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第一章
波がゆっくりと打ち寄せ流木や小舟があるけれど、浜辺というよりは海に近い小さな砂丘と呼んだ方が相応しいような場所に、その花は咲いていた。
浜木綿。
ヒガンバナ科ハマオモト属の植物。
白い布を裂いたような六枚の白く細長い花びらに、多肉植物を連想させる分厚い葉が特徴的だ。
今はちょうど七月。
浜木綿が咲く季節。
綺麗に花が咲いているな、と思い眺めていると後ろからいきなり声をかけられた。
「浜木綿の花言葉、知っていますか?」
声をかけてきたのは、白いワンピースを着た女性だった。
風になびく純白のワンピースとその美しい顔立ちは、どこか百合を思わせる。
美しい女性だ。
けれど、どことなく別世界の住人のような気がした。
「知りません。何ですか?」
僕と同じ旅行者なのだろう。
そう思いながら聞き返すと、その女性は寂しく儚げな微笑みを浮かべて答えた。
「どこか遠くへ──それが浜木綿の花言葉です」
花言葉と言うと、愛や希望や病院に持っていってはいけないもののような花言葉を想像していたので、その女性が言った言葉は予想外だった。
「遠くへ、ですか?」
僕がそう聞いたのは、『どこか遠くへ』という花言葉を聞いたことがなかったからだ。
それと同時に、そんな花言葉を知っているなんて花屋の店員やもしかしたら植物学者の人なのかもしれないと思う。
図鑑を見たことしかない自分とは違うだろう。
「はい。そう言う私も、どこか遠くへ行きたいと思いここまで来てしまいました。いえ、ここまでしか行けませんでした。あなたはそんなことがありませんか?」
「いえ、そんなことはないですけど」
ここへ来たのも、近くの神社で行われる祭事を見るのが目的であって、浜辺へ来るためではなかった。
勿論、浜木綿のためでもない。
「そうですか」
その女性が寂しそうに言ったので、僕は弁明にはなっていないと思いながらも慌てて言う。
「でも、浜木綿は綺麗だと思います」
「なら、謝らないといけませんね」
その女性はそう言って浜木綿を摘み取った。
花と茎の繋ぎ目の部分から、ぷちりと。
摘み取られた浜木綿から、ふわりと香りが漂う。
「浜木綿は、黒潮にのっていろいろな浜辺へ行けるから『どこか遠くへ』という花言葉がついたそうです。でも、私はどこへも行けません」
だから、私は浜木綿が嫌いです。
女性はそう言うと浜木綿を握りつぶした。
女性の言動がどこか深刻そうで、僕は女性の方を見たくなくて女性の指の間からこぼれ落ちた花びらを見ていることにした。
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