褪せることのない記憶

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 指輪もなく、ただ少しだけ肌寒いのを覚えている。  彼は緊張したような覚悟をきめたような、少しだけ崩れた笑顔に光が映えていた。 「僕と結婚してください」  もちろん私は即座に返事をした。 そのとき、彼の崩れた顔は涙を含んだ笑顔になると私をいきなり抱きしめてくれる。  温かく、そしてとても良い香りが私を包んでくれた。  彼の震える背中に手を伸ばそうとしたとき、横から写真を撮るときのシャッター音が聞こえる。 「え?」  驚いた私は音がした場所を見ると、にこやかに微笑むおじいさんがカメラを構え、こちらを覗いていた。  彼も気が付き、恥ずかしいのか袖で涙をふき取る。 「いや、申し訳ございませんでした」  深々と頭を下げるおじいさん、見た目ではおそらく七十歳を優に超えているように思えた。  最初、撮られたときは突然のことで理解できずにいたが、少し落ち着くと急に恥ずかしさが込み上げてくる。  彼も段々と状況を理解したようで、複雑な顔をしていた。 「いや、あまりにもお二人が輝いておりましたので、不躾とは思いましたが、気が付くとシャッターを押しておりました。本当に申し訳ないです」  とても丁寧に撮った経緯を説明していただき、それを聞いて私たちは怒るわけでもなく、ただモデルが私たちで申し訳なかったと謝り返した。 「いえいえ、お二人はとても素敵ですよ。私も妻に先立たれてしまいましたが、一緒にいたら同じように感じたと思います」  物腰柔らかく、丁寧な口調で話してくれるおじいさんに、私たちは自然と警戒心を無くしていく。  
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