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 この世には、闇に紛れて暮らす住人がいる。  それらを人は『あやかし』と呼んだ――。  あやかしは影に隠れて人を襲い、人の心を食らって生きている。  そんなあやかしたちを、古の時代から退治してきたのが、祓い屋と呼ばれる者たちだった。  現在はその数を減らしてしまったものの、今も祓い屋を営む家系はその能力を脈々と継がれていた。  (ほし)家もその一つであり、その新たな祓い屋として襲名したのが、まだ年若い乙女、(そら)である。  若干十七という齢ではあったが、空は退魔の術法を習得し、この世にはびこり悪事を働くあやかしと、人知れずに戦って来ていた――。 「追い詰めたわ、妖怪! 大人しくしなさい!」  祓い屋の装束に身を包んだ空が凛々しく宣言した。  その姿は剣道着を着込んだ剣士のようだが、その手に木刀や竹刀はなく、不思議な香料を纏わせた紙の札を持っている。    それには奇妙な文字で書かれた呪文が入っていた。そのお札を投げつけ、逃げるあやかしの動きを止めようとする。 「ひええっ」  空の手から放たれた紙の札はまるで意思を持つかのように、まっすぐあやかしへと飛んでいく。  小さな小人のようないたずら妖怪は、情けない声をあげて、腰を抜かしていた。  これで勝負あった、そう思った瞬間だった。  空の放ったお札が、妖怪に直撃する手前で燃え尽きてしまったのである。  強力なあやかしの持つ、結界の力で焼き払われてしまったのだ。 「大天狗様っ」  小さな妖怪が助かったとばかりに、声を上げていた。 「くっ……現れたわね、親玉!」  空は直ぐに次の術法を唱えるために、相手の動きを警戒する。  そこに出現したのは高身長の男性だった。  その衣服は修験者に似ていて、時代錯誤であり、面妖だった。  身長は一八〇センチは超えているだろう。すらりとした体躯は、しなやかな筋肉を持っていて、身軽そうだった。  背中には真っ黒な翼があり、鴉のようだ。その人物と同様の黒々とした髪に似て、艶やかでもある。  長く伸びたストレートロングの髪は、見ようによっては女性と間違えてしまうかもしれないが、その顔立ちは美形の青年だった。  鼻すじは高く整っていて、眉は凛々しくも細い。薄い唇は妖しさを孕んでいるし、その肌は人間離れした美しさを持ち、真っ白だった。  なによりも彼のその双眸は、魅惑的ですらある。  濡れた黒真珠のような瞳は、吸い込まれてしまいそうだし、その冷徹そうな眼光には畏怖も感じ取れる。  長いまつ毛は、女である空から見ても、美麗だった。  この男こそ、長く星家と争って来たあやかしたちを束ねる長、大天狗である。  カコン、と下駄を穿いた足が、一歩空に向かって進み出た。 「フ……。星家の娘か……」  ぞっとするほどの美声で笑う大天狗は、空を見て、眼を眇める。 「お前は下がれ」 「は、はい!」  大天狗が命令すると、小物妖怪はそそくさと逃げ去っていった。  空は追いたかったが、前に立ちふさがった大天狗の威圧感に、くっと歯噛みした。 「今日こそは負けない!」 「愚か者め、たっぷりと可愛がってやる」  術力の込められたお札を投げつけ牽制しながら、印を結んで気を練ると、空は数珠を輝かせ、拳を突き出した。  魔を祓う聖なる力を帯びた一撃だ。  その一撃は激しい閃光を放ちながら、大天狗の結界を突き破って、その体躯に突き刺さるはずだった。  しかし、余裕の表情で身をひるがえした大天狗はその一撃を難なく躱して見せる。  そして、大きな黒い羽根を舞い散らし、信じられない素早さで空の背後に回り込むと、そのまま押し倒してくる。 「きゃあっ」  地面に押さえつけられてしまった空は、悲鳴を上げた。  咄嗟に振り向いて反撃しようとしたが、相手の方が上手だった。  あっという間に、組み敷かれるような体勢になった空は、大天狗に四肢の自由を奪われた。  空は、地面に背を付けて、大天狗に圧し掛かられていた。  彼の顔が、妖しい笑みを携えて、こちらを見下ろしている。 「く……」 「さぁ、覚悟は良いか……」  そうっと大天狗の掌が、空の頬を撫でつけた。  ぞくりとするほどの優しい触れ方に、空はびくんと肩を震わせた。 「……可愛すぎだろ、こいつ……」 「……? すきありっ!」  不意に大天狗の動きに油断が出来た。そこを突き、空は腰を捻って拘束のバランスを崩す。  そして、自由になった脚をつかい、圧し掛かっている大天狗の横腹目がけて蹴りを繰り出す。 「おっと!」  おどけたような声をだし、さっと身を引いた大天狗はその蹴りをいなし、不敵な笑みを向けて空から距離を取る。 「フッ、なかなか楽しかったぞ、星家の娘。また会おう」 「あっ、こら待ちなさい!」  大天狗は、その黒い翼を羽ばたかせ、上空に昇っていった。あっという間のことで、空の静止の声も届かず、彼はあっという間に闇の中に消えていった。  上から、一枚、彼の黒い羽根がひらひらと舞い落ちてきた。  それを摘み取ると、空は「もうっ! なにがたっぷり可愛がるよ! いっつもすぐに逃げる癖に!」と天に向かって叫ぶのだった。  先ほど押し倒された時、なにか天狗が呟いていたが、拘束を解こうと必死になっていたせいで、きちんと聞き取れなかった。  だが、その瞬間に彼が油断したのは確かだ。  空は、あの大天狗になめられているんだと思っていた。  事実、彼とはまともにやりあえていない。  いつも、悪事を働く小物妖怪を退治しようとすると、しゃしゃり出てきて、空にちょっかいをだしたら、すぐに逃げるのだ。 「私が、祓い屋として未熟だから……、バカにされてるんだ」  く、と奥歯を噛みしめる。  確かに、空はまだ祓い屋になって一年くらいしか経っていない。  先代である自分の祖父は腰を痛めてもう戦えないと言うし、父親はごく普通のサラリーマンだ。  星家の祓い屋を襲名したばかりの空はまだまだ、経験が足りていないのである。 「絶対にいつか、あの天狗の鼻を折ってやる!」  屈辱に右拳を握りしめ、パシン、と左手にぶつける。  空は天空に叫び、そう誓った――。  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆  ――一方、その大天狗だが……。 「やっべえ……。空、すごい良い匂いした……」  ビルの屋上で、赤い顔をしてドキドキと高鳴る胸を押さえつけていた。 「ま、マジで可愛いんだけど、あいつ……!」  妖怪たちの首魁、大天狗の狗巻(いぬまき)天地(てんち)は、その姿を少年へと変えて、先ほど押し倒したときに密着して嗅いだ、空の香りを思い出していた。  先ほどまでの天狗の姿は長身の大人であったのに、今は身長一七〇センチほどの、高校生男子という見た目だった。  長かった髪も、短く切りそろえられている。もちろん、その背中には翼もない。  服装は先ほどの修験者ではなくなっていて、学校の制服姿だ。 「ち、ちくしょう……。こんなの誰にも言えっこないじゃないか……」  あやかしのボス――。  星家、祓い屋の宿命のライバルと伝えられてきた大天狗は、空に恋心を抱いていた。  こんなことが仲間のあやかしたちにバレたらどうなってしまうのか、想像もしたくない。  この気持ちは絶対に隠し通さなくてはならない。  しかし、空への気持ちはもう止められない。好きで好きでしょうがないのだ。  毎日、空が手下妖怪を退治に出たと聞いたら、そこに割り込んで、空の顔を見る。  凛々しくこちらを睨みつけてくる顔も、その祓い屋の衣装に身を包む姿も、綺麗で愛らしい。  普段は、高校生として学校で見せている顔とはまるでちがう使命感に満ちた空にギャップを感じて、更に好きになってしまう。  だが、この恋は抱いてはならない禁断の恋。  ロミオとジュリエットなのだ。  あやかしと祓い屋の、逢瀬――。  だから、狗巻天地は、空と同じ高校に通い、同じクラスメートとして、恋愛をするために、こんな姿をとることにしていた。  空は、天地が大天狗であることなんて、まるで気が付いていない。  仲のいいクラスメートの男子、そのくらいにしか思っていないのだ。  二人はライバルにして、クラスメートで、そして慕情を抱く存在となるのだった……。  これは、そんな二人の摩訶不思議な恋愛物語である。
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