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花咲く都の
京都にたどり着いた茂子と麗花は、さっそく京都駅近くの旅館を用意した。
旅館につくと、麗花達を待っていたのであろう旅館の従業員達が大勢で迎えてくれる。
『茂子……あなた、なんて言ったのよ。こんなに大勢が出てきちゃったら目立つじゃない』
『え…いえ、秋草ですと申しただけなのですが』
『もうっ……秋草なんて言ったらすぐにばれちゃうじゃない!この旅館の従業員は皆、ここのオーナーの親族なのよ』
『しかし偽名を使うのはあまりよろしくないのでは』
『茂子は本当に真面目よね。…そういうとこ嫌いじゃないけど、もうちょっと融通を利かせて頂戴』
頬を膨らませていじける麗花に、茂子は身をすくませた。
『申し訳ございません、麗花様。以後、気を付けますわ』
『ええ、ええ。そうして頂戴』
こうして茂子と麗花が小声で(全部聞こえている)話している間に、旅館の部屋へと通された。
旅館の中は純和風の部屋で畳の良い香りがする。どこからどう見てもホテルとして仮定するに、スイートルーム程のグレードがある部屋は、上品でいて豪奢であり、京都の古き良き伝統の香りがした。部屋に飾られているのは、どれも漆で塗られた工芸品だとか、香木を焚き染めるための墨や白い灰、あるい玉露の茶葉や、京焼の器であったりとどれもこれもが一級品のものばかりであったが、茂子の目にとまったのは壁際にかけられた一際大きい白檀の扇だった。
『報告の者達から連絡はあった?…どうしたの茂子?』
『あ、申し訳ありません。』
『まったく、しっかりして頂戴。茂子は日本文化に触れる機会があまりなかったの?』
『はい。もう何年も日本に住んでおりますが、実際、東京での仕事の方が多かったものですから』
『……そうなの』
『はい。ところで先ほどの麗花様の質問に対する答えを申し上げてもよろしいでしょうか』
『あら、聞いていたのね』
『もちろんでございます。報告の者達からの連絡によると、どうやら麗花様のおっしゃいました2つのうちもう1つの方でそれらしき家があったそうです』
『あら、左京区の方?』
『はい、そのようです。……しかしなかなかに、その家の者との接触が難しいようでして』
『そんなの、簡単よ。私が行けばいいわ』
『えっ!しかし、そんなことをすれば春野家から何を言われるか』
『心配ご無用よ。私は、春野家当主夫人から預かったものを返しにいくだけなんだから』
『どういうことですか?』
『あなたには見せていなかったわね。あのメッセージカードと一緒にもう一つ、分厚い封筒があったでしょう』
『そういえば……あの封筒にはなにが』
『札束よ』
『!?』
平然とした様子で言い切る麗花に、茂子は内心の動揺を隠しきれなかった。
『なぜ、そのようなものを…』
『お家同士、まあいうなれば私達のような名家同士の結婚では莫大なお金が動くものだと聞いたわ…おじい様は好きな人と結婚してくれればそれで良いと言ってくださるけれどね。夫人はおそらく、あのお金を頭金として利史様と結婚しろと言っているのね。私のことを恋に盲目的で金に目がない馬鹿な令嬢だとでも思っているのかしら』
利史の生母である春野家当主夫人は、それはそれは賢い人物であると言われているが、ここまでくると血迷っているとしか思えない。
どうして、こうもあからさまな方法をとっているのか。
『…時秋様に家督をお譲りになりたくないのでしょうか?』
『ありえなくはないわね』
春野時秋は春野家の次男である。しかし利史とは腹違いで、現春野家当主が密かに囲った愛人の生んだ子で、実際には当主夫人の実子として育てられているようであるが。
『利史様がこうなってしまった以上、当主代理は時秋様がしていらっしゃるのでしょうね』
『そのね。全く、正妻と愛人の関係はいつの時代も変わらないわね』
『しかし、現当主様は夫人を深く愛していらっしゃるようにお見受けしますが』
『ええ、そうよ。そのとおりよ。だから余計にわからないわ。どうして当主様が愛人をお作りになったのかが』
考え込む麗花に、茂子はかぶりをふった。
『いけません、話が逸れてしまいましたわ。……どういたしますか。タクシーでは少々目立ちますでしょうし』
『あら、いいのよ、目立って。別に悪いことをするのではないのだから。むしろもっと目立つ車に乗ったほうがいいわ』
『な、なるほど』
急いで支度を始める麗花を手伝いながら、迎えの車を手配し終わった茂子はふと疑問に思ったことを口にした。
『……利史様にお会いになってどうするのですか』
『どうしたの?急に』
『いえ、ただ気になっただけでございます』
茂子がそう答えると、麗花は少し考え込んだ後、いたずらを企んでいるような顔をした。
『そうね、まずは再会を喜びあうわ』
なにやら的外れなことを言う麗花に、茂子は眉間に皺を寄せる。
『いえ、そういうことではなく────』
────♪~♪
茂子が言いかけた時、旅館の電話がなった。おそらく旅館のフロントからだろう。
案の定、茂子のとった電話から聞こえてきたのは妙に明るい口調のフロントの者からだった。
なんでも、手配した車があと、十分ほどで到着するらしい。
そのことを了解した茂子は受話器をおいて、麗花にそのことを知らせた。
『あら、意外と早かったじゃない。それならフロントに行って、お茶でも飲んで待っていましょう』
いつのまにか支度を終えた麗花は、意気揚々と部屋から出ていった。
『お、おまちください』
茂子はその後を急いで追いかける。
長い、長い、木の良い香りがする回廊を急いで歩く。
この時、茂子の胸の中では小さな高揚感のようなものが生まれていた。本来であれば、自らの立場というものを危ぶんで麗花を止めなくてはいけないはずなのに、どうしてか、それをしようとは思わない。
見てみたいのかもしれない。このどうしようもなく若く情熱的な恋の行方を────。
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