1592人が本棚に入れています
本棚に追加
/129ページ
蕾
それからというもの目まぐるしい日々が続いた。
利史は約束通り、麗花に彼の名前を書いた婚姻届を送り、それを麗花が役所に出して、二人は晴れて夫婦となった。
二人が起こした突然の行動に、春野もそして秋草の家も当然ながら困惑し、両家共に急いで話し合いの場を設けることになり、実際、話し合いの場が設けられたのだが。
『私は彼女と結婚したい』
『私は、利史様と結婚したいですわ』
二人の意思が固かったこと。
さらに意外なことに、麗花を溺愛する秋草雄一郎が
『麗花が選んだのであれば、間違いないのだろうよ』
と苦し紛れではあったが、太鼓判をおしたために、両家間ではさほど大きな問題が起きることはなく二人は周知の結婚を果たした。
さらに社交界では、あれだけお互いを敵として見ていた両家がこうも簡単に結びついたことに、大きな驚きが運び込まれたが、それよりもしばらくの間、春野家当主代理を務めていた時秋が春野の当主になるのか、それとも秋草の令嬢を花嫁とした利史が春野家当主になるのか。そのことが、社交界では話題となった。
そして、社交界が懸念していた通り、やはり秋草の家には波紋が広がっていた。
突如として敵方でありながらも由緒正しき花嫁を連れてきた利史に、春野時秋は内心で強く反発した。
彼は愛人の子である自分に、やっと当主の座が舞い降りたことに歓喜していたのに、屋敷を追い出されたはずの兄が戻ってきたと思ったらなんと、あの秋草の令嬢を連れてきて、『彼女と結婚する』と言いだしたのである。
秋草麗花は、社交界の男達の誰もが憧れるマドンナ的存在で、その美貌もさることながら、賢く思慮深い。誰もが一度は恋人にしたいと願う女性でもあった。もちろん時秋もその一人で、兄の横に立つ麗花に心底陶酔している者の一人だ。
しかし、秋草の家に挨拶に来た当の麗花は、時秋の方を見向きもしないでただ淡々と『春野のご当主様の妻となるからには、わたくしも妻として努力を重ねていきたい所存でございます』と、春野家の現当主にそう宣ったのである。
これにはさすがの現当主も顔を青ざめさせて、当主代理の地位につけていた時秋をすぐさま解任し、なにごともなかったかのように、利史を当主代理の座へと戻した。
それもそのはずである。利史が春野家の当主になることを望んで麗花が秋草雄一郎を説得し、春野家へ嫁いできたのだとしたら、今ここで『実は次期当主は時秋なんだ』といえば、せっかく得られた秋草の令嬢を逃してしまうかもしれないし、あの秋草雄一郎の逆鱗に触れること間違いなしである。
秋草と春野は仲が悪かったためか、歴史から見ても両家が結びついたことはないのだが、ここにきてようやく繋がった縁である。それを無駄にしたくはなかった。
しかしそのことに黙っていなかったのは現当主の愛人、時秋の母親である。
彼女は『時秋を当主にしてくださらないのなら、わたくしは別邸を出てゆきます』と大人の女性らしくもないこと宣って、そのまま別邸を出て行ってしまった。
元々、時秋の母を特に大切にも思っていなかった当主はこれ幸いとして彼女を追いかけることはしなかった。
その一方で、その愛人の息子である時秋はというと完全に行き場をなくし、屋敷に引きこもって、腫れ物として扱われていた。
しかしそんな時秋の心を救ったのもまた、利史の新妻となった麗花だった。
最初のコメントを投稿しよう!