後のこと

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後のこと

椿姫と宗政が仲直りをしてから二週間がたった。 宗政の椿姫に対する寵愛はいや増すばかりで、屋敷の使用人達は困り果てていた。 まず、朝起きる時間が変わった。今まで宗政と椿姫は共に朝食をとることなど稀なことであったし、まして二人が同じ時間に起きることなどなかった。しかしこれからは宗政が椿姫の起きる時間に合わせて起きると言い出し、それが椿姫と共に食事をとるためという。 とはいえ、椿姫の起きる時間は9時だ。普通のサラリーマンであれば、会社にいて、会社の人間への挨拶を終え、働く準備をしている時間ではないか。 それではまずいので、宗政が今まで起きていた時間の七時と間をとって八時が2人の起きる時間となった。すると2人の使用人達が一斉に動き出すことになったため、慣れない使用人達は目を白黒させていた。 「社長はすこし早く来すぎるくらいでしたし、別に良いのではないですか」 これは芹沢の言葉だが、宗政は確かに仕事が出来過ぎる上に実は部下を大切にしすぎるきらいがあるため、部下より遅れてくるということなどなかった。芹沢を除いてだが。 次に変わったのは、宗政の帰宅する時間である。 今まで九時と早い時もあれば、深夜と遅くなる時もあったりとまちまちな帰宅状況であったが、なんと帰宅時間が夜九時と統一された。すくなくともこの2週間はそうである。 そして一番変わったのは、宗政と椿姫が共に眠るようになったことだ。 これには、茂子は涙を流して喜び、上田はこっそりと頬をゆるませていた。 2人で仲直りをした翌日の夜は、まるで初夜の時のように、頬を赤らめながら二人は寝室の扉開いて、中に入っていった。その様子を見た使用人達は、なぜかこちらが恥ずかしくなり、皆で頬を赤らめるという異様な状況にあった。 二人が仲直りしたことは、社交界にも流れ(宗政が意図的に流した)、2人は社交界一のおしどり夫婦という名の言われに戻った。 「社交界一のおしどり夫婦ってキャッチフレーズ、気にいっていましたのに」 残念そうにする麗花に、利史は「じゃあ、世界一のおしどり夫婦になろうか」と言って、二人の世界へ入っていったのはご愛敬というものである。 しかし、これらのことが、使用人達を困らせているかと言えばそうではなかった。いや、すこし困惑するところもあったが、それは塵ほどに等しく、使用人を辟易させるには至らない。 なにがそれほど、使用人達をこまらせているのかといえば、宗政の椿姫に対する愛情が過去を凌駕するほどに凄まじいことである。 2人の関係が良好になり始めたと思ったら、その傾きは日を追うごとに角度をつけ、そして今や直角になりそうな勢いである。 仕事から帰ってくるたびに宗政はなぜか花束を買ってきて、出迎えにくる椿姫に手渡しては「椿姫ちゃんよりは綺麗じゃないけどね」と囁き、椿姫を抱き上げ、自分の部屋へ連れ去ろうとしてしまう。 そして椿姫が手に持っていた花束は使用人の手にわたされるのだが、まずこの花束自体、1つで何万円もするものである。使用人達はその大きな花束を挿す瓶(もはや壺)を宝物庫からとりださねばならない。そしてその宝物庫の鍵は使用人頭である茂子と上田しか持つことを許されていない。もう老齢と言っても良い2人にとって重すぎる器は2人の腰を痛めつけるし、なにより、花の手入れが大変なのである。枯らせば椿姫が悲しむし、悲しむ椿姫の顔を見れば、宗政が怒り出す。使用人達は主人の世話でも手一杯であるというのに、もう六つほどある大きな花瓶で満開の花を咲かせる花束の手入れまでして、見ていて憐れなほどの忙しさである。 だからといって、若い使用人ばかり増やしては、それはそれで面倒なことになる。 つい先日派遣で来た20代前半の使用人が椿姫と面会した途端、男は分不相応にも椿姫に恋をしてしまった。昔からこのようなことはたびたびあったが、懸想してもかなわぬ恋であると大体の人間は理解し、上手く心にとどめるのだが、男の想いは「色に出でにけり」な状態で、なんと椿姫の部屋に忍びこんで、手紙まで置いてしまうという始末であった。しかしその手紙に最初に気が付いたのは、椿姫の部屋で、椿姫とともにお茶を嗜んでいた宗政で、男はなにせその手紙に名前まで書いてしまっていたから、ばれてしまった後すぐさまこの屋敷から追放された。 かといって女性であれば、また逆のことがおきるのだ。 こうなると、既婚しており、なおかつ住みこみで働くことのできる人間となるから条件は最悪だ。 しかしほんの1日前、椿姫が宗政にこう嘆願した。 「茂子が少し疲れている様子でしたの。宗政様、どうにかなりませんこと?」 すると宗政はすぐさま条件の改善を急がせた。そして完成した条件を、高い給料に、住み込みでなくとも良いことにして、なおかつ賄いつきという破格のものにした。まだ結果はでていないが、おそらくたくさんの人間がくらいつくであろう。 このように、この2週間で様々なことが変わり、使用人達を焦らせたが、やはり自らの主人たちが仲睦まじいのは良いことだ。使用人達は忙しそうにしながらも、とても良い顔をして働くようになった。もちろん今までも真面目に働く人間ではあったが、よりいっそうその働きの質をあげ、主人に尽くすようになった。 それにより屋敷の雰囲気は格段に柔らかくなり、目に見えぬ緊張からも解放された。 「椿姫様と、宗政様、とても幸せそうですね」 「はい。我が主の幸せが私達の至上の幸福です」 雪絵がぼそりと呟いた言葉に、上田は使用人の鏡であるような言葉を返した。その言葉は心からの言葉であったのだろう。滅多に表情をあらわにしない上田の瞳が少し潤んでいるように見えて、雪絵は開きかけた口を閉ざし、自らの主がにこやかに笑う姿へと視線を移して、みていないふりをした。
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