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馬鹿なクラスメイトズ
いつもより遅く教室に入ったためか、教室はいつもと違い、人が多く賑やかだった。
「黎! おはようっ!」
教室に入るとすぐ、黎が来るのを待っていたのだろう、一人の元気いっぱいの男子生徒がぴょんと横から飛び出てきて、進行方向を塞いだ。
「……」
黎はそれを汚物を見るような目で見下ろし、無視して何も言わずに横に避けて進む。
負けじと何度も、「おはようっ!」と、飛び出てくるその男子生徒に対し、町ですれ違う人を避けるようにして淡々と進み、縦五列、横六列の席のちょうど真ん中、その後ろ側の席に着いた。
黎が何故挨拶を続けるクラスメイトを無視し続けるのか。
それはできれば彼を紹介したくはないからだ。
今の行動を見てもらったらわかるように彼は馬鹿だ。馬鹿な人とか頭の弱い人とかそういう次元じゃあない。これは馬鹿そのものだ。馬鹿の権化。
自己紹介するとしたらこうなる。
『我輩は馬鹿である。脳みそはまだ無い』
又は、
『我、馬鹿故に我あり』
こんなところだ。
「無視するなんて酷いなあ、黎ちゃんは」
と、その馬鹿とは別の方向――黎の右斜め前の席に座る爽やかな男子生徒がそう言って介入してくる。
「顔が良いと心が汚くなるって本当ですか?」
「開口一番に他人行儀な質問されたっ!?」
顔に似合わず激しくツッコンで来た爽やかなその男子は呆れ気味にため息をつき、「やめてくれよ。僕は本来あまりこういう激しくツッコむキャラじゃないんだから」とぼやいた。
衣笠美登里。それがこの爽やか少年の名前。
黎は決して言わないのだが、しかしこの男を表す特徴としてこれ以上のものは無い。
彼は一言にイケメンに尽きる。
爽やかだ。憎たらしいくらいに。こういうのを巷で草食系イケメン男子と言うのだろう。
その横で今でもずっと黎に「おはよう」と言い続けている少年も、そこそこの爽やかイケメンではあるが、彼は草食系男子ではない。単細胞馬鹿だ。一文字も合ってないけれど。
「黎ちゃん。早く挨拶を返してあげれば? このままだと蒼ちゃん止まらないよ」
「なんだよ、この馬鹿の味方をするのか?」
『蒼ちゃん』。それが未だ黎の前の席でいろいろイントネーションを変えておはようを言い続けている少年のもう一つの名前。
正しくは大空蒼海。
だけどその上だけを取って、周囲は「蒼」と呼んでいる。
「いや、ていうか蒼ちゃんの場合、他の誰かがフォローしてやらないと、全てを全て受け入れてしまうからね」
「生まれたての雛よりも純心だな」
「ていうかもう病気だよね――ってうるさいよ蒼ちゃん!」
蒼海の壊れた機械のような行動――おそらく本人は異常だとは思っていない。純粋に黎に返事してもらえるように頑張っていたのだろう――に耐えらなくなった美登里が蒼海を激しく静止した。
「黎~なんで無視するんだよぉ?」
「蒼、そういえば滝下先生がお前のこと捜してたぞ。すぐ行った方がよくないか?」
「ぬ? もしかして昨日うちに掛かってきた『手違いでクラスの名簿を無くしてしまったから、クラスメイトの電話番号を教えて欲しい』っていう電話の件かな? 間違えて小学二年の時のクラスメイトのを教えちゃったから、困ってるのかも! ありがとう黎! 行って来るよっ!」
そう言うと、蒼海はがたりと音を立てて立ち上がり、台風の如く慌ただしく教室を出て行った。
「もうすぐホームルームなんだけどな」
「黎ちゃんわかってて言ったじゃん。ていうか滝下なんて教師はこの高校にはいないよね。どこにどんな人間を探しにいったんだろ。それに触れたくないけど、蒼ちゃんかなり古い詐欺に引っかかってるよね」
「馬鹿なおかげで我が家の電話番号が守られたな。感謝しよう」
「今時この手の詐欺する人がいることに驚きだよ」
なんて黎と美登里がいつもの朝のやりとりをしていた時、教室全体の空気が一気に重くなったのがわかった。黎が何かと思って辺りを見渡すと、クラスメイトが皆、教室の後ろに目をやっているのに気がついた。といってもジッと見つめているというよりは、顔を向けず、目だけを向けたり戻したりしていて、何か見てはいけないものは恐々見ている感じだ。
何だ、と思って後ろを振り向くと一人の女子生徒が教室に入ってきたところだった。その女子生徒はそんな周囲の様子を気にすることもなく、空っぽの席の後ろ、窓際の一番後ろの席に座ってしまう。
「あ」
ついそんな声が漏れる。クラスメイトが全員、黎を見る。そんな目線を感じて、自分が何か不味いことをしてしまったのかと感じ、顔を前に向け直しその場をやり過ごした。
「どうしたの? 黎ちゃん」
前の蒼海の席に座った美登里が少し声量を落として訊いてきた。
「いや、今朝堤防で見かけたパンツ――もとい、女子だなぁと思って。まさか同じクラスだとは思わなかったから」
「今確かにパンツって言ったよね……てか見た時気付かなかったの?」
「え? うん」
「うんって……もうこのクラスになって結構経つでしょ。クラスメイトの顔くらい覚えようよ」
「お、覚えてるって!」
「じゃああっちの端から名前言ってみてよ」
そう言って美登里は教室の一番前の窓際の席を指した。そこには一人の女子生徒がいる。
「まずあれは五十嵐だろ?」
「うん。いきなり違うね。あの人は咲長さんだよ。ていうかうちのクラスに五十嵐はいないよ。そして、あれって言わない」
一度にたくさんツッコまれる。
美登里は呆れたように息を吐き、
「まあただでさえ人の顔を覚えない黎ちゃんに加え、あの子、黄泉路さんはあまり目立つ行動をする子でもないからね」
「あー黄泉路……蜜だっけ? その名前は覚えてる」
変な名前だから。人のこと言えないけれど。
苗字三に、名前一文字という共通点がある。
「それにあまり人と関わらないから、仕方がないと言えば仕方がないかな」
「そうなのか。友達いないんだな」
「黎ちゃんもいないじゃん」
「うわっ、ほんとだ」
黎のノリに美登里は微笑ましそうにふと笑い、
「本当に知らないんだね。他人に興味ないよね、黎ちゃんって」
「あるって。殺人事件のニュースとか見ると犯人の家の写真とかネットで探すし」
「とことんクソだよね、黎ちゃんって」
「そこまで言うか」
言われ慣れているとはいえ、存外ショックだったらしい。黎はふんっと、鼻を鳴らし、
「別に言いにくいなら聞かねぇよ。そんな事聞いたってこっちがやりにくくなりそうだし」
やりにくくなるって、何をだろう。そんなことを考えながらもう一度噂の少女へと顔を向けた。
黄泉路蜜は何をするわけでもなく頬杖をつき、ジッと曇った窓の外を眺めていた。
黄泉路と呼ばれるその少女は、一言で言うなら、鋭い針のようだった。
元々細いのであろう切れ長の眼をさらに細くし、窓の外をにらんでいる。線の細い顔立ちがさらにその鋭さを増している気がする。顔は今朝堤防で見た時のように、楽しそうでも嬉しそうでもないが、だからといって不満そうでも不安そうでもない。
笑っているわけでも怒っているわけでも泣いているわけでもない。
何も、無い。
人が持つ感情、その全てを表現していない。無理矢理言葉で表すのなら、無、だ。
しかし逆に言えば、見方によってはどうとでも見える。そんな顔。怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える。さすがに笑っているようには見えないが、これだけ奇異の目で見られれば当然か。
黄泉路はその長いストレートの黒髪をただ無造作に下ろしているわけではなく、肩からその髪を前に出しそれが胸の辺りまで届いている。左の前髪を耳に掛け、しかし全てを掛けるわけではなく、少しだけ前に残し、タラリと垂らしている。長い髪から曝さらしだされる左耳が彼女の持つ独特な妖艶さを演出している。
が、そんな瑣末な描写はどうでもよかった。
ただ教室の隅に無表情で座る少女が、酷く哀しく感じられた。
それは今朝、川岸にたたずむ彼女の後姿を見た時のように。
洗練された、悲壮感ある一枚の絵画を見るように。
その朝日に照らされる姿は、とてつもなくリアルな彫刻でも見ているかのような、そんな無機質さが、なんとも哀しい。
「ホームルームをはっじめっるぞ~」
黎にも負けない気だるそうな声で教室に入ってきた担任の教師、武村折鶴の声に、黎の意識は引き戻される。
「つまねぇ顔」
そうつまらなさそに小さく言って、担任の声に耳を傾ける。
担任は気のない声で生徒の名前をあいうえお順に呼び、出席を取っていく。
「大空~大空~休みか~」
その時、聞き覚えのある名前で担任の声が止まった。
「あ」
そう素っ頓狂な声を上げてしまう。
見ると、黎の前の席は未だ空白であった。
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