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目を開けると、白くて長いカーテンが風になびいて揺れているのが見えた。
ここはどこだろうとボーッとしながら考えていると、睦美先生が顔を出した。
「真木先生、気分はどう?」
そっか…ここは保健室か。
気分?あれ、私なんで保健室なんか……
倒れた理由を思い出してガバッと起き上がった。
「真木先生、急に動いちゃダメよ。」
「相澤先生どこですか?!私、確かめたいこことがっ……」
「相澤先生なら帰ったわ。」
………帰った?
まだ昼前だよね……
午後から明日の終業式の準備があるのに?
「理事長に呼ばれて、事態が収まるまで自宅待機を命じられたのよ。」
職員室には掲示板を見た人からの嫌がらせと抗議の電話が鳴り止まず、生徒達も騒いでいて授業どころではないらしい。
「真木先生も帰りなさい。校長先生には体調不良って伝えといてあげるから。」
私が寝ている間に、事態はますます最悪な方へと向かっていたのだ……
私、なにをしてるんだろう。
呑気に寝てる場合じゃないのに……
相澤先生に電話をかけてみたけれど、何度かけてもずっと話中だった。
掲示板に、携帯電話の番号まで晒されてしまったのだろうか……
「まったく……これじゃあ10年前となにも変わらないじゃない。」
睦美先生は窓を開け、苛立ちながらタバコを口に加えると火を付けた。
タバコを吸う睦美先生を見たのは初めてだった。
「私……相澤先生の一番近くにいたのに、なんにも知らなかった。」
相澤先生が物心がついた頃には母親がいなくて、家でずっと一人だったって知っていたのに。
それ以上相澤先生の過去に踏み込もうとはしなかった。
相澤先生といられることが嬉しくて毎日うかれていたんだ。
自分は相澤先生にとって特別な存在なんだって思ってた。
なにも…知らなかった。
なにも話してくれなかったはずだ。
私が、頼りなかったんだから──────
睦美先生は煙を勢いよく吐き出すと、高校の時の相澤先生のことを私に話してくれた。
相澤先生は高校では自分の父親がヤクザの組長だということは隠して過ごしていたらしい。
それはヤクザの息子だからということでずっと孤立した毎日を過ごしていたから。
普通の人と同じように学校生活を楽しみたかったのだ……
高校での相澤先生はとても人気があった。
本来の性格は明るいし面倒見は良いし、なによりあの見た目だ。
男子にも女子にも慕われていて、常に大勢の仲間に囲まれていたのだという。
そして…橘 まゆみという同じクラスの女の子と、真剣に付き合っていた。
入学して半年が経ったある日、相澤先生が通う緑ヶ丘高校にガラの悪い連中が訪ねてきた。
そいつらは相澤先生が中学生の頃に、寂しさから入った半グレグループのメンバーだった。
しばらくは一緒につるんでいたものの、盗みや恐喝などの素行の悪さを知った相澤先生はすぐに抜けたのだ。
でも、半グレメンバーはそれを許さなかった。
相澤先生に対する嫌がらせは毎日のように続いたのだが、ある日、決定的な事が起こってしまった。
掲示板で暴露されたあの事件だ。
睦美先生がその日、病院に駆けつけて見た事実はこうだ。
橘 まゆみは服こそボタンがちぎれて乱れてはいたが、それ以上は何もされてはいなかった。
一方、相澤先生は大怪我を負い、一時は意識不明の重体だった。
報復として無理矢理犯そうとした半グレのやつらから、相澤先生は命懸けで彼女を守ったのだ─────
でも…彼女のお父さんは相澤先生を見舞いに来た桐生会の組員を見て、相澤先生がヤクザの息子なのだと知った。
「娘はヤクザの息子なんかと付き合ったからこんな目にあったんだ!!」
病室で激高して罵る父親に、相澤先生は何ヶ所も骨折した体で、組員が止めるのも聞かずに土下座をして何度も謝った。
学校でも相澤先生の親がヤクザなのだと知れ渡り、今回の事件も相澤先生が主導でやったんだろうと根も葉もない噂が流れた。
相澤先生は一切の言い訳をせず、退院後も学校に行くこともなく、辞めてしまったのだという……
その時の相澤先生の気持ちを考えると、悲しくて涙が止まらなかった。
やっと見つけた居場所が、いとも簡単に壊れていく……
相澤先生は必死で守ろうとしたのに、その思いはなにひとつむくわれることはなかったのだ……
睦美先生はタバコの火を灰皿でもみ消すと、ため息をつきながら髪をかきあげた。
「心配なのは……今回も言い訳を一切せずに辞めちゃうんじゃないかってこと。」
相澤先生が学校を辞める?
そんなっ……─────────
「相澤先生っ!!」
急いで家に帰って相澤先生の名前を呼んだが、家の中はしんと静まり返っていた。
相澤先生の荷物がない……
リビングの机の上には、相澤先生の字で書かれた置き手紙があった。
震える手でそれを持ち上げ、床にへたり込んだ。
「迷惑かけれないから出るよ。ごめんな。」
これは…なにに対してのごめん……?
相澤先生はなにに対して謝っているの?
ヤクザの息子だと秘密にしてたこと?
私を一人残して家から出たこと?
私を泣かしてしまったこと?
クリスマスイヴの約束が、守れそうにないから……?
確かめたくて電話をかけたけれど、電源が切れているとのアナウンスが虚しく流れるだけだった。
なんで……
なんでなにも言ってくれないの………
言い訳してよ……相澤先生─────────
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