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 東京某所にある某高校に通う星空は、現在高校二年生だ。  日々難しくなっていく学業に必死に食らいつきながら、家業である祓い屋の仕事を健気に頑張っている。  星空。夜空に瞬く星々のことではなく、空のフルネームがこれであった。  漢字たった二文字のフルネームは、逆によく目立つ。 「ホシゾラ~!」  学校へと向かう通学途中で、後ろから声をかけられ、空は振り向いた。 「おはよ、みつみ」  相手は、同じクラスの友人である阪井(さかい)みつみだった。  高校になってから仲良くなった間柄だが、気心は知れていて、空のことをあだ名で『ホシゾラ』と呼ぶ。  最初は色々と思うところもあったが、もうそのあだ名を訂正するような気持ちにはならない。 「あれ? なんか疲れてる?」  空の疲労を直ぐに分かるあたり、いい友達ということだろう。  実際、昨夜祓い屋の仕事をして、大天狗に打ち負かされたことが悔しくて、満足に眠れなかった。  友人ではあるものの、空が祓い屋をやっていることは秘密だ。  あやかしという存在自体、多くの人々が知らないものだし、変にこの世界に関わると、妖怪たちに目を付けられてしまうので、何も知らないほうが幸せに生きていけるものだ。 「ちょっとネットで動画見てたら、ハマっちゃって」  と、それっぽい言い訳をして誤魔化す空。  みつみは、ふうんと頷きながら、一緒に歩幅を合わせて学校まで通学していく。 「ねえねえ、日曜日、ヒマになりそう?」 「今のところ、空いてるけど?」 「よかった。じゃあ、映画行こうよ。『天使の子』、ものすごい面白いって評判だし!」 「あっ、私もそれみたかったの! いこいこ!」  巷で話題のアニメ映画だ。海外にも評判になっていて、ハリウッドが実写映画化するかもしれないなんて噂が、早くも飛び交っている。  祓い屋の仕事に、勉学。色々と忙しいが、人並みに休日を楽しみたいと考えている空には、ありがたい誘いだった。  妙なお寺に生まれ落ちたのが運のつきという奴で、空は小さなときから、あやかしの存在を知り、祓い屋として修業を積まされてきた。  祓い屋の仕事を頑張ろうと思ったのは、自分には才能があると言われたからだが、それはもしかすると、祖父のお世辞で跡を継がせたいがための方便だった可能性もある。  なににせよ、もう祓い屋の星家として、その名を襲名してしまったので、やっぱりやめます、なんて無責任なことはできない。  学校に到着すると、二年一組の教室に向かう。  ここが、空とみつみのクラスだった。  空が自分の席に落ち着くと、隣の男子が挨拶してきた。 「おはよう、星」 「おはよう、狗巻くん」  狗巻天地は、空にとって仲のいい男の子だった。  彼はいつも、優しい微笑みを携えて、挨拶してくれる。そういう爽やかなところがとても好感を持っていた。  スポーツも勉強もできるし、周りの女子は結構注目してアピールをしているのだが、狗巻は空くらいしか女子と仲良く話すことがない。  隣の席だから仲良くしてくれるのかもしれないが、空も少しだけ、狗巻のことを「いいな」と感じていた。  燃え上がるような恋心はないものの、仄かに燻る慕情のようなものがあるのは、自覚していた。 「ねえ、星。シャンプー変えたのか?」 「へっ?」  突然、狗巻が朝に似合う白い歯を見せて、ニッコリとそんなことを言った。  唐突な話題で、空は素っ頓狂な声を出してしまったが、確かに狗巻の言う通り、今週から新しいシャンプーに変えた。  なぜ、彼がそれに気が付いたのか分からないが、なんだか無性に恥ずかしくなった。 「か、変えた、けど。な、なんで?」 「ごめん、良い匂いしたから」  良い匂いがしそうなのは、その爽やかな笑顔のほうだと、空は心の中で反論していた。  なんて清々しい笑顔を作るのだろう。  好青年というのは、彼のための言葉だと思う。  その笑顔も、なんだか無邪気な少年らしさも孕んでいて、悪戯な気配も覗かせていた。それが空の心を、切なくもほんのりと温める。 「そ、そんなに、臭うかな?」  空は自分の髪をひと房つまんで、鼻を近づけてみるが、自分の匂いというのは存外自分では分からないものだ。 (っていうか……。じゃあ……狗巻くんは、私の前の匂いも覚えてたって、こと……?)  そう考えると、心の中の温度がどんどん上昇する。心臓の音が早鐘を撃ち始めそうになるから、深く考えるのをやめた。  話題を変えようと思って、慌てて口を動かす。 「い、狗巻くんって、部活してないんだっけ?」 「ああ、色々忙しくて。星もしてないだろ」 「う、うん。私も忙しいから、家のこととか……」 「お寺だっけ?」 「……よ、よく知ってるね」  どうして、こんなに自分のことを知ってくれているんだろう。  でも、空の家がお寺なのは、知っている人は当然のように知っている情報だし、部活をしてないことは、隣の席に座っていたら察することくらいできる。  何も特別なことではない。と自分に言い聞かせるが、空は胸の奥がくすぐったくなっていた。 「家の手伝いなんて、やめちゃったほうが、楽なんじゃない?」  狗巻の少し鼻声な、甘い声で囁くように言った。  いつまでも聞いていられるような魅惑のボイスだ。 「ううん、自分で決めたことだから……。大変だけど、私、頑張りたいって思うんだ」 「……そっか……」  空を気遣ってくれているのかもしれないが、彼は少しだけ哀しそうな目をして、見つめていた。  その目が、空をさらに「きゅっ」とさせた。  まるで、お預けを食らった子犬みたいな目だったのが印象的だ。 「あんまり、無茶しないでね。オレ、星がきつそうなの、嫌だから」 「う、うん。へ、平気だよ!」  今朝、みつみにも言われたことだ。もしかしたら、相当顔に疲労が出ていたのかもしれない。  空は、ペチペチと自分の頬をはたき、元気だよと狗巻に演出して見せた。 「ねえ、オレで良かったら、日曜とか付き合うよ?」 「えっ!? だ、だだ、大丈夫! 日曜は映画を見に行く予定だし!」  思いがけない話になったので、空は露骨に慌てて頬を赤くした。  そして、ぶんぶんと手を振って、狗巻の誘いを断っておく。 「映画行くんだ」  狗巻は、そこで目を丸くしていた。驚いているようだが、その表情さえ、どこか可愛らしいものがある。  同学年の男子に、可愛い反応をしてるなんて思う段階で、狗巻の顔立ちの魅力が群を抜いている証拠かもしれない。 「そ、そう。天使の子……。お、おもしろいらしいから……」 「そうか……、ゆっくり楽しんできてね」 「あ、ありがとう」  こんなに優しい男子、滅多にいない。  爽やかで、優しくて、可愛くて、甘くて……。  女子に大人気なのに、なぜか彼は空にしか話してこない。  男子とは話しているのを見たことがあるが、女子とはほとんど話しているのを見たことがない。  風のウワサで、違うクラスの女子からも告白されたというゴシップを聞いたが、それも断ったそうだし、狗巻という男子が空には理解できなかった。  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 「誰と行くつもりなんだ……空のやつ……!」  昼休み。学校の屋上で、独り狗巻は頭を抱えていた。  朝、空と会話をして、最高の幸せな時間を味わっていたのに、その会話の中で空が日曜日に映画に行くと言っていた。  まさか、男だろうか。  調べてみたところ、天使の子という映画は、思春期の少年と少女が織りなす幻想的なラブストーリーだそうだ。  ならば、空が見知らぬ男と見に行く可能性はゼロではない。 「ち、ちくしょう。こんなにあいつだけを見て、空に毎日アピールしてるのに……」  空はなぜかよそよそしい態度をして、狗巻のことをはぐらかそうとしているように思う。  本当ならば、朝の挨拶にキスをして、愛してると言いたいくらいなのに。  隣の席になるように妖術で仕組んで、毎朝「おはよう」と言うことに、この狗巻がどれほどの熱量を持っているのか、彼女に伝わっていない。 「はっ……!? シャンプーを変えたのは、なにか意味があるのか? 気になる男ができた、とか……」  空は今年十七だ。もう、恋愛を始めても良い頃だし、寧ろ遅いくらいだ。  それに、思い返せば映画に行くと言った時の空の顔――、あれは誰か別の人間を思い描いて恋い焦がれている女の顔だ。  ――狗巻は、結構嫉妬深い性格をしていた。  人間のクラスメートに化けている間はそう言った本性を隠すのに必死になっているから、清涼な風が吹き込むような気配を纏って過ごしている。  しかし、大天狗であるあやかしの姿になれば、その本性が隠していた分、どっとあふれ出てくるのだ。  だから、大天狗として彼女の前に立つと、どうしても空を抱きしめたくなって、あんな風に力ずくで押し倒したりしてしまう。  あのような本性を出してしまったら、すぐに自分の正体が、空にバレてしまうだろう。  なんとかして、空の気持ちを手に入れたい。  だから、自分の熱情を抑えて、狗巻天地を演じ続けるしかないわけだ。 「日曜日……映画館……。オレも行ってみるか……」  狗巻は、自分の内側に燃え盛る、空への想いを必死に抑え込む様に、自分のシャツの胸元をクシャクシャに握った。
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