笑顔

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笑顔

 笑顔を、褒められた――。  それは厳しい父が私を褒めた、唯一の思い出。  特に秀でたものを持っていなかった地味な私は、それが嬉しくて、よく笑うようになった。笑っていれば、両親も優しくしてくれる。周りの友達との距離も縮んだ気がする。幼いながらに、それを理解した。そんな賢しい子供。  私の笑顔が皆を笑顔にする――そんな、愚かしい勘違いをしていた。  人といるのが辛くなってきたのは、いつからだったろう。  笑うことが苦しくなってきたのは、いつからだっただろう。  私はなんのために笑っているのか、それがわからなくなった。初めは純粋に笑えていた。考えずとも笑顔がこぼれた。しかし成長してからは、笑いたくて笑っているのではない。それは確かだった。ただ反射的に笑顔を出す。それはもはや処世術。そこに純粋さは無い。  そう気付いた時、私は自分の笑顔が急に辛くなった。  ただよりよい人間関係を築くための笑顔。卑しくもそんな下心に塗れた仮面を、私は無意識に被ってしまっていた。  そんな自分が醜い。そんな自分を変えたい。  でもそれはもう遅かった。人はそんな簡単に自分の生き方を変えられるものじゃない。何より十何年も絶えず続け、染み付いてしまった生き方を、変えることが怖かった。すでにその時にはそれが私であり、それ以外に私を見つけられなかったから。  笑顔=私。  私=笑顔。  それ以外の私を受け入れてもらえるわけがない。周りはそれを奇異の目で見るに決まっている。そしてそれ以外がなんなのかも自分がわかっていない。  苦悩した。  私はいつまでこの演技を続ければいいの?  卒業するまで? ――違う。  社会に出るまで? ――違う。  結婚するまで? ――違う。  わかってる――――――死ぬまで。  いまさら自分を変えるだなんてできない。私は臆病だから。  知ってる? スタートした時点でゴールは決まってるの。スタートしたらあとは流れのままに流されるだけ。  それが運命? ――違う。ただの妥協。  運命とは妥協の連続である。  仕方が無い――これ、決め台詞。  周りの人間関係なんか全部捨てちゃって、私が一人になれば、それならもうこんな虚しい思いをしなくなるのに。誰にも気を使わなくたっていい。そんな夢のような世界。  思えばその頃から、一人が楽だ、そう思ってたのかもしれない。  願ったわけではないが。  しかしそんな妄想を繰り返すばかりで、私のやることは変わらない。いつもと同じ、笑顔を作り続ける。今の関係を捨てる勇気もない。いや、人の社会で生きている以上捨てることなどできはしない。それが生きるということなのだから。  言い訳? ――うん。言い訳。  もし家を出て、誰も知らないところに行けば、もう一度新しい関係を築ける。新しい自分を見つけられるだろう。忘れてしまった純粋な笑顔を思い出せるかもしれない。  でもそれは所詮願望。家を出る勇気も、一人で生きていく勇気もない。そして臆病な私は、きっと新しい場所でも、同じように生きる。結果は、変わらない。  新しい自分なんて見つからない。純粋な笑顔なんて思い出せない。人は努力型と才能型に分かれるというけれど、その努力をできるかどうかも結局才能。努力をできない人は、できないのだ。  これが私。これが運命。そう諦める自分のひ弱さに腹が立った。  でも、腹が立っただけ――妥協。  しかし、それすらも愚かな考えだったことを知る。  あの日。両親が殺された日。両親が改まって「話がある」と言った。普段とは違う雰囲気に少し緊張したが、私は食卓で、夕食が始まる前にその二人の話を聞いた。  ――聞いて、しまった。  そして、私には笑う資格なんかなかったことを知った。  人として、人の間で当然に生きる資格すらなかったのだと知った。  笑うことしか能のない自分が、その笑う事を取り上げられて、どうすればいいのだろう。もはやそれは私じゃあない。今まで積み重ねてきた私という個を全て否定することになるのだから。  両親からその《真実》を告げられた後、ご飯も食べずに私は部屋にこもって泣き続けた。両親は自分たちの《真実》を子供に伝えるべきだと思ったのだろう。優しい人たちだったから。  でも、その《真実》はただ私を絶望に落としただけだった。  今まで私がしてきたことはなんだったんだろう。  何も知らず笑い続けて、馬鹿みたいじゃないか。  こんなに悩んで、馬鹿みたいじゃないか。  そんなことを悩む以前の問題だったのに。  もういい。もう全部どうでもいい。  両親も友達も、人間関係なんて、もうどうでもいい。  私を、解放してください、神様。  新しい自分も、本当の笑顔も、もう何もいらない。  私が欲しいのは、孤独だけ。誰にも気を使わない。誰にも気を使わせない。  この世の全ての人間から忘れられたっていい。  この世の全ての縁から断ち切られたっていい。  だからお願いします、神様。  私を、一人にしてください――。  それが、初めてのお願い。  神様に願った、最初の願い。  そしてその時、誰かの声が聞こえた気がしたんだ――。
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