取ると、それは馬の形をしたブローチだった。白い身体に金色の(たてがみ)、額には長い一本の角が生えている。 「前に話したことあるでしょ? イッカクジュウの話。それをね、私なりに想像して作ってみたの」  近頃はより一層編み物に精を出しているかと思えば、この為だったか。 「へぇ、可愛い。よく作れたね!」と私が褒めると、彼女は「リキサクなんだから!」と答えて喜びの表情を見せた後、身体をもじもじとさせ始めた。 「それね、しらゆきに」と小声で言うと、彼女は両手をこちらに差し出した。 「え、私に? ……くれるの?」 「うん。もともと、しらゆきにあげるために作ってたから」と彼女は恥ずかしそうに答えた。「お守りにしてね」 「そっか。ありがとう」 「つけてあげる!」  彼女は私の前で屈み始めると、胸の辺りにピンでそれを留めてくれた。「……似合うかな?」と私が尋ねると、「もちろん!」と答え、嬉しそうに何度も頷いていた。  私たちは仲良く手を繋ぎ、柔らかな木漏れ日で溢れる森の中を歩き進んだ。彼女は時おり私の胸のブローチを眺めながら幸せそうに微笑んでいる。 「見て! きれいなお花」  べにばらは鋏で花を摘み、合間にどんぐりや木の実を抜け目なく拾っていく。途中でもぎ取った大きな葉っぱを日傘代わりに使い、意気揚々と足を進めていた。一応きのこ類も拾っていたが、禍々しい模様をしたものは隙を見て私がこっそり地面に投げ捨てた。  春になると、この辺りも景色が一変していた。草花は咲き乱れ、動物たちが溢れている。互いに鳴き声を掛け合う姿は、まるで宴会騒ぎのようだった。  見たことのあるような、ないような、ユニークな姿をした動物たちが私たちの前を通り抜け、こちらに気づくと遠慮がちに会釈をする者まで見られた。熊のように言葉を話す強者には出会わなかったが、やはり一番の怪物は前方を歩き進む彼女である。急な方向転換を繰り返し、蟻の行列を追い、早々とアクセル全開ではしゃぎ回っていた。 「ねぇ、こんな調子で街にたどり着けるの?」と私は尋ねたが、彼女は笑顔でこちらを振り返り、「だいじょうぶ!」と答えるだけだった。  岩場を越え、砂地を越え、私にとっては未知の領域へ突入してから相当の距離を歩いた。深い森はその広大さを誇示するだけで、街らしきものはまるで見えてこない。 「ねぇ」と再度声を掛けようとしたところで、彼女は突然走り出した。  何事かと思い後を追うと、何者かの声が耳に届いた。唸るような、呻くような声。  視界を覆う木の葉を何度か払い除けて広い草地に出ると、声の主が目に入った。ひどく怒りに満ちた様子で、不気味に乾いた声を上げている。  その容姿はさらに不気味だった。私たちよりも一回り小さな身体はやせ細り、皮膚の色は紫がかり、飛び出しそうなほどに大きく血走った瞳に硬そうな白髪、それに、身の丈の半分ほどを締める白い顎髭を自身の両手で掴みながら、体重を後方へ傾けて必死に引っ張っていた。  髭の先端は巨大な樹木の切れ目に挟まり、付近には小ぶりの斧が落ちている。  あまりに醜悪な存在に私は思わず足が竦んだが、べにばらは気にする素振りも見せず先へ進み、「おじさん、何やってるの?」と男に問いかけた。  男は髭を力一杯に引っ張りながら、「見れば分かんだろ。これが綱引きにでも見えるか? 少しは自分の頭で考えろ。このボケが!」と我々を怒鳴りつけた。  顔に皺の寄った中年の小人は、血走った目を見開きながらあからさまに鬱陶しそうな表情を浮かべている。 「なによ! ひどい言い方ね」と答えながらもべにばらは小人に近づき、「そうねぇ。そのおヒゲを使って、地面から木を引き抜こうとしているのかしら」と言った。 「そんな幼稚な発想で木が抜けるか! 自慢の髭が引っかかって抜けないんだよ! 至ってシンプルな問題だろうが。これだから子供は嫌いなんだ。ほら、分かったらさっさと手伝え!」  みっともない姿のまま胸を張り、小人は偉そうにそう答えた。  べにばらはやれやれといった様子で肩を竦め、「素直にお願いすればいいのに」と呟くとこちらを見遣り、「しらゆき。バスケットからハサミを取ってくれる?」と言った。  私は慌ててバスケットから鋏を取り出し、べにばらに手渡した。鋏を受け取った彼女は髭と樹木の間に刃を差し込むと、迷いなく髭の一部を切り落とした。  すると全体重をかけて顎髭を引いていた小人は、咄嗟のことに勢いよく後ろへ転げまわった。起き上がってしばらくは短くなった自身の髭を呆然と眺めていたが、やがてぶるぶると身体が震えだし、こちらを力強く睨みつけた。 「お前ら!」と唾を飛ばし、続いて罵詈雑言を浴びせかける。 「だって、仕方がないじゃないの!」とべにばらは頬を膨らませながら答えたが、小人は意に介さず地面に落ちた斧を拾い上げると、ぶつぶつ文句を言いながらその場を去っていった。  すれ違いざまに肩をぶつけられた私は勢い余って地面に尻餅をつき、バスケットの中身をぶちまけた。 「あっ、しらゆき!」  べにばらは私のもとへ駆け寄り、手を差し伸べた。「ちょっと! 謝りなさいよ!」  歩き去る小人は彼女の言葉に振り返ることもなく、「けっ! そいつが勝手に転んだんだろ」と答えると、木の葉を乱暴に払いのけて姿を消した。
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