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遠くへ
転勤が決まった。
僕は、そのことを、彼女に告げにやって来た。
「今度、海の向こうへ、転勤することになったんだ……」
「えっ?! そっ……、そうなんだぁ~……」
彼女はそう言うと、少しの沈黙の後、
「夢……、だったもんね! おめでとう……」
そう祝福してくれた。
「あ、ありがとう……」
「どこへ行くの?」
「最終的な決定は、今、人事の方で調整中なんだ」
「そう~……、なんだね」
「どうやら、かなり遠くへ行くみたいでさ、しばらく……、帰って来られないみたいなんだ」
「そうなの」
「……別れよう」
僕は、彼女に、別れを切り出した。
「えっ?!」
再び、二人の間に、しばし沈黙が続いた後、彼女が、こう切り出した。
「私……、あなたとは、別れられない……」
うつむきがちに、ボソリ。そして、続けて、
「私、あなたとは別れられないわッ!」
と、彼女は、確信にも満ちた、力強い言葉を、僕に投げ掛けてくれた。
「それほどまでに、僕のことを……、ありがとう……」
うれし涙が、ちょちょ切れた。
「……じゃなくて~、そもそも、私たち、付き合ってないから、別れられない!」
「んっ? えっ?! え~~~ッ! あれっ?! ぼ、僕の勘違いだった?」
「そう~みたいだけど」
「ちなみに~、僕のこととかって、忘れられたりする?」
「するするッ!」
「強がってない?」
「ないないッ!」
「本当~に、僕のこと、忘れられる?」
「はいッ! 忘れられるッ! 余裕でッ!」
「よっ……、余裕でッ?!」
ー ガ~~~ン…… ー
こうして、僕は、ドラマティックなラブストーリーを展開することもなく、実に、スムースに、とっとと、転勤して差し上げることになった。
遥か遠く……。
海の向こうへ……。
僕は、勘違いしていた自分があまりにも情けなくて、何だか、泣けて来た……。
もう、ほんとに恥ずかし過ぎて、いっそのこと、北極でも南極でも、どっか遠くへ飛ばしてくれ~ッ! って、心境だ!
数日後。
辞令が出た。
向かい側の島へは、毎日、20分に一本、渡し船のポンポン船が出ている。
毎日、今までよりは、ちょっとだけ、早く起きなくちゃ……。
♪ちょっと、ちょっとだけ……♪
ー ブォ~~~ッ! ー
ちょうど、港の方から、風に乗って、ポンポン船の出港の合図が、聞こえて来た。
明日から、僕は、あのポンポン船のお世話になる。自転車ごと乗せてもらって、こっちの支店から、あっちの支店へ赴任する。
彼女に、「……かなり遠くへ……」、な~んて言っちゃって、海を挟んで、見えとるやないか~いッ!
そっからそこやないか~いッ!
業務上、しょっちゅう往来しとるやないか~いッ!
カッコ悪いやないか~いッ!
僕のタメ息を打ち消すかのように、今日もポンポン船は、一時間に三往復、島から島を渡してくれる……。
ポンポンポンポン、ポンポンポンポン……♪
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