第三楽章 暴君と雪解けとaccellerando

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 ミラとシーファが向かったのは、以前訪れたメテオロン百貨店のような高級路線でなく、もっと安価が売りのショッピングモールだ。菓子専門店エリアへと足を運び、シーファが職場に持っていくという手土産を見繕う。  といっても、シーファに真剣に選ぶ気はなさそうで、価格とボリューム重視の選別作業にミラはじゃっかん眉をひそめた。自分のための買い物にはあれほど豪遊したくせに。  やがて二択にまで絞ったらしい兄が、それぞれの箱を示して、「どっちがおまえの好み?」と訊いてくる。ひとつはクッキーの詰め合わせ、もうひとつはパウンドケーキとマドレーヌの二種類が収まっている。ミラは降って湧いた事態に驚き、とっさに後者を指差してしまった。値段はそちらのほうが少し高い。 「ん、じゃあこれにする」  てっきり却下されるかと思いきや、ミラの意思が尊重されるかたちとなった。いや、ミラとしては食べられないのでどちらでも構わないのだが。  会計を済ませ、雨がひどくなる前にとそのまま帰路につく。本日のミッションは、拍子抜けするほどあっさり終了した。  荷物を持たされながらの帰り道、兄の後をついて歩いていると、先日シーファが宅呑みに行った友人と遭遇した。何人か同窓らしき友人と連れ立っていて、男女比率は半々といったところか。シーファと友人たちが道端で立ち話をはじめたので、部外者のミラは所在なく立ち尽くすしかない。話の流れで、友人たちはこれから呑みに行くことがわかり、当然のようにシーファも誘われた。 「今日はいいや。今妹もいるし」  シーファがすげなく断りを入れる。ミラとしては、べつに一人でだって帰れるし、行きたければ行けばいいのにと思う。 「ああ、こないだの」  兄の肩越しにひょいと例の友人が顔を覗かせる。ミラは無言でお辞儀して挨拶に代えた。 「兄貴に振り回されて、可哀想にね。こいつの病気が早く治るように祈っているよ」  気さくな友人のようで、ミラの無愛想な対応にも気を悪くするようすはない。 「病気って?」  一人が訊ね、例の友人が「こいつね……」と答えようとしたとき、シーファが咳払いとともにそれを遮る。 「用がないなら、もう行くよ。雨がひどくなったら濡れちゃうし。おまえらもこんなところで道草食ってないで、そこそこに店に着けよ」  友人たちに向かい盾となって立ち塞がるシーファの表情は、背中しか見えないミラにはわからない。踵を返したシーファに腕を引かれ、半ば引き摺られるようにしてその場を離れた。 「シーファ、どうしたの? 機嫌悪かった?」  困惑が広がるなか、例の友人だけがひとり訳知り顔に腕を組んだ。 「たぶん、邪魔されたからじゃないかな。あいつ拗らせてるからね」  家に帰り着くころには、少しようすがおかしいと思えたシーファの機嫌も元に戻っていた。 「ああ、寒い寒い。俺シャワー浴びるね」  ミラに荷物を押しつけたまま自分はそそくさとシャワールームに向かった兄に、ミラは呆れてものも言えない。  リビングへと続くドアを開け、ふかふかのソファに腰を下ろす。べたべたに濡れたソックスを脱ぐと、ようやく人心地がついた。冷えた足を抱え込むようにしてソファの上に乗せる。先ほどまで無人だった室内は薄ら寒い。ミラはリモートコントローラーを操作してエア・コンディショナーの電源を入れた。  母の帰宅はいつだろう。シーファと入れ替わりでシャワーを浴びていたら、そのうちに帰ってくるだろうか。お腹はぺこぺこだ。時間つぶしに液晶テレビを点けるとニュース番組の映像が流れ出した。 『……このソウルブ彗星、最接近までのカウントダウンも始まっていまして、いよいよ楽しみにされている方が多いと思いますが……』  ミラはニュースをBGMに、自分の【CoMMuNE】を取り出しロックを解除する。待ち受け画面で点滅するアイコンは、新着メッセージのサインだ。時間を確認すると、帰り道の最中に届いたようだったので、振動に気づかなかったのかもしれない。 17:32 受信 あなたは楽譜を持っているのですか?  血の巡りが速くなる。【CoMMuNE】を握る手に力が入るのが自分でもわかった。  計算どおりだ! 相手は“楽譜”という単語に食いついてきた!  ミラは瞬時に返信を打ち込む。 18:14 送信 持っています。  あえて返信を素っ気なくし、相手の出方を待つ。必死に縋りついてこようものなら、こちらの毒牙にかかったも同然だ――気分はまるで、こちらが悪役のようだ。ずきん、と心臓が痛む音には気づかないふりをした。  エア・コンディショナーが利きはじめて、リビング内は快適どころか、少し温かすぎるくらいになっていた。足の冷えも完全にとれている。座り心地のよいソファに全身を預ければ身体は深く深く沈み込む。BGMと化したニュース番組はアナウンサーの男声が低く優しく耳朶を擽る。  ああ、いい気分だ。……かく、かく、と首を上下に揺らし、正気に返ったミラは脳内に立ち込めだした靄を散らすために首を振る。だめだ、兄の後でシャワーを浴びるのだから……と決意を新たにしつつも首は自然と上下に揺れる。一度瞼を擦り、両頬を叩いて喝を入れなおす。  そこまでは、ミラの記憶にあるのだが。 「なんだ、おまえ寝ちまったのか」  シャワーを終えてしっかり髪も乾かし、寛いだ部屋着姿になったシーファがリビングに入ると、暖房が効いた室内で妹は無防備な姿をさらしていた。  せめて自分の部屋で寝ろよ、と呆れもするが、ミラが疲れているのは自分が連れ回しているせいだという自覚はあるので、起こすような無粋な真似はしまいと心に決める(起こすことが無粋というのはシーファによる勝手な決めつけだが)。 「ほんと、しょうがないやつ」  そうつぶやいて、シーファはミラの髪を指の先で軽く梳いた。  さて、とシーファはもの思いに沈む。妹を引っ張り回すにしても、わざわざ(ヽヽヽヽ)理由を(こしら)えるのがそろそろ面倒になってきていた。それに、可愛い妹を周囲に見せびらかしたい気持ちとそうでない気持ち、両方がせめぎあって複雑な心境なのだった。まあ、シーファがどんな決断をするにしても、ミラの目には我が儘放題の兄として映るだろう。ミラには嫌われているくらいがちょうどいいのだ。  シーファはミラをソファに寝かせると、眼鏡を外して【CoMMuNE】とともにテーブルの上に置いた。自分の部屋から毛布を引っ張り出してミラに被せてやる。ふと、ミラの裸足が目に留まった。見るからに寒そうだが、触れてみると体温が下がったようすはないので大丈夫だろう。  そのまま、シーファはミラの白い足に顔を寄せると、その爪先にキスを落とした。  玄関でドアの開く音がする。母が帰ってきたようだ。シーファはミラの足をソファの上に戻すと、足全体を覆うように毛布をかけなおす。それから玄関の母にバスタオルを届けるため、リビングを後にした。  ――まるでその隙を狙ったような、完璧なタイミングだ。  すべては天の配剤か、はたまた運命の悪戯か。  ヴー、ヴー  テーブルの上、眼鏡の横。黒を閉じ込めたようだった画面に光が宿り、ロック画面を背景に新着メッセージの通知が躍る。現在時刻は18:38、さらに【CoMMuNE】の充電の残存量を示すマークが、残り少ないことを意味する赤色に塗られていた。振動音はすぐにやんだが、光の(ほとばし)る画面はしばらく消えず、時刻表示が18:39に切り替わるのを待って、力尽きたように途切れた。
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