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学校までは自転車で約二十分。
黎はいろいろあって隣の市の高校を選んだわけだが、この距離は中々にめんどくさかった。近いわけでもなく、遠いわけでもない。
彼は経済的な理由も含め、自転車という方法を選ばざるを得なかった。しかし自転車は体力を使う。それが自転車が古くてペダルが重いとなればなおさらだ。やはり気分的には電車で行って、歩いた方がまだ楽な気がする――と、この間友達(と思っている奴)にぼやいたら、「もしそうだったら、黎ちゃんはその時逆のことを言ってるよ」、と言われた。
ふむなるほど。確かにそうかもしれない。と彼は思った。
現状が苦だから、別の道は楽だと思いたいのだろう。いや、思いたいのではない。そう言いたいだけなのだ。言うことで、気持ちが紛れる。内心ではそう思っていなくても、そう口にするだけで心の負担が多少は紛れる。だから自分の発言に対した意味などない。思っていなくても、言葉に出せる。出してしまう。
こんなことを最近よく思う。
人生において、人間は選択をする。その選択において、たいていの場合あれもこれも、とはいかない。あれかこれか、である。もちろんパンと米が食べたければ、両方買えばいい。でもそれはパンか米か、の二択ではなく、パンか米かパンと米か、という三択のうちの一つであり、それはまた別の道なのである。そんなことを言えば、選択肢は無数にあるじゃないかと思うが、そうである。
人生はギャルゲーのように選択肢を絞ってはくれない。そして同じくギャルゲーのように時間を繰り返しはできない。一度選べばその道を進むだけである。もしそれが死亡フラグだったとしても、取り消せない。死亡フラグが立てば、それを上書きしてしまうような生存フラグを立てる選択肢を選ぶしかない。Aが悪かったからといって、Bが良いとは限らない。もっと悪いかもしれないし、その選択に大きな意味は元々ないのかもしれない。意味のない選択肢など多分にある。全てが何かに結びつくとは限らない。だからいちいち過去の選択を気にしない。むしろ自分の選んだ道の方が最善だと、そう考えた方がいい。
前しか見ない。前しか見たくない。
一見心の強い人間のように思えるが、違う。もう一つのあったかもしれない幸せな未来を思い描くことが怖いのだ。現状が最高だ。そう思いたい。今が一番幸せだと。
そんな風に自己分析してみる。と言っても所詮自己分析など意味のないことであるが。
(朝から何考えてんだ)
と黎は頭を振った。
楽に楽しく生きよう。結局それが彼のモットーである。
そんなことを考えながら今自転車で走っているのは、どこにでもありそうな田舎の堤防である。人は全くいない。会社員が通勤で使うような道でもないため、こんな時間に道を行くのは、彼と同じ様に自転車で学校に登校する人間か、朝の運動をする老人くらいなものだ。
とかなんとか考えているうちに、堤防をおりるところまできた。ここをおりれば、あとは三分くらい行けば黎の通う常陽高校だ。同じ学校に通う生徒たちが登校している道に合流する。
「……ん?」
坂道を下ろうとした瞬間、黎の目の端に何かが映った。坂道とは反対の、堤防の下で川辺に佇む少女を見つけたのだ。黎はおもむろにそちらを振り返った。
その少女は黎と同じ高校の制服を着ていた。白いポロシャツに白いスカート。後ろ姿でその顔は見えないが、その少女の長い黒髪はその場の強い風にばさばさとなびいていて、綺麗だなと思えた。シャンプーのCMみたいだ。
しかしそれ以上に感じるものがあった。
それは、まるで洗練された一枚の絵画のようだった。
題目――『川辺に佇む少女の後ろ姿』。無名の画家が、死ぬ直前にかつての想い人を忘れられず、最後にその唯一の後悔を描いた。そんな悲壮感を感じさせる光景。その光景に、何故か見とれてしまう。何故か哀しいと思える、そんな光景。そんな後姿。
そしてそんな強い風に吹かれる少女の後姿を見て、堪らず言葉をこぼす。
「……白か……」
ばさばさとなびくスカートから、少女の下着がばっちり見えていた。
黎がそれに夢中になっていると、そのパンツ――もとい、少女の身体がくるりと回ってこちらを見た。一瞬すぐにでも目を逸らして、「何も見ていません。今ここを通っていたところです」という演技をするべきか迷ったが、迷ってすぐやめた。本当に見ていようが見ていなかろうが、向こうは「あそこからだと風に吹かれてまくれたスカートから私の下着が見えるし、見てたのかな。ということは今あの人はまるで見ていないかのように取り繕おうとしているのではないか」と考えるだろう。それではどうしたって恥をかく。
だったら見るさ。少しでも長く。
そして何よりそれを彼のプライドが許さなかった。俺は何も間違ってなどいない。見たいから見たのだ。恥ずるべきことなど何もない。そういう固い信念があった。
黎はこちらを振り向いた少女を睨みつける。これが男の中の男か。
少女は堤防を上がるように黎へと近づいてくる。少しずつ縮まる距離に、黎は少しばかりの緊張を憶えた。
そして少女が目の前まできた時、少女は睨み付ける黎に対し、一切の反応を見せずそのまま黎の横を通り過ぎてしまった。
一瞥もくれず、まるで黎がそこにいなかったかのように。
その顔は死んでいるかのように動かず、まるで人形でも見ているような気分だった。
自分を無視して通り過ぎ去った彼女に振り返り、
「何だよ。つまんない奴」
そう一方的な毒を吐いて、黎は再び自転車をこぎ出した。
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