哲学を心に。

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哲学を心に。

最近では看護大学が主流となりつつある。 専門学校よりも、四年制大学の看護課程が主流となりつつある。 そこでは、養護教諭等の免許も取得可能な所もある。 なるほど、それならば、看護師をしなくても大学卒となるから、それはそれでメリットがある。 それに、大学卒と言うことで、専門学校卒業とでは、同じ看護師であっても職場ではいろんな面での格差も生まれるのではないかという懸念もある。 はっきり言って、差別を差別として認識していない人に、何を言っても通じないので気にしても仕方がない部分はある。 ・・まぁ、その反面で、看護大学卒と、音大卒、または教育学部卒後にライセンスを取得した看護師では、どうなんだろう?? どう思われてるんだろう?? と、日々思わずにはいられないのだが・・ まぁ、そんなことよりも、どちらにしても、心に不満を溜め込んでいる人からは、学歴の良し悪しなど関係なく、心ない言葉を浴びることになるのだから。 どんな背景があっても、看護師は看護師だ。 その責務は、倫理も含めて、ライセンスを持っていれば学歴なんて関係なく全うしなければならない。 でも、心ない言葉を浴びると、心が乱れるのも事実だ。 いじめ? 嫌がらせ? そんなの普通にある業界です。 ライセンスの違いだけではなく、性別の違いによってもそれらは発生するんですよ。 だから、そんな事に振り回されずに、心を整えるためにどうしたらよいのか、いつも考えていたところ、私は自分の心に哲学を持つことが大事かと思うように至った。 だって、病気と向き合って戦っている患者さんにとって、看護師の学歴も性別も関係ない。 そこで必要なのは、安全で安楽な質の良い、心地よい看護だ。 だから、看護を提供する側においては、そういう些末な事に振り回されない真っ直ぐな心が必要かと思う。 デカルトやニーチェの言葉も良いし、最近流行りの良い言葉集みたいな本から、心に響く言葉を抜き出すのも良いかと思う。 私は、この看護の道を選ぶ前に、インドのとある哲学者がすごく好きになった事があった。 その人・・ 全否定です。 なにもかも否定です。 でも、それがすごく好きだったのです。 いや、今でも好きな哲学者のひとりではある。 そういえば、 京都の龍安寺にある、知足の蹲踞(つくばい)に彫られている言葉だが、吾唯知足(われただたるをしる)を呪文のように心で唱えていたこともあった。 ただひとつ言えることは、 心が変われば習慣が変わるし、 習慣が変われば運命が変わる。 これは間違いがないと思っている。 そのために、心を整えるのだ。 きっと、その時その時で、心に響くものって違うと思う。 自分のなかで反芻して、くじけそうなときでも心の拠り所になるようなものは、誰にでも必要だ。 それはとりもなおさず、自分自身の心を整えるためだ。 なので、もし、興味があれば、いろいろ探してみるのも良いかと思う。
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