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わたしはその日まで、どこにでもいるような平凡な主婦だった。
夫と二人の子どもとの四人暮らし。
結婚して仕事を辞めたわたしは、数年間毎日休まず家事と子育てをしてきた。
そんなわたしの唯一の趣味は懸賞に応募することだった。
三ヶ月前、インスタントコーヒーの懸賞で旅行券が当たった。
とはいえ、子どもがまだ小さいし、海外旅行なんてとても無理。そう思っていたのに、夫の「行ってくれば」という一言で、わたしは新婚旅行以来の海外旅行へ旅立つこととなった。
行き先はコーヒーの産地、インドネシアにほど近い場所だった。
メーカーが経営するリゾートホテルでの滞在と、コーヒー農園の見学、小さな島へのクルージングなどが盛り込まれたツアーで、3泊4日の旅。
今思えば一人で海外旅行に行こうだなんてよく思ったものだ。
けれど毎日の家事育児に疲れ果てていたわたしは、とにかく気分転換がしたかった。
この旅を終えたらまた毎日を頑張れる、そんな思いだった。
旅は順調だった。
たくさんお土産も買って、帰りの飛行機に乗った時にはさすがに疲れきっていたけれど、もうこれ以上子どもの顔を見ずにはいられないというほどホームシックでもあった。
長いフライトの末に降り立った空港。
飛行機の中が乾燥していたせいでとても喉が渇いていたけれど、もうすぐ子どもたちに会える、その思いで出口へと急いだ。
ガラス戸を隔てた向こうに夫と子どもの姿が見えた。
お互いに手を振り合う。もうあと数歩。
ところが、そのドアは開かれることなく、乗客は何故か再び飛行機に押し戻された。
長い間説明もなく機内で待たされる。
携帯電話の電源を入れ夫にメッセージを送った。
――何が起きてるか分かる?
――伝染病の疑いがあるらしい。医療機関の受け入れと移送の準備の為に待たされてるみたいだ
――こっちには何の説明もないのよ。酷くない?
――パニックになるのを恐れてるんだよ。君は大丈夫?
――平気よ。子どもたちは?
――待ちくたびれて寝ちゃったよ。病院で待ってる。
――分かった。後でね。
メッセージアプリを閉じて、ニュースサイトにアクセスする。
乾燥のせいか目がヒリヒリと痛んだ。
しばらく画面をスクロールしてみたけれど、目新しいニュースもない。
少し眠ろうと目を閉じた。
次に目を開けた時には、飛行機が揺れているのを感じた。
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