第四楽章 Tempestosoな夜

1/7

41人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ

第四楽章 Tempestosoな夜

CoMMuNE(コミューン)】の発光する画面がまぶしくて、万国共通言語で綴られたメッセージをミラ・イゴールの目が滑っていく。今日は神さまに見放されたと思ったのも束の間、メッセージ相手のバックボーンが急転直下で明らかになるのは、これぞ神さまの気まぐれかと恨めしい。  私たちはあなたより数百年先の未来を生きる人間です――差出人不明のメッセージが打ち明けた事実は、常識的に判断すれば簡単に信じることができない類いのものだ。  しかし、ミラはとうに疑うこと、ひいては駆け引きをすることに疲れ果てていた。 13:51 送信 どうやって、あなたたちは未来から過去への通信を可能にしたのですか?  とりあえず、いちばんの疑問をぶつける。質問を重ね不明点を解消することで、漠然とした理解にとどまらず相手が伝えたいことの細かいニュアンスまで汲み取ることができる……ミラが学んだコミュニケーションの重要な手法を、まさか教えられた本人に対して実践する日が来るとは。今までのやりとりからして、基本的には相手のほうがコミュニケーション能力は上だが、今日に限っては圧倒的に言葉が足りていない。 13:53 受信 ソウルブ彗星をご存じですか?  唐突に画面に躍り出たその名前に、ミラは戸惑いを隠せない。ソウルブ彗星といえば、最接近までそろそろ一週間と迫り、今や世間からの注目を一身に集める天体ショーだ。もちろん世間にあまり興味のないミラとて知らないわけがないが……  彗星といえば、尾を引く姿が印象的な天体だ。氷や塵を主成分とする核を持ち、太陽に近づくとその熱で核の表面がとけて崩壊、ガスを放出してあの薄く光る尾ができると授業で習った覚えがある。しかし、今話題の彗星と、未来からの通信とが、いったいどう関わっているというのか?  ミラがどう返信したものかと迷っているうちに、次のメッセージを受信した。 13:55 受信 ソウルブ彗星は近傍恒星からの摂動や非重力効果、その他の作用の影響を受けず公転周期にブレがみられません。それを天文学的確率による偶然と捉えるか、異常とみるかはひとつの賭けでした。結果、私たちは賭けに勝利しました。宇宙観測班に調査に当たらせ、特異点観測の報せを受けたときには全員で歓喜したものです。 「待った、待った!」  ミラは思わず声に出しながら、ぐいぐい進展する話に割り込むために自己最速の指さばきでメッセージを打ち込む。このまま置いてけぼりを食らうわけにはいかない。 13:56 送信 特異点とは何ですか? すみませんが、話についていけません。  ミラのメッセージに相手も冷静さを取り戻したようだ。短い謝罪文のあと、順を追って説明をはじめた。  多くのニュース番組ですでに報道され周知の事実だが、おおよそ一週間後に控えたソウルブ彗星の最接近は、じつに四回目を数えることになる。気象局では過去の観測記録をもとに再演算を行い、現在の公転速度、公転軌道、星々の位置関係、あらゆる情報を加味した結果、前回の三回目の観測からぴったり計算どおりの周期で四回目の回帰に至る予定だという。そして、メッセージ相手はちょうど彗星の公転周期分だけ、ミラよりも未来を生きている。未来(あちら)でもおよそ一週間後に五回目のソウルブ彗星接近を予定しているそうだ。  ソウルブ彗星が過去に計算された周期どおり寸分の狂いなく公転を続けていることが、そもそもまれにみる事態であるようだった。  彗星が、その公転軌道上に近い恒星からの重力に引っ張られて、または核の氷の昇華に伴うガスの噴出が加速または減速に働いて、軌道がずれてしまう現象は、実際よくある話らしい。軌道がずれれば周期も変化するし、その結果太陽の引力から解放されて、もう二度と戻ってこなくなる可能性もある。宇宙は生き物とはよく言ったものである。数式どおりにいかない宇宙の神秘が、ミラの胸で鼓動をはじめた。  相手からのメッセージは続く。 14:14 受信 では、ソウルブ彗星はどうしてあらゆる作用をものともせず、計算どおりの周期を維持できたのか? 彗星の軌道をずらそうとする力は、いわばエネルギーです。力学の論理に則れば、発生してしまったエネルギーが何の痕跡もなく消えることはまずありません。 14:17 受信 だとしたら、ソウルブ彗星はその分のエネルギーを内に溜め込んでいったのではないか。そして、余剰となったエネルギーを別の形で消化しているのではないか……私たちはそのような推測を立てたのです。  ミラはメッセージ相手の聡明さに舌を巻いた。未来人だからこうも思考が研ぎ澄まされるのか? ……そうではあるまい。コミュニケーションの手法、何気ない切り返し、選ぶ単語の端々から、この相手が相当な切れ者であることをミラは感じ取る。 14:19 受信 推測どおり、ソウルブ彗星は抱えきれなくなったエネルギーを特異点として発動させました。その結果が、時空を超えるワームホールの出現です。今はまだ磁場が乱れて安定していませんが、このように乱れをかいくぐっての通信なら可能です。 14:21 受信 そしておそらく、私たちの星にもっとも接近する時間をピークに、磁場が安定するであろう演算結果が出ています。この演算結果の信頼性は99.96%です。 私たちはその瞬間を待って、時空を超える計画を強行するつもりです。  ミラは生唾を呑んだ。  相手から「ここまでで、何か疑問点はありますか」と促してくれた。ミラが最初に口をさし挟んで以降うんともすんとも言わないので気を利かせてくれたのだろう。端的に「大丈夫です」と返信する。  相手から矢継ぎ早に届くメッセージに終わりの兆しはない。おそらく、相手も言えずに溜め込んでいたものをようやく吐き出すことができ、天にも昇る心地なのだろう。  このあとに続くのもまた、長い話だった。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

41人が本棚に入れています
本棚に追加