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(…さぁ、今日のはじまりだ)
清水 葵は、目を覚ました瞬間真っ先にそんなことを思う。『世界がなくなっていればいいのに』という願いは、今日もまた叶わなかったようだ。
きしり、とベッドのスプリングが鳴り、葵は思いきり顔をしかめる。静かにしないと、今日もまた母に叱られてしまう。
――いや、『母』という仮面をつけた、他人にか。
部屋の隅にある三面鏡の前に座り、長い黒髪を櫛で梳いていく。ちゃんと整えないと、『母』は朝食をとることすら許してくれないのだ。勿論、高校に行くことも。
半袖シャツに腕を通し、音を立てないように気をつけながら櫛をしまう。磨き上げられた黒革の通学カバンを持ち上げ、はぁと一息ため息をついた。
行きたくはないが、『母』は時間にも厳しいのだ。すすすすす、とほとんどすり足で階下のダイニングルームに降りた。
「…おはようございます、母さん」
「おはよう、葵。…あら、その恰好は何?」
「制服です。7月から、半袖を着ていいことになっているので」
「そう」
短く言葉を交わし、素朴な木の椅子に座る。今日の朝ご飯は目玉焼きに白米、豆腐とワカメの味噌汁だ。葵は、好物に少し…ほんの少しだけ表情を緩め、「いただきます」と箸を手に取った。
会話をすることもなく、黙々とご飯を口に運び続ける。それなら別々に食べたっていいとは思うが、『母』がふたりで食べることに拘るのだ。『母』に逆らえない葵は、言葉を飲み込むしかなかった。
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