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No.74『上段タコ・下段オレ』
佐原「兄貴兄貴ー! 根岸の兄貴ー!」
根岸「道の向こう、大声で俺の名を呼ぶ恥ずかしいあいつは……」
佐原「てーへんだてーへんだー! 根岸の兄貴ー!」
根岸「おう、どうしたってんだ佐原、そんな大声で」
佐原「兄貴の声が小さいんでさ! この小心者!」
根岸「いや、うん、声っていうか、お前の態度!」
佐原「おっとそれどころじゃねぇ、大変、あ、いや、てーへんだ根岸の兄貴!」
根岸「正月早々騒がしいなお前ってやつは」
佐原「そう、それ!」
根岸「どれ」
佐原「正月なんだよ!」
根岸「……ん?」
佐原「こいつぁてーへんだってわけだ!」
根岸「……何が」
佐原「間違えた、こいつぁめでてぇ!」
根岸「……おう、そうだな、めでてぇ」
佐原「というわけで凧揚げしようぜ兄貴!」
根岸「忙しいヤツだねほんと」
佐原「せっかちさん!」
根岸「ほんと、せっかちさんだ」
佐原「というわけで凧揚げだ凧揚げ! なにしろ正月だからな!」
根岸「はいはい、じゃあ凧持って、土手へでも行くかね」
佐原「タコ買ってきた! ぬるぬるする!」
根岸「……うん?」
佐原「吸い付く!」
根岸「なんで海産物を買ってきちゃったかねお前は、飛ばないだろそのタコじゃ。このタコ!」
佐原「ところがどっこい! タコくん、さあ全身を広げるんだ!」
根岸「おぉ……?」
佐原「ふふふこれぞほんとのああっ! 突然強風が!」
根岸「おー」
佐原「あー!」
根岸「飛んだなぁ海産物」
佐原「まだ紐もつけてないのに!」
根岸「もう見えなくなった。すごいなタコ」
佐原「うう……、しかしだ兄貴、これで目的は達成できたってわけさ!」
根岸「凧揚げ以外に、目的があったってぇのかい。まあ、上がったのはタコだったけども」
佐原「ふふふ、もちろんさ兄貴、この俺がただ凧揚げをしたいだなんて、言うと思うかい?」
根岸「まあ、言うだろう」
佐原「このタコ! これだから声の小さいヤツは!」
根岸「だから態度、兄貴分に対する態度」
佐原「まあ、心の大きな俺は許してやるんだけどな」
根岸「ああもう尊大だなぁ」
佐原「で、凧揚げ、そう、凧揚げさ」
根岸「ああ、何か目的があったのか。遊ぶ以外に」
佐原「……兄貴は、こんな伝説を聞いたことがあるかい?」
根岸「お、どうした声のトーンまで下げて。……伝説?」
佐原「そう、とある極東の国での伝説さ」
根岸「ほう」
佐原「風が吹けば、桶屋が儲かる」
根岸「……おう」
佐原「だから凧揚げをしたのさ!」
根岸「お、待て待て、因果関係がさっぱりだ」
佐原「ふふ、兄貴は本当におバカさんだなぁ」
根岸「お前も空に揚げてやろうか」
佐原「ひたひひたひ、ほっへ、ほっへ! ひたひ!」
根岸「ぐにー」
佐原「痛いって! おお……、頬が……、俺の頬が……、ゆでダコのように……」
根岸「で、なんで凧揚げと、風が吹けば桶屋が儲かるのが関係あるってんだい」
佐原「はい! まず、風が吹きます!」
根岸「おう」
佐原「……」
根岸「……」
佐原「……?」
根岸「いやお前が首をかしげてどうするんだ」
佐原「あ、思い出した」
根岸「そうか、それはよかった」
佐原「風が吹きます!」
根岸「はい」
佐原「もうかります!」
根岸「……ざっくりしすぎだ。というかお前、その言葉の意味知ってるのかい?」
佐原「もうかります!」
根岸「ん、おう……。知らないのか……」
佐原「知ってますよ、風が吹くと儲かるんでしょ?」
根岸「いや、違―――」
佐原「ちょっと順を追って説明しますから、よく聞きなさい」
根岸「まあ、ちょっとそこの茶屋でゆっくりしながらでいいだろう、いくぞ」
佐原「せっかちさん!」
根岸「それはお前だ。ほら、おごってやるから、行くぞ」
佐原「団子を食べれば思い出すかも!」
根岸「だからおごってやるっての、順序が逆だ逆」
佐原「このせっかちさん!」
根岸「だからそれはお前だ」
佐原「間違えた、太っ腹!」
根岸「まあ、親の金だけどな」
佐原「おねーさん、団子とお茶ね! あと適当に!」
根岸「注文もざっくりしすぎだ。あ、俺もお茶を」
佐原「もぐもぐ、もぐもぐ」
根岸「団子まだ来てないぞ」
佐原「せっかちさん!」
根岸「そうだな。……で、なんで凧揚げだったんだ」
佐原「そうそれ! えっとだね、風がふくと、もうかるんだよ!」
根岸「もう少し、ゆっくり説明してもらえるかね」
佐原「厳密にいえばもう少し複雑ですが、太陽光で温められた空気のまとまりが上昇することでそこに空気が流れ込みます。同様に上空に登った空気のまとまりは冷却され降下し、そこにまた空気が流れ込みます。これが風が吹く、シンプルな図式です」
根岸「……うん」
佐原「もうかります」
根岸「おう! ぶっとんだな!」
佐原「まあまあ、結論はまだこれからですよ、このせっかちさん」
根岸「もうかる、が終着点じゃないってのか」
佐原「終着点です」
根岸「……終わってるじゃないか」
佐原「せっかちさん!」
根岸「おう。……いやあのさ、凧揚げは?」
佐原「あ、そうそう、兄貴にも手伝って欲しいんだよ」
根岸「凧揚げを?」
佐原「凧揚げはほんのお遊びさ」
根岸「ほう」
佐原「兄貴には、今日は異常気象で、空から新鮮な魚が降ってくるって、町の人たちに言いふらして欲しいんだよ」
根岸「……なるほどな」
佐原「ふふふ」
根岸「それで、魚を受け止めたり、入れたりするのに、桶が必要になるって寸法か。考えたじゃねぇか。で、実際には魚は、最初のタコしか降ってこねえってカラクリか」
佐原「?」
根岸「風が吹けば、桶屋が儲かる、か、なるほどな」
佐原「いや違う違う、兄貴違う」
根岸「ん?」
佐原「うちは魚屋だよ。桶屋が儲かってもしょうがない」
根岸「んん?」
佐原「ね?」
根岸「お前が儲かるのか」
佐原「そだよ?」
根岸「桶屋は?」
佐原「兄貴、風が吹けば桶屋が儲かるってのはね、まったく無関係のわずかな出来事が予想外の結末をもたらすかもしれないという例えで―――」
根岸「知ってんじゃねぇか!」
佐原「ふふふ兄貴はほんとにおおバカさんだな」
根岸「というかさっきからお前、兄貴分に対して暴言が過ぎるんじゃないかね」
佐原「いやいや、兄貴はいいんだよこれで。毎日働きもせずダラダラと生きるだけで、何の役にも立とうとせず、ただ親の残した金を消費するだけ、酒と博打と、女はいないけど、それもまたダメダメだ」
根岸「当たってるだけにアレだが、言いたい放題だなお前」
佐原「だから、兄貴は兄貴だけど、俺より下なんだ」
根岸「なるほどね」
佐原「言ったろ、兄貴ー、てーへんだー、って」
根岸「底辺だ、ってか」
閉幕
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