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親より先に死んだ子は、賽の河原で石積みという苦行を永遠にさせられるらしい。
――あの子も今頃、石積みしてるのかな?
空が薄明るくなってきたお陰で、河原が目についた。
あの子は何にも悪くないのに、そんな苦行をさせられるなんて理不尽だ。
「一緒に逝けたら、そんな苦行、しなくても済んだのにね」
そこにはいないと分かっていても、自然と手が自分の下腹部を撫でる。まるで、まだそこにいるかのように。
「若菜!!」
聞き慣れた彼の声が、静かな朝焼けの橋に響く。
その声を辿るように目を向ければ、彼が携帯電話片手に肩で息をしていた。
「病院から抜け出すなんて!!まだ絶対安静だろ!!今無理したら、将来子供が産めない体になるかもしれないんだぞ!!?」
私の体を心配しているらしい。いや、将来自分の子供を産んでもらえないと困るから、心配する素振りをしているだけだろう。
相変わらず身勝手だと、心の中で怒りが沸々と湧いてきた。
そんな私の心中も知らず、彼は走ってきて私を抱きしめる。まるで愛しい恋人を抱きしめるかのように。
「こんなに冷たくなって。何で病院抜け出したりなんてしたんだ!!皆どれだけ心配して・・・・・・っ!!」
私一人が悪者みたいだ。人を罵るのも、貶すのも得意なんだなと、心の片隅で意地悪く思う。
ぎゅっと抱きしめられたそのぬくもりは、変わらず温かかった。だが、抱きしめ返す気にはならない。その代わりに、ぎゅっと拳を握り込む。
「あの子もね、冷たくなってたよ。小さくても人の形、してるんだね」
耳元で、毒を流し込むように囁くと、はっとしたように抱きしめる腕が緩んだ。
「良かったね。望み通り死んじゃったよ。流産しちゃったから中絶もしなくて済んだ。あなたの経歴には、何一つ傷はついてない」
にっこりと、微笑む。川の水のように冷たい、微笑だった。
「若菜。落ち着いて聞いて。俺も確証がなかったから、言えなかったんだ」
「何が?今更どんな言い訳するつもり?」
これ以上は何を聞いても、心が傷付くことはないと思えた。「下ろしてくれ」以上の非道な言葉は、ないと思っていたから。
そして、その時にお腹にいた命はもう、今はいない。
「子宮頸がんだったんだ。若菜。不正出血があるとか言ってたし。性交痛もあった。だから気になって、勝手に細胞取ったり採血したりして、色々な検査に出しておいたんだ」
「子宮頸がん・・・・・・?」
「まだ初期段階だから、子宮温存手術で治せる。子供も望める。だから、早まらないで」
病院から突然消えて、失意のうちに自殺するんじゃないかと心配して探し回ってくれてたのかと、その時になって初めて気が付いた。前髪が汗で額に張り付いているし、よくよく見れば、着ているTシャツは汗ばんでいる。
「そんな・・・・・・」
だから、「下ろしてくれ」と言ったのか。何の病気かは確証がないけど、ほぼ黒に近いグレーだったから。
「治療しよう。俺も一緒に闘病生活付き合うから」
ツツっと、涙が零れ落ちる。頬についた痕に沿うようにして、新たな道筋を、朝日に照らされながら流れていく。
「流産したのは、私のせい・・・・・・? 私が病気だったせいで、あの子はこれからずっと、賽の河原で石を積み上げ続けなくちゃならないの?」
死なせてしまった命。もっと早くに分かっていれば、死なせずに済んだかもしれないのに。
「若菜・・・・・・。あんまり、自分を責めるなよ」
涙が溢れて止まらない。目の前にいる彼は、自分が悪いことにして、私の体を気遣っていてくれたのだ。それなのに、酷い言葉をぶつけて。
「ごめん、酷い事言って」
「いいよ。俺もちゃんと隠さずに説明すれば良かったんだ。むやみに心配させたらいけないと思って、あんな間違った言い方した。いきなり下ろしてくれなんて言われたら、そりゃ、拒否するよな。命を宿してるんだから、当然だ」
そう言って哀しい顔で笑う彼は、いつもの優しい彼だった。
「ごめん、ごめんね、本当にごめんなさい」
「もういいよ。それより、病院へ帰ろう。こんなに冷たくなってたら、体に障る。歩けるか?」
「うん、大丈夫。でもその前に」
私は足元に咲く花を一輪、手折った。
割れたアスファルトの隙間から、力強く茎を伸ばして健気に咲く雑草に、誓うように。
―― 治療して、必ずアナタを呼び戻すから。
「望来、ちょっと待ってて」
欄干から腕を伸ばして、朝日に向かって誓いの花を差し出し、そっと手を離す。
軽い花はヒラヒラと風に乗って流れ、高度を落としながらそっと着水し、川の水に揺蕩い、身を任せて進んでゆく。
「みくる?」
「せめて、名前くらいは贈っておいてあげないと。私達の所へ戻って来てくれないかもしれないし。望んでいるから、ちゃんと戻って来てねって思いを込めて」
「そっか。良い名前考えたな」
「そうでしょ?」
流れゆく花を目で追う二人に、生命を与えるかのような優しい朝日が降り注ぐ。
「戻りましょ、病院に」
そっと彼の手を握ると、彼はホッとした顔をして握り返す。
朝日に照らされた二人の後ろ姿は、仲睦まじい恋人のソレだ。
だが、二人から伸びる影は、3つある。
一つは彼の。
一つは彼女の。
そしてもう一つは、まるで将来を暗示するかのように、二人が繋ぐ手にぶら下がった、小さな小さな人型の、楽しそうな影だった。
fin.
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