室咲き

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室咲き

「宗政様、あの」 椿姫が困惑していると、宗政はそのままう後ろを向いて、後ろ手にガウンを渡した。 「書斎の右のドアを開ければ、洗面台に繋がっているから」 「……はい」 椿姫は、宗政に渡された厚手のガウンを肩にかけて、宗政の書斎を後にした。 (……すごい) 椿姫は、初めてこの部屋を見た。椿姫の部屋にも洗面台用の部屋があるが、そこは全て可愛らしい様式の、まるでお姫様が使うようなものが置かれた部屋で、今見ている部屋とはまったく違っていた。 床と天井、そして壁全てに大理石が敷かれ、洗面台は、装飾華美ではないにしても、鏡に添うように刻みこまれた草花と、鳥の彫刻は目もあやなようだ。 「目が真っ赤だわ」 椿姫の目は大いに腫れていた。椿姫はなんだか恥ずかしくなって、鏡から目をそらした。 しかし、はやく支度をしなくては宗政を待たせてしまう。どうしたものか。 そもそも、椿姫は、目が腫れたのを治す方法を知らない。 どうしたものか、と考えていると、宗政の部屋に通じるドアから二度ドアの叩かれる音がした。 「椿姫様、茂子でございます。入ってもよろしゅうございますか」 よろしゅうもなにも、入ってきてもらわねば、困る。椿姫は内心で安堵の溜息を吐いた。 「いいわ。入って」 椿姫は言うと、茂子はさっそくドアを開けた。そして、思わず両手で持った熱湯の入った陶器の器を落としそうになった。 それもそうだろう。大層麗しい自らの主が、変わり果てた姿で、朝日をあびて立っているのだから。 しかし、それも一瞬のことで、茂子は直ぐに顔を元に戻し、極めて冷静に椿姫の後ろに立った。 そして陶器の器を洗面台の右に置かれたアンティークの机の上に置き、まっさらなエプロンの右ポケットから琥珀色の液体が入った美しい切子細工の瓶と、竹で作られた櫛を取り出し、洗面台の左にある小さな木の棚の上に置いた。 そして茂子は棚の中から若紫色の液体が入ったガラスの瓶と、一番下の段の引き出しからフィンガーボールほどの入れ物を取り出し、洗面台の水を入れ、棚の上に置いた。 そして、椿姫は洗面台の前に立ち、茂子に好きな様にさせる。 「まずは、目の腫れを治しましょう。完全に治るわけではないですが、幾分かは治るはずです」 本当は、昨夜、宗政と椿姫の間になにがあったのかを聞きたかったが、使用人の長として、それは出来ない。茂子は努めて平静を装って、ぬるま湯の入った器、腕にかけていたタオルを浸す。すると漂う湯気から馨しいラベンダーの香りが漂った。 「目元にしばらくこれをあてていてくださいませ」 茂子は、ぬるま湯に浸したタオルを椿姫に手渡すと、次は左に置いた切子細工の瓶から琥珀色の液体を取って自らの手に塗りこみ、椿姫の髪に差し入れて竹の櫛を手に取り、ゆっくりと、丁寧に髪を梳いていった。 「後で湯あみの準備をさせます。その後でもう一度、きちんと髪を整えますので、今はオイルを少しと、髪をリボンで緩くまとめておくだけにしましょう」 茂子は、さっさと主の陽光に輝く濡れ羽色の髪を整えていく。 すると突然、椿姫が目に当てていたタオルを目から離して、くるりと茂子の方を向いた。 先程より、いくぶんかは目の腫れがましになっているような気がする。 「椿姫様、いけません。タオルを剥がしては────」 「茂子、わたくしはもう大丈夫だわ」 「……は」 椿姫のいきなりの言葉に、茂子は驚いて、言葉がでない。 「宗政様と、ちゃんと話し合うことができましたの」 姫は涙でかぴかぴになった皮膚がひきつるのを感じながらも、自然に口角があがったのを無意識に理解した。 「だから、椿姫はもう大丈夫ですわ」 椿姫は、これまで茂子がみたなかで、もっとも美しい顔で笑った。 「……左様でございますか」 茂子は、それしか言えなかった。 椿姫の顔が心なしか、湖面に映るように見えるのは気のせいか。否、気のせいではなさそうだ。茂子は咄嗟に、目からふきだす熱いものを堪えるために目頭を押さえた。 「ありがとう、茂子。今まで、たくさん、ごめんなさい」 椿姫は、そう言って、もう一度タオルをぬるま湯に浸し目にあてて、前を向いた。 「さあ、早く目の腫れを治さなくっちゃ。茂子、早くなさい」 「……かしこまりました。」 椿姫の耳はこころなしか赤いような気がした。おそらく照れているのだろう。茂子はそのことが分かって、ふふっと笑いを零してしまった。 すると椿姫は、より一層、耳を赤くして、唇を引き結んだ。 そして、茂子はまたゆっくりと椿姫の髪を梳きはじめる。 花冷えによって冷えた部屋の中は、いつのまにか、2種類の花の香りで満たされ、涼風至る外では晴れ渡る空に溢れんばかりの光を注ぐ太陽が、二人を窓越しに優しく照らしていた。
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