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一週間前
麻田由奈は一週間の休みをとって海外旅行に来ていた。
学生時代から一人旅には慣れている。今回の旅行では後半のホテルをリッチなリゾートホテルにした為、前半の宿は予算の都合上かなりシビアな条件にせざるを得なかった。
シャワーでお湯が出ないなんて当たり前。なんなら部屋中虫だらけ。安心して眠れるようにするのに一苦労だ。
「日本なら刑務所でももっとマシね」
由奈は独り言ちる。
それでも人間慣れればどこでも眠れるものだ。
買ってきた惣菜で夕食を済ませ、早めにシャワーを浴びることにした。
ある程度虫には慣れっこの由奈だったが、その日シャワー中の由奈を襲ったのは針金のように細い蛇だった。
赤と黒の縞柄の蛇は、音もなく由奈に忍び寄りシャワーヘッドの先からぽたりと由奈の頭上に落ちてきた。
小さな細い蛇は、シャワーに紛れて由奈の髪に潜り込む。
鏡もない簡素な浴室で、由奈は濡れた髪をかきあげた際に指に絡みついたそれを、最初はただの紐か何かだと思った。
指の隙間をヌルりと動いたそれが大嫌いな蛇だと気付いて振り払おうとした時には、由奈の指は鋭い牙に刺されていた。
由奈はシャワー室を飛び出し、急いで服を着るとフロントへ走った。もし毒のある蛇だったら?
パニックになってはいけない。ここは日本ではない。頼れる人もいないのだから。由奈は自分に言い聞かせる。
――急がば回れだ。落ち着いて、明瞭に、端的に状況を伝えなければ。
フロント係の若い男性を捕まえて、指を見せる。
「シャワー中にここを蛇に噛まれたの」
フロント係の英語はひどい訛りで、こちらの言いたいことが上手く伝わっているかどうかが怪しい。
「蛇よ! 赤と黒の縞模様ですごく細い奴よ!毒はある? 指を噛まれたの」
簡単な英語で繰り返しそう告げる。何事かと集まってきたスタッフの一人が「メデューサ」という単語を繰り返した。
それがその蛇の名前らしい。
そのスタッフが続けて何かを言おうとした時、由奈は目の奥に激しい痛みを感じてしゃがみこんだ。両目を針で刺されたような痛みに、両手で瞼を抑える。
由奈の口から恐ろしいほどの悲鳴とも呻き声ともつかない叫び声がほとばしる。
床を転げ回る由奈の目に誰かが冷たいタオルを当ててくれるとほんの少し痛みが和らいだ。目が燃えているように熱い。まるで唐辛子を擦り込まれたみたいだった。
蛇に噛まれたのは指なのに、何故目が?
あまりの痛さにそれ以上冷静でなどいられなかった。
病院に運ばれた由奈の元に、翌日WHOの職員を名乗る二人の男性が現れた。
「WHO? 世界保健機関が何故?」
「あなたは感染症に罹っています。現在の医学では治療法はありません。感染の拡大を防ぐ為、あなたは二つのうちどちらかの方法を選ばなければなりません」
「二つの方法?」
「一つは治療法が開発されるまで隔離病棟で過ごす方法。もう一つは眼球を摘出する方法です。この感染症は目から感染するのです。感染した場合の致死率は100%です」
「わたし死ぬの?」
「あなたはこの感染症のキャリアです。あなたの目を見た人が死に至るのです」
由奈は自分の英語のリスニングが間違っているのではないかと何度も聞き返した。
何度聞いても彼らはそう答えている。
「冗談でしょ?」
由奈は自分の目を覆っている分厚い包帯に触れた。痛みはもう無かった。
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