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体育館では全校生徒を集めての終業式が行われていた。
いつもと同じ、なにも変わらない終業式。
そこに相澤先生がいないということ以外は……
いないことがこれからも当たり前のように続いていくのだろうか。
そう思うと辛くて……
一晩中泣いたのに、また目の奥がジンと熱くなってきた。
校長先生が壇上で話をしている最中、体育館の扉が開いてPTAの保護者が大勢流れ込んできた。
「一体どういうことなのか説明してっ!!」
「こんな危険な教師がいるだなんて聞いてないわっ!」
どうやら相澤先生のことが書かれたQちゃんねるの掲示板を見て抗議をしに来たようだった。
掲示板では高校の時に起こした事件を始め、強盗で少年院送りになっただとか女子生徒に手を出しているだとか、あることないことが書かれまくっていた。
あんなの…全部信じる方がどうかしている……
静かにしていた生徒達もザワつき出した。
教頭先生が会議室へと案内しようとしたのだが、今すぐ相澤先生を辞めさせろと口々に言い始め、収拾がつかないほどの大騒ぎとなった。
おば様パワーに対応に当たった先生達が圧倒される中、私はPTA会長である奥様に話しかけた。
「あのっ…相澤先生はそのような教師ではありませんので。生徒も動揺しておりますし…とりあえず、会議室で誤解を解かせて頂けませんか?」
この人は教育評論家で、毒舌コメンテーターとしてテレビでも活躍している。
決して怒らせないようにと教頭先生からお達しが出ている要注意人物だ。
先ずはこの人を説得しないと、収まるものも収まらない。
「あなたは確か、相澤先生のクラスの副担任よね?」
会長は眉間に深いシワを寄せながら、値踏みするかのように私のことを上から下までジロジロと睨みつけてきた。
「随分相澤先生の肩を持つのね。まさかいかがわしい関係なのかしら?」
……い、いかがわしい?
私と相澤先生は教師同士で付き合ってはいるが、人から責められるような関係ではない。
相澤先生は仕事とプライベートはきっちり分ける人だし、職場での私への態度は誰よりも厳しく、的確に指導をしてくれている。
「まさか学校でふしだらな行為をしてるんじゃないわよね?ああやだっイヤらしい!!」
この人は一体なんの想像を膨らませているのだろうか?
付き合ってませんと否定をしたらいいのだろうけれど、嘘を付くのも違う気がする……
かといって真面目にお付き合いしていますと宣言したところで、火に油をそそぐのが目に見えていた。
その後も会長の妄想は止まらなかった。
なぜだか私が槍玉に上がっているのを耐えていると、誰かが私の肩を後ろからそっと支えた。
「おばさん。あんまりマキちゃんのことをいじめないでくれる?」
き、菊池君……?
菊池君からおばさんと言われ、会長の顔は怒りでカーっとどす黒く染まった。
頭から角が出るんじゃないかと思えるほどに、怒りを露わにした人を私は見たことがない。
ものすっごくヤバいのではないだろうか……
「菊池君。おばさんだなんて失礼ですよ。こんなに素敵なマダムなのに。」
桐ヶ谷先生が会長の肩を後ろからそっと支えながら現れた。
突然のことに驚く会長に、桐ヶ谷先生は妖艶に微笑んでウインクをした。
「ああ…本当だ。僕はなんて失礼なことを……心からお詫びを申し上げます。お美しいマダム。」
菊池君は私をポイと放り出すと、マダム……じゃなかった、会長の手をうやうやしく握りしめ、自分の顔に近づけて頬ずりをした。
二人の色男に挟まれ、マダム等と持ち上げられた会長は一気にヒートダウンし、顔を赤らめながらモジモジとしていた。
菊池君と桐ヶ谷先生のこのやり取り────
芝居ががっているなと感じるのは、私だけではないだろう……
玉置君が大きな紙袋を五つ持って現れ、PTAの人達の前にドスンと置いた。
「一年399名。二年397名。三年398名。OB185名。計1379名。これが俺達生徒からの、相澤先生への意思です。」
紙袋の中には、相澤先生を辞めさせないようにと願う、全校生徒と卒業生の名前と住所が書かれた署名が入ってあった。
「玉置君……こんなのいつの間に?」
「二年B組の皆で協力して集めたんだ。」
二年B組の方を振り向くと、クラスの子達が手を振ったりガッツポーズをして見せてくれた。
────みんな………
ヤクザの息子だと知っても、あんなネットの噂じゃなく、相澤先生を信じてくれたんだ……
生徒達の強い思いに、抑えていた涙が溢れてきてしまった。
保護者達はお互いに顔を見合わせ、気まずそうな空気が流れ始めた。
「相澤先生の自宅待機はあくまでも身の危険を案じてのことです。」
コマさんが壇上のマイクの前に立っていた。
いつも作業着なのに仕立ての良さそうなスーツを着ている……
髪も綺麗に整え、銀縁の眼鏡を付けていた。
「真木先生は知らないんですね。コマさんがこの学校の理事長なんですよ。」
キョトンとしている私に桐ヶ谷先生が教えてくれた。
コマさんが理事長?!
ずっと用務員のおじいさんなんだと信じて疑わなかった!!
教育の現場を任されいるのが校長先生で、経営の責任者が理事長である。
学校のトップである理事長が用務員の仕事をしているだなんて……
私、飲み会でいっつも酔っ払ってはコマさんに軽口叩いてたんだけど……
「私は相澤先生の素性も過去にあった出来事も全て理解した上で彼を雇いました。もし、問題があったとしたらそれは私の責任です。」
コマさんは高い壇上から失礼しますと言うと、最敬礼のような深いお辞儀をした。
「彼を辞めさすのなら、どうか私を辞めさせて下さい。」
PTAの人達はとんでもないと全員が首を振って恐縮した。
最初に乗り込んできた勢いは既になく、中には騒ぎ立ててごめんなさいと謝る者まで出てきた。
「私は相澤先生のことを、この騒ぎが落ち着いたら復帰させるつもりでいます。宜しいですね?」
柔らかな物言いだけれども、コマさんから漂う有無を言わせぬオーラに、保護者達はうなずくしかなかった。
コマさんて…凄い人だったんだ……
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