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天罰来る
下駄箱の方がやけに賑やかだ。きっと下校する生徒の一団が微笑ましく談笑しているのだろう。
「今日はどこか寄ってく?」「おっ。じゃあ駅前のクレープ屋!」「もーさっきお菓子食べたところでしょー?」……など、和気藹々とした会話が聞こえてくる。
休憩スペースとの間が壁で仕切られていて、本当によかったと思った。
「…………」
向こうの世界とは対照的な、冷え切った静寂。飛び交う殺気。女子生徒は依然としてこちらを見下している。
腰を落としたままとはいえ、それと対峙している自分もまた、彼女と同じくらいには眼差しを鋭くさせていたことと思う。また殴り合いになるのかと想像して、たとえまた途中で力尽きるとしても、今だけはそれも気にせず受けて立ってやりたいとも思っていた。
一触即発。ただでさえゴミで散らかったこの場所を、これ以上荒らしたくはないが。
「――――!!」
相手の目がカッと開かれる。仁王立ちの姿勢が解けかけるのを確認すると、同時にこちらも腰を上げる。
「――かーえーでーちゃーん……?」
「! ぐぇえ……っ!!?」
……!?
しかし次の瞬間には、自分はすっかり動きを止めていた。そこへ相手が殴りかかってくることもない。
それは予期せぬ横槍。ずっと傍にいたとはいえ、まさか彼女が動くとは思っていなかった。
「何やってるの! また他人様に乱暴してっ!!」
「ちょ、ギブギブ……っ、あんたそんな、全体重掛けてはさすがに……!」
息苦しそうに叫ぶ女子生徒。その首にはしっかり腕が回されている。彼女の後ろに立っていた菱木が勢いよく背後から飛びかかり、ぶら下がりながらその首を絞めていた。
……見事という他ない。小柄な体格を活かした、彼女ならではの技と言えるだろう。
「ちっさいって言うなぁー!」
「あたし言ってないんだけど!?」
「…………」
―――――――――
「――もう! どうして楓ちゃんはいつもそうなの!? 危ないでしょ!!?」
「だ、だって……千夏が顔真っ赤にしてたから、てっきり泣かされてるのかと……」
怒鳴る菱木。椅子の上に正座させられている女子生徒は、それでも抵抗する様子などは見せず、というかむしろ涙目になってそう口を開いていた。
「だからっていきなり跳び蹴りって何!! あれ不意打ちだよ!? もはや殺し屋さんとかの芸当だよ!!? それに昨日の喧嘩だって、あんな危ないことしてるなんて私聞いてなかったし――――」
「うぅ……」
……すごい迫力だ。
傍から見ていても伝わってくる。最初こそ校内最強が見る影もない……なんて思っていたのだが、今はただあの怒声が自分へ向くことがないよう祈るばかりだった。
「ほら、ちゃんと謝って!」
そしてそのうち、ようやく解放されたらしい女子生徒がこちらに連れてこられる。
「す……すみませんでした」
「……まあ、次からは気を付けて」
本当は何か言っておくべきだったろうか。遅れてそんなことを思ったが。
「……ぐすん」
……今回はこのくらいでいいか。
げっそりとやつれたようなその顔色に、そんな憐れみの感情が浮かぶ。
結局、もうそれ以上は何の文句も出てこなかった。
それから数分ほどすると、女子生徒はいくらか立ち直ったようだった。それでも昨日のように溌剌とした雰囲気は見て取れないが。
「ていうか、あんたたちこんなとこで何してたの? ただ世間話をしてるようには見えなかったけど」
「……えっと、それは」
真顔の問いかけに対し、菱木が口ごもる。先ほどのことを言うべきか躊躇っている様子だ。
「……昨日のホームルームのことで、色々聞いてたんですよ」
「? というと」
「俺だけ保健室で寝てましたから。誰かさんのせいで」
「あー、うん……なるほど、ね」
気まずそうに目を逸らしている。一応悪いという自覚はあるらしい。
「ん、ほんとに悪かったよ。昨日も言ったけど、あたしの悪い癖っていうか何というか。だって君、見るからにただ者じゃ無さそうな雰囲気してたから」
「失礼な。どこをどう見たってそこらにいる一般生徒でしょう」
確かに多少表情筋が鈍かったり、コミュニケーションを取るのが下手だったりという欠点こそあるが。それでも、外見だけ見れば特筆した違和感などは――。
「…………」
何か、隣から妙に懐疑的な視線を感じる。
「どうかしたか」
「! い、いえ……そ、そーですよね! 至って普通の人ですもんね、八柳くんは!」
「?」
そうは言ったが、何故それをそんな大声で繰り返すのか。
……いや、そんなまさか。
とは思うものの。今度、一応知り合いに確認してみた方がいいのかもしれない。
「まあ、それはともかく。迷惑かけたのも事実だし、何かお詫びしなきゃね」
「お詫び?」
「そーそ。試しに何か言ってみてよ。……あ、もちろん一般的な学生に出来る範囲でね?」
急にそんなことを言われても。
困り果てて腕を組むこちらに対し、相手は何でもこいと言わんばかりに真っ直ぐな眼差しを向けてくる。そもそも気の済むまで文句を言って、それで謝ってもらえればそれで十分と考えていたのだが。
「あの、八柳くんこれ」
「ん?」
いつの間にか向こうへ行っていたらしい菱木が、何かを拾って戻ってきた。
それはつい先ほどまで手にしていた自分の鞄だった。どうも蹴り飛ばされた時に飛んでいってしまっていたらしい。
「あと、これも」
「ああ。悪いな、集めてもらって」
続いて手渡されたのは書類の束。衝撃で鞄が開き、中から零れ出てしまったのだろう。
「それ、求人の雑誌?」
「? そうですけど」
束の中にあったそれは、部屋を出るときについでに突っ込んできたものだ。休み時間にでも少し読んでおこうかと考えていた。
そしてそれを目にすると同時に、彼女の目が変わる。何かを思いついた様子だ。
「君、もしかしてバイト探してたりする?」
「え」
一瞬困惑しながらも頷くと、彼女はニッと笑って言った。
「この後、時間ある?」
先に帰るという菱木と駅前で別れ、さらに向こうまで足を運ぶ。夕方という時間帯だけあって車通りも多く、商店街は随分賑やかになっていた。
「そーいや、自己紹介まだだったね」
不意に、前を行く彼女がそんなことを言い始める。他人の口からではあるものの、こちらはもう何度かその名前を耳にしているような気がするのだが。
「あたしは築山楓。二年生だ。とりあえず千夏の姉ちゃん、みたいな感じで考えといてくれたらいいから」
「姉妹なんですか?」
「みたいなって言っただろ。そんくらい長い付き合いなんだよ」
そういえば彼女――築山先輩のことについて話していた時の菱木も、どこか気安い雰囲気をしていた。あれほどの剣幕で行っていた説教のも、それだけ気を許していることの現れだったのかもしれない。
「で、君は? すぐに名乗り返さないのってちょっと失礼じゃない」
「あぁ、すいません。一年の八柳霜司です」
「――ヤナギ?」
……え。
言われたとおり名乗り返すと、何故か築山先輩は苗字の部分だけを繰り返した。どこかで聞いたような、とでも言わんばかりに。
「覚えがあるんですか?」
思わず声が大きくなる。そういえば菱木と長い付き合いになると言っていたから、彼女もまた十五夜町の出身者なのではないか。
――祖父たちのことを、何か知っているのではないか。
「んー……いや、ちょっと思い出せないな。引っかかったような気がしたんだけど」
「……そうですか」
速まった歩調が緩む。前を行く背中が少し遠くなった。
「あーごめん。何か期待させちゃったかな」
振り返った築山先輩が心配そうな顔をしている。こちらも珍しく表情に変化が出ていたらしい。「いいえ」と首を振ると、彼女はゆっくり前を向いた。
「そっか。……まあ、何かしら思い出すことがあったら、また伝えるよ」
「……ありがとうございます」
自然と礼の言葉が零れる。もっと遠慮無く問い詰められるかと思っていたけれど。
……意外だったな。
困ったトラブルメーカーという印象は当分拭えそうにないが、別に根っこから悪辣な人物というわけではないのかもしれない。
「そういえば、君千夏と仲良いの?」
「えっと、まあ……知り合ってまだ数日という割には」
「そこは素直に“はい”でいいでしょ」
若干呆れ気味に言われてしまった。面と向かって仲が良いかと問われると、意外にこうも照れくさいものなのだと知る。
「しかし、それにしても結構打ち解けてたな。一瞬あの子に彼氏ができたのかって思っちゃったよ」
「どうしてそういう解釈になるんですか」
少し前にもそんな誤解をされた気がする。いささか話の飛躍が過ぎるのではないか。
「……あいつに似てるからかな」
「? 何ですか」
「いや、ごめん。こっちの話」
そう誤魔化して笑う。けれどそれは一瞬でフェードアウトした。
「――あの子、今日何かあった?」
続く言葉はひどく落ち着いた語調をしていた。きっとそれが、彼女にとっての本題だったのだろう。
「嘘下手なくせして、昔から隠し事ばっかりするんだ。自分は何の得もしないのに」
そう言って、静かに空を見上げる。
「…………」
少なくとも彼女のことに関しては、信用していい相手だ。
……話したと知れたら、少しは怒られるかな。
それでもその寂しげな背中が、何よりそんな確信を与えてくれているような気がして。
気付けば自分は、おおよそ一時間ほど前の出来事について話し始めていた。
「とーちゃーくっ!」
そう大袈裟に足を止め、築山先輩はこちらを振り返る。数瞬おいてそれに追いついた自分は、ある建物の前に立っていた。
年季を感じさせる白塗りの壁に、格子状にガラスの貼られた焦げ茶色の扉。大きな窓から覗く店内は程よい具合に薄暗く、落ち着いて一休みするにはもってこいだろう。
“喫茶風沢”。
古いながらも手入れの行き届いた看板には、大きくそう記されていた。
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