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《第三話》
エレベーターの中での彼女の振る舞いは普通の女とまるで違っていた。
作法とされることを彼女はしてこない。しかし彼は不快を覚えずひどく新鮮な気持ちを抱いた。
普通の女は教えられた作法を綺麗に実践してくる。
高級な店になればなる程、厳しく作法を叩き込まれる。礼儀を重んじる為だ。
店の規則となっている作法を蔑ろにすることは店の品質を落とし、自分の格も落とすことに繋がる。作法を無視する女はそうそういない。
彼は直ぐに気付いていた。
彼女は作法について未熟なのではなく、完全に身に付けているのだと。
知らなければ綺麗に崩すことなど出来ない。
守破離、型を守り型を崩す。簡単に行えることではない。勇気も必要だ。生業となれば自身の進退に直結する。
それを許されているということは、彼女が確かな信頼を得ている証拠でもある。
狭い密室で彼女は性的な行為をしてこない。そのプラトニックさは彼に心地好さを運んだ。
指先を軽く絡めたまま握りしめることもなく、軽く自分の頭を彼に預けるだけだった。
エレベーターは直ぐに二階で止まった。一階はフロントと待合室のみであり、全ての部屋は二階以上にある。
言葉少なく、けれども舞うような表情と足取りで彼女が部屋へ誘導していくから、遂に彼はくすくす笑ってしまった。
すると彼女は言った。
「だって心地好いのだもの」
嬉しそうな顔でそう言われた彼は可笑しくなって大口で笑い出した。
「笑い過ぎだわ」
遠慮もなく彼女がそう苦ると彼は言った。
「どうして? 楽しかったら笑うでしょ」
「確かにそうね!」
そうして彼女は左手で口を押さえてころころ笑い出した。
笑いながら着いた部屋は角部屋であった。
「角が好き」
靴を脱ぎながら彼がそう口にすると、彼女は当たり前のように言った。
「だって長く廊下を歩いていられるじゃない」
「そうだけどさ。間を持たせたくない相手だっていない?」
靴を揃えながら彼女は首を傾げた。
「そうかしら?」
「結構愚痴られるよ、他の女の子に」
「化粧師さん、愚痴なんて聞いてあげる必要なんてないと思うわー」
「聞いてあげてるんじゃなくて言われるんだよー」
彼女が嫌悪を隠そうともせずに棒読みで言ったから、彼も遠慮なく伸び伸びとそれに習った。
「こっちの本音を聞きだす為に使ってくるんじゃないんだよ。単純に愚痴を押しつけられる。最悪」
「最低」
「でしょ?」
「相手にすることないわ」
「じゃあ相手して」
促されるまでもなくベッドへ腰を掛けていた彼がそう言うと、彼女は綺麗な所作で床に膝を正し三つ指をついた。彼が今まで会ったどの女よりも美しく綺麗であった。
美しいのに上目遣いの彼女の目は茶目っ気を伴っている。
「予約とか指名とかしないで一番人気に会うとは思わなかった」
「あら、ここ角部屋よ?」
「角部屋が好きなんでしょ?」
「角部屋がいいって言ってみたら本当に角部屋くれたから流石に驚いたわ。誰かに恨まれてたらどうしよう?」
「気にしなければいいだけー」
「まあ、そうなのだけどねー」
戯けるようにそう返した後、立ち上がった彼女は彼の左に座ると「暑くない?」と尋ねた。
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