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「ご搭乗の皆様、当機は羽根田空港を離陸し、管制塔からの指示を待っているところでございます。 ご搭乗の皆様には大変ご迷惑をおかけ致しますが、ご理解とご協力をお願い申し上げます。 尚、現在安全の為皆様にはゴーグルを着用いただいております。 指示があるまで外さないようお願いいたします」 アナウンスは日本語、英語と繰り返される。 通常のアナウンスと変わりない抑揚で繰り返されるそれに、詳しい状況が分からない不安は有耶無耶にされている。 安全の為のゴーグル? 顔に手を当ててみれば、いつの間にか顔の上半分を覆うゴーグルが付けられている。 アナウンスもゴーグルの延長上にあるヘッドフォンから聞こえてくる。 「機長の前島より申し上げます。緊急事態のため、皆様には指示に従い落ち着いて行動くださるようお願いいたします。 ご搭乗のお客様の中に伝染病の発生地区に滞在された方がいらっしゃいます。現在のところ感染の有無は確認できておりません。日本国内への感染の拡大を防止するための措置であることを最初に申し上げておきます。 現在確認できている情報によりますと、この感染症は空気、接触などでは感染しません。手洗い、マスクなどの着用は感染予防にはなりません。この感染症の唯一の予防策はゴーグルです。どうぞ皆様の命を守るため、安全が確認できるまでゴーグルは外さないよう重ねてお願い申し上げます」 ゴーグルが感染予防になるなんて初めて聞いた。いったいどんな感染症なのだろう。 ゴーグルを付けているせいで周囲の様子が分からない。それにしてもいつ到着するのだろう。飲み物のサービスはないのだろうか。乾いた唇がピリピリと痛む。耳には否応無しにクラシック音楽が注ぎ込まれている。 狭いシートで身動きも出来ず、最初こそ落ち着いていられたものの、だんだんと不安が押し寄せてきた。 家にはいつ帰れるのだろう。わたしはまだ感染していないはず。それに膝の上に置いた携帯電話はピクリともしていない。 機内Wi-Fiに繋いでおいて良かった。何か有れば夫から連絡がくるはずだ。なんと言っても彼は空港関係者だ。誰より早く情報を得ているはず。 慣れないゴーグルのせいで額や頬骨の上が痛い。それにしても……。 「すみません」 片手を上げてCAに呼びかける。すっと音楽が消え、若い女性の声が聞こえてきた。 「お客様、いかがされましたか?」 「このゴーグル、さっきから風景の映像映してるけど、これ消してくれないかしら。携帯のメッセージを確認したいの」 「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」 それからしばらく待ってもなんの変化もない。相変わらず草原や森の景色が流れるばかりだ。 もう一度呼ぶ? 面倒な客だと思われるかしら。 そう言えば音楽は止まったままだ。 機内で騒ぐ人もいないのかとても静かだった。周りの状況に耳を澄ませてみても誰も動いていない。衣擦れひとつ聞こえない。 もしかしてさっき聞こえたCAの声はスピーカーから聞こえただけで、側にはいなかったのかもしれない。 そう考えると、何かの病気に汚染されているかもしれないこの飛行機の中にCAが乗っているのかどうかもあやしくなってきた。 わたしたちは飛行機ごと隔離されているんじゃないだろうか。
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