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「ぐ、ぁあああ」  草木も眠る丑三つ時、少年は身の内で暴れ狂う何かと戦っていた。苦痛があるわけではない。ただ、全身を何者かが這いずり回っているような気味の悪さと、まるでその何者かに体を支配されてしまうようなとてつもない恐怖に襲われている。  そして、自分のものとは思えない獣のような呻き声が口から飛び出し始めたかと思うと、今度は意識が遠のいていきかける。  駄目だ、やめてくれ。やめてくれ!  必死で胸の内で訴えかけるも、その何者かは暴れ回るのをやめることはない。そんなはずはないと知りながらも、奴の高笑いが響いてきた気がした。  それが次第に少年の口から飛び出していくようになると、少年は自分が笑いたくて笑っているのかどうか分からなくなった。  少年は狂ったように笑い声を上げながらも、その瞳からは雫を溢す。この涙こそが少年に残された最後の抵抗で、正気だったのかもしれないが、徐々になぜ自分の目から涙が溢れていたのか分からなくなり、声が枯れるほど笑うことに徹していく。  そして、一頻り笑って満足した少年は、唐突に無表情になると、幽鬼のようにふらふらとした足取りで自室から出て行った。  向かう先は、少年の両親の元である。  脳内で明滅する何者かの意識が浸透してきており、既に少年の視界は紅一色に染められていた。    たった今彼等を殺害したように、生々しい感触を五感に覚えながら意識が浮上していく。  彼等に手をかけた当初は全くこんな夢を見ることはなかったが、何故か罪悪感を覚え始めてからは、次第に似たような夢を繰り返すようになった。それも、夢の中では自分は何者かに支配され、まるで化物にでも変わり果てるような。あるいは、何者かに体を乗っ取られていくような感じだ。  あくまでも夢は夢で、事実と食い違っていて当たり前だと思うのだが、そうと言い切れない何かがある気がして、同時に何とも言えない薄気味悪さを抱かせた。  思考を断ち切り、瞼を押し上げると、肌寒さを覚えて毛布を手繰り寄せようとした。すると、自分が何も身に着けていないことに気が付き、同時に視線を感じて隣に目を向ける。 「あ、起こしちゃった?」  見事な金色の髪をした男が、無邪気に微笑みかけてくる。 「エドウィン……」  ぼんやりと男の名前を呟き、近付いてくる気配に自然と目を閉じた。唇に優しいキスを受けた後、徐々にクリアになってくる思考で現状を把握していく。  揃って裸体なので、見るからに情事の後のような空気だったが、その実は、エドウィンが勝手にルエルが寝ている間に衣服を脱がしただけだ。  今さら脱がされただけで怒るつもりはないが、呆れて溜息をつくと、世にも珍しい血のような赤い瞳を僅かに半眼にした。 「エドウィン、これは何のつもりだ」 「何のって、だってルエルは起きている間にしても怒ると思って」 「だからと言って、寝ている間に勝手に脱がすやつがあるか」 「うん……そうだね。ごめん」  明らかに落ち込んだ様子のエドウィンを見て、ルエルは苦笑しながら念を押すように言った。 「寝ている間、はだめだからな」 「うん……え?それって」 「ほら、寝るぞ」  布団を被って寝る体勢になろうとするルエルを制して、エドウィンは顔を覗き込んで聞く。 「待って、それって起きている間ならいいってことだよね」 「………」  無言を同意とみなしたエドウィンは、嬉々として覆いかぶさるような体勢で口付けをし、舌を忍び込ませようとしたところで、無機質な機械音に邪魔をされた。それでもしばらくは無視を決め込み、ルエルとのキスに夢中になっていたのだが、ルエルが止めるまでもなく、唐突にぴたりとエドウィンの体は動きを止め、サイドテーブルにある電子機器を鷲掴みした。  そして、あっさりとルエルから離れると電子機器を操作して通話を開始する。その声色も先ほどの男からは想像もつかない変わりようだが、すでに慣れてしまっているルエルにとってはむしろ懐かしくも感じられた。 「ああ?何だ、何かあったのは分かったが、もっとはっきり言え。新しい依頼だな。……あの双子を捕らえる、だと?また厄介な。お前らは勝手に先走るんじゃねえぞ。いいな」  乱暴に通話を切り、投げ捨てるように携帯をベッドに放り投げると、エドウィンはそのまま部屋を出て行こうとする。 「どこに行くんだ」  咄嗟に追いかけて行こうとすると、エドウィンはぼんやりとした照明の中でもはっきりと分かる険しい目つきで振り返り、何も言わずにただ首を振った。 「双子って、何だ。また仕事なのか」  拾った会話から質問をするが、それに対しても何も答える気がないらしく、鬱陶しそうに溜息をつくと、一つ舌打ちをした。 「おい、何とか言ったら……」  一層問い詰めようとエドウィンの近くに寄ったら、不意に彼は周りの一切を遮断するように目を閉じてしまい、かくりとルエルの方へ倒れ込んできた。 「ちょっ……」  慌てて受け止めるべく腕を広げると、男の体温と重みが直に腕の中に飛び込んできて、自分より体格がいいせいか少しばかりよろけながらもなんとか堪えた。ほっと息をつきながら腕の中を覗き込むと、長いまつ毛を震わせ、ゆっくりとエドウィンは目を開いた。 「る、える……?」  それは元の穏やかな男の声で、追及したかった相手が既にいないことを示していた。思わず溜息をつきたくなりながらも、なんとか堪え、今の出来事を説明する他なかった。  エドウィン・ジョーカー。彼は二つの人格を持っている。どうやら主人格である穏やかな方のエドウィンは、裏の人格の彼の方が出ている時は何も覚えていないのだが、逆に裏の人格の方は主人格の方が出ている時の出来事も全て覚えているらしい。しかし、どういうわけか主人格がルエルといい雰囲気になるにつれ、何を思ってか裏の人格は成りを潜めるようになっていき、今では緊急を要する時や仕事の呼び出し以外ではほとんど出なくなり、現れた時もルエルを避けるようになった。  一時期は、エドウィンの傷の深さを知る度に自分の罪深さを突きつけられるようで、目を背けたくなり、実際に彼らから離れようとしたこともあった。しかし、結局居場所を突き止められて胸の内を明かされてしまえば、逃げようという気を完全になくした。  そしてその流れでエドウィンの想いを受け入れる方向になり、そのことについては特に抵抗も覚えることはなかったのだが、強いて言うならば、一つだけ引っかかっていることがある。  それは。 「あいつとは何か話せた?」  知らぬ間に落ち込んだ顔でもしていたのか、エドウィンが心配そうに覗き込んできた。  他ならぬルエルのことには敏いエドウィンは、記憶がないにも関わらず原因がもう一人の自分にあると察した。もしかしたら、彼らはどうにかして意思疎通を図っているのかもしれないと思うこともある。 「いや……。エドウィン、一つ聞きたいことがあるんだが」 「何?」  頭に過った問いは、自分たちが恋人と呼べる関係ならば当然聞くべきこと。だが、自分からそのことを聞くのは躊躇われた。  ーーお前たちは、なぜ、二重人格なのに別個の名前を持っていないのか。そして、二重人格とは言っても元は一人の人間のはずなのに、もしかして、好きになる相手はそれぞれ違うのか。と。  こんなことを考えること自体、女々しい気がしたのだが、今では少しずつでもエドウィンを、それもどちらの彼も大切に思い始めているために、焦燥や不安が抑えきれなくなってきている。  しかし、自分でもらしくないと思うのだが、それを口にしたら全てが壊れてしまいそうで、臆病にも尻込みするのだ。 「いや、何でもない」  そうやって下手な笑顔で誤魔化すと、エドウィンはこちらよりも更に弱々しく、そう、と口元だけであるかないかの笑みを浮かべて肩を落とした。  しかし、すぐに気持ちを切り替えるように、そうそう、と顔を上げた。 「さっきルエルが教えてくれた双子のことだけどさ、少なくとも裏の仕事の方に関係してるのは確かだし、カーライルにでも聞いてみるよ」 「そうか、分かったら教えてくれ。もう俺は足を洗ったが、あいつが厄介だと言っていたからちょっと気になってな」 「うん。それは構わないんだけど……」 「うん?」  エドウィンの表情が今度は心配の色に染まるのを見て、首を傾げると、ルエルの額に額を合わせてきた。 「エドウィン……?」  キスをするような距離感だが、彼は何もせず、何かを確かめるようにそのまま数秒動きを止めた。焦点の定まらない中でコバルトブルーの瞳が宝石のように煌めき、ゆっくりと笑みの形に細められていく。 「良かった、熱はないようだね。さっきから顔色が悪いような気がして」  その言葉にはっとし、一瞬脳裏に夢の残滓が蘇ったが、咄嗟に誤魔化した。 「気のせいだろう。そもそも、この程度の明るさで顔色なんて分からない」 「そうかな。でも……」 「まだ早い時間だ。もう少し寝よう」  尚も疑う様子を見せたエドウィンの言葉を遮り、ベッドに横たわると強く目を閉じた。彼もまた、しばらくベッド脇にいたようだが、ルエルの前髪を撫で付けると、隣りに来て体を抱き寄せながら眠りにつく気配がした。  健やかな寝息と穏やかな鼓動を耳元で聞きながら、その温かな腕の中にいてさえ、すぐに眠りにつくことはできなかった。  
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