溢れて、滴る

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溢れて、滴る

辛くて、辛くてたまらない。 (ああ、私の馬鹿。) 瞳から流れ出る涙が、頬を伝って落ちる。 心が悲鳴を上げていた。声に出して叫びたかった。 どうして、どうして私は、こうも気が強くて、可愛げがないのだろうか。 『麗花!』 後ろから聞こえる声は間違いなく利史のものだった。 しかし、振り返ることができない。 あの人のことが、まだこんなにも好きなのだと実感させられる。 恋はこんなにも苦しい。こんなにも痛い。 はやく、はやくこの屋敷から出ていきたい。 はやく、こんな想いからは逃れたい────────。 心が急いて、もう一歩足を踏み出した、その時。 「────────きゃ」 自分の身体がふらりと宙に浮くような感覚があった。そして気づく。自分の足元には、何もないことに。 ああ、もうっ…こんな馬鹿なことをするなんて────。 麗花は目を瞑った。瞬間、時間が止まる。身体中の筋肉が強張って、痛みに耐えようとしているのが分かった。 『?』 しかし、予期していた痛みはいつまでたっても襲ってこない。暖かく、大きな何かが身体を包んでいる。心地良い香りが鼻をくすぐった。 はっとして目を開くと、そこには利史の顔があった。 横眼で周囲を見渡せば、二階から一階におりる大階段の一段か二段目の所で、どうにか利史が麗花を引き寄せて、階段からの落下を阻止したようだ。 『この馬鹿!走るなら、きちんと前を見なさい!』 それはどこぞの小学校で、体育教師が言うようなセリフだ。しかしそのきつい叱り方とは裏腹に、利史の顔は、心配しているような、困っているような、そんな顔をしていた。 その顔を見た瞬間、麗花の身体は緊張から解放され、どうにもしがたいものが胸に込み上げてきて、身体を熱くした。 『…あ、すまない。少し、きつく言い過ぎた』 ああ。やっぱり、私はこの人のことが好き。この人を諦めたくない。期限つきの夫婦なんてやっぱり嫌だ。ずっと、ずっと一緒が良い。 『…っ』 『麗花?』 先ほど引っ込んだはずの涙が、また、あふれ出してきた。身体中を包む暖かな感触が、本当に愛しくて、愛しくて。ずっと、こうしていて欲しい。そう、願ってしまう。 『…離婚するなんて、でき、ません。ずっと、ずっと一緒にいたい』 傍にいるのに、届かない気持ちが、堰を切ってあふれ出す。涙と共に零れ落ちる言葉は、もう止まらなかった。 「どうしてっ…彼女をお選びになるの?…どうして、私をっ……選んでくださらないの」 「……」 利史は黙っていた。それでも麗花を抱きしめる腕は緩めない。 「私では…っいけないのですか。私では…彼女の代わりにも…っ、なれないのですか」
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