第一部 第四話

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第一部 第四話

 新嘗祭を前に、全国から収穫された食物が都に運ばれてくる。特に、この年は海を渡って異国の使節団が来るので、いつも以上に大変な賑わいである。都では見たこともない色とりどりに美しく着飾った異国からの使節団が列をなして王宮に入って行く姿は壮観である。都人達はその行列見たさに大路の両側に集まって人垣を作っている。異国の使節団が来るとき、大路の両側がいつも以上に人が多いのを嫌って貴族たちは、王宮入口近くの両側十五丈ほどに高楼を連ねさせて、高みの見物とばかりにその上から行列を眺めるのが恒例となっていた。そして、貴族たちが良く見える場所を取るために、それぞれの家の従者たちが場所取りの言い争いを起こすのが常だった。  岩城家は王宮手前の場所をとって、その華やかな様子を楽しんでいた。岩城家の跡継ぎである長男から三男の実言とその妻と許婚が宮殿前に広がる大路の左側の高楼に登り、行列に連なる色とりどりの衣装をまとった異人達と、同じように煌びやかに飾られた馬や牛の行列を見物している。  この時、実言と朔は婚約した年で、朔は岩城一族とともに行列の見物に呼ばていて、高楼に登っていた。  朔はこの見物に礼を誘った。妹同然の礼にも、この華やかな催しを経験させてやりたいと思ったのだ。  礼は朔付きの侍女のような役目を与えてもらってついて行った。今を時めく岩城家の末席に拝し、特等席で異国の使節団の行列を見物できることになった。初めて見る異国の行列に好奇心の強い礼は楽しくて心が踊り、目を輝かせて眺めていた。十四であるというのに、喉の奥まで見えそうなほど大きな口を開けて歓声を上げている。  一つしか年は違わないが、実言という将来の伴侶の決まった朔は落ちついていて、礼の様子を子供じみた態度と疎ましく思った。岩城の人々に身内にこんな軽率なものがいると思われるのが嫌だった。 「礼。少しは落ち着きなさいよ」  礼は朔の後ろに控えていなくてはいけないのに、ついつい朔よりも前に出て行列を見物してしまう。その度に、朔は礼を注意した。  岩城家の三兄弟は一段高いところに椅子を並べて座っており、その妻たちも夫の横に座っていたのだが、朔は礼が前の手摺りに身を乗り出すようにして見ているのに付き添って一段下で見物を見ていた。手摺りから身を乗り出すのは、子供じみているように感じて、早く自分の席、実言の隣に戻りたいが、隣でにこにこと顔をほころばせて楽しそうに行列を見ている礼を一人にもしておけなかった。  礼は身を乗り出して下を見ていたのだが、ふと向かい側の高楼に目をやった。大路を挟んで向かいの高楼までは二十三丈ほどの距離があり、自分たちと同じように下を通る行列を眺めている人々の様子が見える。しかし、礼は違う様子を見ていた。感じているといったほうがよかった。隣にいる朔をみると、ぼんやりと下の行列を眺めている。  突然!  礼は、朔を突き飛ばした。 「何するの!」  朔は、大きく後ろに倒れて、側にいた岩城家の年かさの侍女にぶつかって一緒に転んだ。驚いて大きな声を出した。  それと同時に、高楼の手すりに矢が刺さった。一本の矢が爪を立てるように手摺りに突き刺さり、周りにいた者たちが悲鳴を上げた。礼も、手摺りから遠ざかろうと後ろに下がっているところで、次の光景が見えた。  それは、今のように手摺りに突き立て脅すためではなく、正確に射止めるために放たれる矢の軌道だった。  高楼の上は大騒ぎで、侍女たちが下に逃げるのか、主人の側にいるのか右往左往している。朔も一緒に転げてしまった侍女と助け合いながら体を起こそうとしていた。  逃げなくては。頭の中が逃げろ逃げろと言っている。  礼は後ろを振り返ると、そこには朔の男が立っていた。一段高い場所の縁に立って、手摺りに刺さった矢を見つめている。そして、視線は動いて、礼とばったりと目が合った。礼は頭の後ろから飛んでくるものを感じながら、この場をどうすればいいか考えた。  この人を傷つけてはいけないのだ。朔の大事な人なのだから。  そして振り返えると、矢はすぐそこに迫っていた。礼は後ずさりしながら、その矢の行方を想像した。  風を切って、矢は岩城家のいる高楼に向かってきた。悲鳴をあげる侍女たちが右に左にばたばたと駆け回る中を矢は唸るような恐ろしい音を上げて突き進んでくる。 「礼!」  礼は、もう向かって来る矢を見ることはできない。自分に当たることは確かだと思ったが、その行方を見るのは怖かった。  全身を貫く痛みと、後ろに跳ね飛ばされる衝撃。  礼はそこで気を失った。  跳ね飛ばされた礼の体を受け止めたのは、実言だった。  実言は礼と目が合って、礼が再び対岸の高楼に視線を戻したその様子から、もう一矢放たれるのだとわかった。礼が後ずさりし始めた時に、矢は自分に向かっていることがわかった。礼は見えているのだ。そして、なぜか逃げようとしない。礼の名を呼んだ時には、矢はすぐそこまできていて、礼は実言の広げた腕の中に跳ね飛ばされて、転がり込んできた。実言も礼の体を受け止めがなら、尻もちを付いた。 ぐったりとして頭を実言の胸に預けた礼は少し呻いて、気を失ったようだった。礼の姿を見た周りの者の叫声が再びあがる中、実言は礼に刺さった矢を抜いた。矢と共に礼を横抱きに抱きかかえて、すぐさま高楼の階段を駆け下りた。 「実言!」  後ろから自分の名前を呼ぶ女の声がした。振り返ると、朔が落ちてしまいそうなほど手摺から身を乗り出して実言を見ていた。 「朔、兄に従うのだ。後で会いに行くよ」  実言はそう言って、すぐに馬を呼び寄せると飛び乗り礼を受け取って、岩城家に馬を駆けらせた。 「礼!」  馬上で、実言は腕の中の礼を呼んだが、全く反応はなく、ぐったりとしている。 「礼」  もう一度名前を呼んだがやはり反応は無い。  岩城邸に到着すると、実言は礼を抱えて、命じていた離れの部屋へと運んだ。  思い返せば実言は礼の左目に突き刺さった矢を見て、心が凍る思いで、すぐさま矢を抜いた。矢が抜かれた左目の目尻から血が幾筋か流れた。目に刺さりはしたが、幸いにもその傷は深くはなく、頭の中まで貫いていないように見える。先に人を遣って呼ばせ医者も間もなく到着した。  部屋に入った医者はすぐに礼の脈をとった。礼は死んでない。意識をなくした礼の左目の瞼を引っ張ってめくり、潰れた目を確認した。 「この目は、だめでしょうな」  医者は淡々と話した。 「命は、どうなるのか?」  実言は尋ねたが、医者は首を傾げてはっきりしたことを言わない。  礼のことを聞いて、真皿尾家から礼の三番目の兄玖珠巻(くすまき)が侍女と共に到着して、この離れになだれ込んできた。  礼の寝ている部屋を出て来た実言に詰め寄るように玖珠巻が尋ねた。 「実言殿。礼は?」 「左目を矢で射られて」  後ろにいた侍女は驚きで、咄嗟に口を両手で覆って塞いだ。  実言は答えたが、それ以上に言葉が続かなかった。  そうか、と呟いて玖珠巻は押し黙った。  正月を迎えれば、礼は十五になり、朔と同じようにいつ許婚を決めてもいい時期だった。真皿尾家にとって唯一の娘のため、いろいろと結婚相手については考えている時なだけに、今後の縁談を進めるのも難しくなる。左目を失った娘をもらうという家はなかなかあるまい。誰もが家柄もよく美しい娘を求める中で、顔に傷があるとわかっている娘を欲しがることは無いだろう。何とか縁付くことができても、第三夫人やもっと後位の妻がいいところかもしれない。礼の女としての人生が始まるという時に、なんとも酷いことになった。  いや、その前に、それは礼の命が助かった場合であるが。
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