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白き薔薇と深紅の薔薇Ⅲ
茂子は応接間に入ると、既に椿姫と花蓮が何か神妙な顔で話していた。
とはいえ花蓮の顔は、彼女が上座に座る椿姫の反対側に座っているために見ることが出来ないのだが、茂子から聞こえる声は、既に袖の濡れるような声で、痛々しいものだった。が、茂子の心にはなにも響かない。それは雪絵も同じのようで、何も感じていない虚無を映した顔で、じっと椿姫と花蓮の会話を聞いているようだった。
「あら、茂子」
「奥様。お茶をお持ちしました」
茂子が言うと、なぜか、花蓮が小さな肩を震わせた。茂子はお茶を準備するために二人の間に置かれたローテーブルの横に立ち、運んできたお茶の準備を整えて、まず椿姫の方からティーカップを並べていく。そして花蓮の前へティーカップを置いた時、一瞬、花蓮の顔を盗み見た。そして案の情、花蓮の顔はやはり涙に濡れ、みていて憐れになるほどのものだった。
「話を進めてよろしいかしら?月島さん」
椿姫は茂子の方から目を離し、目の前に座る花蓮を見つめた。まだなにかきついことを言った覚えなどないのだが、なぜか目の前に座る女は涙を流している。
そんな女に椿姫の心は朝まで好晴ほどに晴れ渡っていたのに、今や曇天だ。そして雷まで落ちそうなほどに、その靄は心を覆いつくし、雨など当然のごとくに吹き荒れているようだった。
「それで、結局あなたはなんの御用でここへいらしたの」
椿姫は毒の含んだ声で花蓮に声をかけると、花蓮は泣きぬれた顔を持っていたハンカチで拭い、嗚咽をかみ殺すようにして言葉を吐いた。
「む、宗政様に、お話が」
「わたくしの旦那様を、名前で呼ばないで」
椿姫が刃のごとくに鋭い声を投げると、花蓮は肩をびくりとさせて、押し黙ろうとする。
「黙らないで。わたくしは御桜町家当主の妻として、あなたに聞く権利があるはずですわ」
椿姫が言うと、花蓮はふいに顔を上げて、椿姫をキッと睨みつけた。
「やっぱり……椿姫様は宗政様のお家のことしか考えていないのですか?」
「なんですって?」
椿姫は花蓮の言葉に呆然とした。あまりに的外れな事を言う花蓮に、雪絵も、そして茂子も憤然とするより、呆れてしまう。
「つ、椿姫様はいつもそうでした。宗政様は椿姫様のことを心から愛しているのに、どうして椿姫様は宗政様を見てさしあげないのですか」
「……」
椿姫は、なにも言葉を紡げなかった。花蓮のいうことが全て正しいとは思えないが、それでも自分の悪いところを指摘されたのはとても痛かったからだ。
たしかに昔、宗政が仕事で自暴自棄になり、心が不安定になった時、傍にいなかったのは自分だ。そして、宗政が日本に帰ってきてからも、宗政の心に潜む闇に眼を向けず、離れていく心だけを追いかけた。だから、花蓮の放つ言葉が、いかに彼女が自分自身のことを棚にあげていようとも、椿姫には言い返すことなどできなかった。結局、一番宗政がつらい時に、宗政の心に安らぎを届けたのは彼女で、椿姫はなにもしなかったのだから。
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