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相澤先生のお父さんが入院しているのは一人部屋でも特別室と呼ばれているもので、この病室数の多い総合病院で一番ランクの高い部屋だった。
ヤクザの組長さんだし、部屋の前にはガラの悪い組員がズラリと並んでいるのだろうなと思うと緊張してきた。
でも、意外にも廊下にいたのは普通のサラリーマンぽい人達ばかりだった。
良かったとホッとしたのに、こちらに気付くと全員の眼光が鋭く光ったので殺されるかと本気でビビった。
相澤先生が構わず近付いていくと、組員達は背筋をピシッと揃えて直角に頭を下げた。
「ボン、お久しぶり─────っす!!」
相澤先生…この人達からボンて呼ばれてるんだ……
大の男達が揃って頭を下げる光景は異様だった。
改めて相澤先生が組長の息子なのだと実感せずにはいられなかった。
「そんな大層な挨拶するのは止めろ。親父は?」
ここ……病院だよね?
通された部屋は昨日泊まったスウィートルームに引けを取らないくらいの豪華さだった。
奥の窓際に置かれたベッドには、こないだのおじいさんがたくさんの管に繋がれた状態で上半身を起こして座っていた。
目だけで相澤先生のことをチラリと確認した。
「乳臭い匂いがすると思ったら、ドラ息子か。」
「まだ生きてんのか。このくたばり損ないのクソじじいが。」
10年ぶりの再開なのに感動的な要素が微塵もない。
しょっぱなからなんなの?険悪さMAXじゃん……
お父さんを睨みつける相澤先生の袖を引っ張って軽く咳払いをした。
相澤先生、喧嘩売りに来たんじゃないんだからっ。
「手術嫌がってんだってな。なんの病気なんだ?」
「……“痔”だ。」
見るからに具合が悪そうなのに、痔……?
相澤先生の眉間に深いシワが入り、イラついているのが伝わってきた。
「嘘つくな。なんでそれで手術を嫌がんだ。」
「担当が綺麗な女医さんなんでのお。」
「良い歳して色気付いてんじゃねえ。手術しろ。」
「惚れた女にケツの穴見せんのは誰でも嫌だろ?」
「ふざけたこと言ってねえでさっさと手術しろっ!」
「赤の他人のおまえさんには関係ない。」
ブチンときたのか相澤先生はお父さんの胸ぐらを掴んだ。
びょ、病人なのに!!
「関係なくねえんだよ!てめえが手術しないとこいつが……!!」
「相澤先生っ!!」
おぉおいっ相澤先生!!
なにを発表ようとしてんの?!
相澤先生の口を抑えてなんとか止めたのに、お父さんの方から口にしてきた。
「ヤラせてもらえんのだろ?一緒に住んどるくせにまだとはなあ。尻に敷かれやがって、傑作だっ。」
お父さんは楽しそうにカーカッカッカッと高笑いをした。
なっ……なんでそれを知ってるの?
「……てめえ…まさか組員使って俺の事コソコソと嗅ぎ回らせてんのか?」
「誰がおまえなんか。自惚れんのも大概にしろ。」
お父さんは私の方を見て、両頬にえくぼを見せながらニッコリと笑った。
「そうだマキマキちゃん。これ食うか?」
「えっ…あの……」
思わず受け取ってしまったのだけれど、それは赤い箱に入った大きな豚まんだった。
私の名前…名乗ってもないのに親しげに呼んでくるし……
相澤先生のこめかみの血管がピクピクしている。
「関西にしか出店しとらん店のだ。コンビニのよりこっちの方が格段に上手いぞ?」
それって……昨日相澤先生がコンビニで豚まんを買ったことも知ってるってこと?
一体、どこまで把握しているんだろう……
全身がカアッと熱くなってきてしまった。
「こんのクソ親父!!」
「相澤先生っダメだって!!」
ぶち切れた相澤先生が殴りかかろうとしたので必死に止めた。
相澤先生は大きく舌打ちをするとベッドを蹴って病室から出て行こうとした。
「わ、私……」
せっかく会えたのに…こんな終わり方ってない!
「相澤先生のこと、幸せにしますからっ!!」
病室内がシーンと静まり返った。
あれだけ怒り狂っていた相澤先生も、呆気に取られた顔で立ち止まっている。
あれ…ちょっと待って。これって……
「逆プロポーズか。こりゃあ良い!」
お父さんの言う通りだ。
まるで結婚を申し込みにきた彼氏みたいになってしまった。
二人でこれからも幸せに暮らしていきますって伝えたかっただけなのに……!
お父さんがこりゃめでたいと言って拍手をすると、廊下にいた組員さんからもヒューヒュー言いながら冷やかしの言葉が乱れ飛び、続いて三三七拍子まで始まった。
「式は白無垢も着るのか?」
「そ、そんなんじゃないのでっ……!」
待って待って。止めて止めてこの茶化すみたいな雰囲気!
相澤先生が真っ赤になる私を背中で隠すように庇ってくれた。
「俺の女で遊ぶんじゃねえ……殺すぞ。」
相澤先生が一言いうと騒ぎはピタリと収まった。
更に険悪な雰囲気になってしまった。
二人が会えばなにかが変わるんじゃないかと思っていた数分前の自分を殴りたい……
相澤先生…お願いだから冷静に話をして……
祈るような気持ちで相澤先生の背中をギュッと握りしめた。
相澤先生の口から、小さなため息がもれる……
「……俺の生徒が…関東興業のヤクザから脅された時、コトが気味悪いくらいにスムーズに解決したんだけど、あんた裏から手助けしてただろ?」
─────それって…菊池君のこと……?
「なんのことだ。知らん。」
お父さんはベッドの上で両手を上げて大きな伸びをした。
相澤先生が気持ちを誤魔化す時によくする癖だ……
あの時、菊池君のことを助けてくれたのはお父さんだったんだ……
お父さんは相澤先生の背中から顔を出して覗いている私と目が合うと、優しく微笑んだ。
「やっと見つかったんだな。おまえの居場所が。」
相澤先生はお父さんとはこの10年、ずっと音沙汰無しだって言っていた。
でも違う……
きっと…影からずっと、相澤先生のことを見守っていたんだ。
「親父……本当の病名はなんだ?」
「痔だって言っとるだろ?ケツに響くからもう帰れ。」
そんな軽い病気のわけがない……
こないだ会った時より痩せている。
短時間でこんなに痩せるなんて不自然だ。
「おい、バカ息子を車で送ってやれ。」
「歩いて帰れるわ!すぐそこなの知ってんだろ!」
近付いてきた組員を振り切るように、相澤先生は私の手を引っ張って病室を出た。
特別室の部屋の扉が、どんどん遠ざかって行く───
「相澤先生っ、お父さんの本当の病名聞かなくていいんですか?!」
私を握る相澤先生の手が弱々しく離れた。
肩を落とした背中が、小さく震えている……
「あいつはいつだってそうだ。俺に肝心なことはなにも言いやがらねえ……いっつも、いっつも………」
拳を握りしめ、廊下の壁を激しく叩いた。
「大っ嫌いだ!あんな……クソ親父っ………」
………相澤先生──────
相澤先生の行き場のない悲しみが全部……このまま涙と一緒に流れてしまえばいいのに………
いつか
今日あったことが良かったと思える日がくるようにと願いながら
私も泣きながら……
相澤先生のことを強く、抱きしめた───────
年が明けて直ぐに、相澤先生のお父さんが亡くなったという知らせが届いた。
ステージⅣまで進んだ末期の大腸癌だったらしく、既にあちこちに転移をしていて、手術をしても、助かる見込みはなかったのだという……
明日死んでしまうかもしれないとわかってから、どうしても相澤先生に一目会っておきたかったのだ。
桐生会の組長であり、神戸川中組の幹部でもあるお父さんの葬儀は関西で壮大に執り行われた。
相澤先生はその式には参列しなかった。
ヤクザの看板でやる葬儀は組の行事ごとで、遺族は遺族で別に葬儀をすればいいという考えなのだという……
あんなたぬきじじいの葬式なんかあげねえけどなと、相澤先生は寂しげ気に笑った。
ある日いつものように晩御飯を食べていると、相澤先生がおみそ汁をすすりながらポツリと呟いた。
「春になったら俺の母親の墓参りに行こうか。」
「お母さんの、ですか……?」
相澤先生は気まずそうに私から目を逸らした。
「そこの霊園、桜がすげえ綺麗なんだよ。お袋にもマキマキのこと見せてやりたいし……」
お母さんとお父さんは同じお墓で眠っている。
「逆プロポーズされましたってちゃんと報告しないとな。」
「あれはっ……忘れて下さい!」
二人とも良く似てるよね。
本当、素直じゃない親子────────……
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