終章:新たなる道へ

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終章:新たなる道へ

 イシャナ王レイとセァク王姉エン・レイの結婚は、レイ王が式典自体を不当に政治利用したと公に認めた事で、破談となった。ところが予想外な事に、式典でのヒョウ・カ皇王の行動に感銘を受けたプリムラ姫が彼を気に入った事で、二人の婚約話が持ち上がり、結果的に両国の友好関係は別の形で築かれる事と相成った。  両国王の会談は、結婚式から数日後にアイドゥールで開かれ、正式に和平が結ばれた。  その裏にインシオン遊撃隊の活躍があった事を正しく知る者は少ない。両国の王族、皇族と一部の重臣の間に秘され、破神(タドミール)の正体についても黙された。  ソキウスはイシャナに身柄を拘束された。研究者達はこぞって、彼を破神の血を持つ被験体として調べ尽くすようレイ王に進言したが、エレが王に直訴してそれを止めさせたのだ。 『私に復讐しないのですか? あなたの人生をめちゃくちゃにしたのですよ』  イシャナ兵の護衛を伴った接見の中、鉄格子越しに嘲笑を浮かべるソキウスに向け、エレはゆっくりと首を横に振った。 『あなたのおかげで得たものも沢山あります。だからもうあなたも、復讐や憎しみを考えないでください。「神の手」で記憶を削って、あなた自身を苦しめる事もしないでください。アリーチェもそれを望んでいるはずです』 『……本当に、あなたという人は……だ』  ソキウスは手で顔を覆い口元を歪めて何かを呟いた。しかしもう、エレを見下している様子ではなかった。  破神の存在はひとまず隠された。しかし、人の口に戸は立てられない。いつかどこかから噂は広がる。そして、イシャナとセァクの過去の遺恨が完全に消えた訳でもない。差別は根深く残るし、恨み憎しみは新たな争いの呼び水となりかねない。  そういういざこざをひとつでも消す為にも、インシオン遊撃隊は再び大陸を巡る旅へ出る事になっていた。  その旅立ちの日は、アイドゥールでの会談と同じ日だった。  新設アイドゥール大使館の、自分に与えられた一室で、エレは鏡と向かい合っていた。  会談の場に居合わせ、両国の王がしっかりと握手を交わすのを見届けてそっと会場を出てゆく黒装束の青年の姿は、エレの視界にきちんと入っていた。彼を追いかける為に、会談が終わると自室に飛び込んだのだ。臨席する時に着ていたセァクの衣はとうに脱ぎ捨て、イシャナの旅装に身を包んでいる。緑の腕輪もしっかりとはめていた。後は髪を結ぶだけなのだが、焦りで手が滑る。  置き手紙をしたためたのに、結局出発しそびれました、などとなれば元も子も無い。焦れるエレの耳に、 「姉上」  ヒカの声が届いて、エレは驚いて身をすくませてしまった。赤い組紐が床に落ち、髪もはらりとほどけて広がる。 「やはり行くのですか」  部屋に入って来たヒカは組紐を拾い上げ、何かを思う瞳でそれを見つめている。  彼はセァク皇王だ。行くなと命じればたとえ姉でもエレをセァクに縛りつける事は可能だ。いやそもそも、まるで他人だとエレ自身が思い出してしまったのだ。皇族の系譜からエレを外して臣下の一人として扱う事も可能なはず。  エレもヒカも、下を向いたまま黙り込む。気まずい時間が流れた後。 「姉上」  先に口を開いたのは、ヒカの方だった。 「僕は周りに甘えてばかりでした。だけどこれからは、自分の足で立ち、自分の目でものを見、自分の耳で聞き、自分の頭で考え、自分の口できちんと意志を伝えます」  だから、と組紐が差し出される。 「姉上もどうかご自身の意志で、姉上の望む生き方をしてください」  ヒカの姿がいつになく大きく見えた。この二月で背が伸びただけではない。王として、男としての頼もしさも感じさせる貫録を身に着けてきたようだ。 「……ありがとうございます」  エレがおずおずと笑うと、ヒカもゆっくりと微笑む。  組紐が、弟から姉の手に渡る。それは縛る為の道具ではなく、自由を与える為の約束であった。 「――インシオン!」  アイドゥールの街門を出て行こうとしていたところで、エレは目指す人達に追いついた。シャンメルが、リリムが、そしてインシオンが、足を止め驚き顔で振り返り、それからゆるい笑みをほころばせる。  全力で走って来たのですっかり息を切らせながら、エレはインシオンの前に立つと、まっすぐに彼を見上げた。 「もう少し、あなたと共にいても良いですか」  途端にインシオンが、不機嫌そうに目を細めて無言で見下ろして来た。  そういえば、追いかける事ばかりに気を取られて、拒絶される可能性を全く考えていなかった。折角ヒカに送り出してもらったのに、すごすご引き返して行ったら、格好悪い事この上無い。不安たっぷりの沈黙がよぎる。 「お姫様にはきつい旅だぞ」  やがて、インシオンが腕組みしながら口を開いた。 「覚悟の上です」  赤い瞳をまっすぐに見返して毅然と言い切る。 「また人が死ぬのを見るかもしれない」 「死なせません」 「アルテアを使えねえ場面もあるぞ」 「あなたに習った剣があります」 「野宿もするぞ」 「慣れました」 「不味い飯を食って腹壊すかもしれねえし」 「気合いで治します」  段々きついの度合が下がって来ているような気もするが、エレは腰に手を当てきっぱりと返した。  ぷっと吹き出す声が耳に届く。口元を手で隠すインシオンの目が、笑いの形に変わっていた。 「まあ、お前といると退屈はしねえ。孤児院で世話してやった仲だ、娘みたいなもんだしな。面倒見てやるよ」  小さい頃そうしてくれたように、大きな手がくしゃりと頭を撫でてくれる。むずがゆさで自然と笑みが浮かぶ。が、ひとつ気にかかった単語があって、笑みが消え思考が泳いだ。 「娘ですか」  そういえば、一度も訊いた事が無かったし、知ろうともしなかった。今更気になる。 「あなた、歳いくつですか」  十三年前に英雄だったのだ。もしかしたら若そうな外見に反して三十を越えているのかもしれない。ぐるぐる考え込むエレを面白そうに見下ろして、インシオンは背を向けると。 「二十八だ」  言い置いて、すたすた歩き出す。それを聞いたエレはしばらくぽかんとしていたのだが、理解した途端、驚きと、若干の怒りがこみ上げた。 「――若いじゃないですかっ!」  悲鳴に近い裏返った声が洩れる。 「私は十七です! 子供扱いしないでください!!」  インシオンがからからと笑う後をエレがぷりぷり怒って追いかける。その後ろに、陽気に鼻歌を歌うシャンメルと、呆れ半分に微笑むリリムが続く。  インシオンに平等に扱われたい理由。エレはそれに気づいていながら、悔しくて無視をする事に決めた。  絶対に今は言ってやらない、と。  蒼穹だけがエレの答えを包み込み、太陽は優しく四人を照らして、インシオン遊撃隊の新たな旅立ちを祝福していた。
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