遠くへ

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遠くへ

「喰ろうても良いか、人の子よ」 「それは困る相談だ、鬼の子よ」  乱雑な墓標が並ぶ、廃墟化してる村の入り口で男女が語りだす。  額に角の生えた女性は、墓前に座り込んでいる男性へ食の要求をした。  人間ならば恐れ慄く要求である。しかし、男性は背を向けたまま端的に言葉を返す。男性が発する声には恐怖の色は見えず、古き友人とでも四方山話をしている風だ。 「どうして拒む。人間よ」 「どうして拒まぬと思うたか。鬼よ」  鬼は首を傾げて純粋に問いかける。  人間はやおら立ち上がって、着物に付着した土を払いつつ逆に問いかけた。  ――どうしてそんなこともわからないのか。人間の男性は、そんな声色で鬼に対して強気に言い放つ。不躾な態度にも関わらず、鬼は機嫌良さげに呵呵と笑う。 「相も変わらず飄々とした人間だ。逆に好ましいよ」 「そんなお前も変わらずに戯者だな。鬼に好まれても不快なだけだ」 「本当に面白い人間だな。鬼に対して物事を言えるのは、お前だけだぞ」  誇れ。鬼は無邪気に男性の肩を叩き、そう呟いた。  痛い。男性は鬼の手を払いながら、表情変えずに言い放つ。  愛い奴と甲高く笑う鬼は、男性の前にある大石の墓に気がつく。 「それは墓のつもりか?」 「つもり、ではなく。墓だ」 「よもやお前が作ったのか?」  薄汚れてる墓を見遣る鬼。  土塗れの手、所々が汚れてる着物、男性の格好から推測をした。 「そうだ」 「何故そんな物を作る必要がある?」 「生きてきた証として。そして弔う為だ」 「可笑しな事を。肉塊を埋めているだけではないか」  鬼は墓前まで移動して、指先で数回突く。  そんな態度をされた男性は、徐に表情を不快に染める。  人間の弔う気持ちなど、理解出来ない鬼は心底不思議であった。  何故ならば、肉塊を埋めてしまえば他の生物たちが飢えに困るから。折角のご馳走が地中にあっては喰えず、無駄に腐らせてしまい勿体ない――それが鬼の思考だ。 「鬼にはわからんか」 「ああ、鬼だからわからんな」 「それが人間という生き物だ。それよりも――……」  鬼の服装を見て、冷たい眼差しを向ける男性。  何時も見慣れてる銘仙に、乾いていない紅血が付着していた。それは生臭く、鼻を突く、人間である男性は命について苦慮させられてしまう。 「――今日は、何人の人間を喰った」 「ん? 今日は確か……まだ二匹目だ」 「人間を匹で数えるな。と、鬼に言っても無駄か」  男性は呆れた顔で、鬼を見詰めて溜息を吐く。  墓の側にある水張桶を携えて、迷いなく歩みだす。そんな唐突の行動に鬼は、追いかけて行き先を問う。男性は簡潔に――川。とだけ答えて、村外れまで真っ直ぐ向かっていった。 「矢張り、人間の部位はハツが美味いな」 「人間の心臓の事をハツと言うな」 「意味は同じだろ。人間だって家畜たちのハツを喰ろうてるだろ」  男性と鬼は川に着くまで話し合う。  基本は鬼が語り、それを男性が一言で答える。  鬼は心做し気分良さげで、男性は飾り気がない言葉を返すだけ。  疎かにされているにも関わらず、鬼は嬉しく、楽しいと感じてた。鬼の姿を見た人間の行動は、直ぐ様に畏怖をして逃げる。だからこそ、鬼は逃げずに会話が出来る男性を喰おうとはしていない。 「なぁ、人の子よ」 「なんだ、鬼の子よ」 「喰ろうても良いか、人の子よ」 「それは困る相談だ、鬼の子よ」  鬼はこの会話が好きだ。  男性がどう思っているのかは、鬼にはわからない。  逆もまた然りであって、鬼の心を男性はわからずにいる。  しかし互いに距離が掴めずにいる現状が、このもどかしい距離が心地よい。だからこそ鬼は、二人を繋いでる常套句が好きであった。 「その墓は、大事な者だったのか?」  川から水張桶で水を運び終え、墓前まで着いた男性と鬼。  男性は柄杓で水を汲み、墓である大石へ丁寧に水を掛ける。  墓を見詰めるその表情は、何処と無く慈しみを感じる。その表情が気になる鬼は、少しだけ戸惑いながら男性に問いかけた。 「母と妹だ」  男性は普段と同じ、無感情で答える。  しかし、いつもとは違い。少し、ほんの僅かだけ、声の中に淋しさが含まれてると鬼は感じた。男性に掛ける言葉が見つからず、鬼は柄にもなく困惑してしまう。 「……少し待ってろ」  鬼は男性にそれだけ伝え、何かを探し始める。  村の半壊してる納屋へと入り、何かを見つけ先程の川へと向かう。  男性が墓に祈りを捧げてる間に、鬼は墓前まで戻った。その手には角が少し罅割れている、洗われた猪口が二個。鬼は男性の顔を見ずに、墓前に置き始める。 「何のつもりだ」 「別に。極上の酒を知らんのは、哀れだと思ってな」  着物の帯で腰に据えた、酒の入ってる瓢箪を猪口へ注ぐ鬼。  酒を零さぬように注ぎながら、ぶっきらぼうな口調で男性に答えた。それは丁寧な所作を一切感じさせない、雄々しくて適当な注ぎ方。 「……母はともかく、妹に酒はまだ早い」 「別にいいじゃないか。女は成長が早いって言うだろう?」 「それは精神が、だ。……全く、妹に酒は十年早いのだがな」 「だったら十年後にまた注いでやる。だから細かいことは気にするな」  男性と鬼は、墓前に座り込み語り合う。  鬼は瓢箪に口をつけ酒を呑み、男性に瓢箪を向けて呑むかと尋ねる。  男性はいらんと答え、一蹴する。断られても尚鬼は、酒を勧めて拒否られてしまう。勧めては拒否られるその遣り取りを、鬼は心から楽しんでいた。 「鬼の子よ」 「なんだ人の子よ」 「一つ、児戯でもせんか?」 「児戯、か……別に良かろう。して、その児戯はなんだ」 「鬼ごっこだ」  鬼ごっこ。  それは単純な児戯であり、鬼役が子を捕まえるだけだ。  男性の提案である児戯に、鬼は少しばかり捻りがないと思った。本物の鬼に対して、鬼ごっことは皮肉でも込められているのかと思うほどに。 「鬼ごっこ、か」 「説明は必要か?」 「ただ追いかけて、捕まえるだけではないか」 「そうだ。鬼役が子を捕まえる、すると子が鬼になる児戯だ」  男性は淡々と説明をする。  捕まえる鬼役は鬼の女性で、逃げる子役は自分だと。  そして捕まえた者、逃げ切った者は敗者の願いを聞き入れる。例えその願いが喰うことであっても、必ず拒否は出来ないと――。 「……制限時間は?」 「無制限だ。期間は捕まえるまでだ」 「そんなもの、子役の負けが決まっているではないか」 「そうだな。それでは、鬼ごっこを開始しよう」  ――捕まえてみろ、鬼の子よ。  男性は逃げることなく、鬼へ両手を広げ言い放つ。  喰いたくないと思っている鬼は、当然ながら男性を捕まえることができない。その場で硬直し、男性が何を言っているのか理解出来ずに立ち尽くす。 「何の、冗句だ」 「冗句ではない。捕まえないのか?」 「戯け……っ。捕まえられる筈がなかろう!」 「それは困る相談だ、鬼の子よ。それでは、此方から迫ってやろう」  鬼に迫る男性。  近付いてくる男性に、鬼は怯え距離を取る。  来るな。来ないでくれと、男性に懇願をする鬼。この関係を断ちたくないと、その想いが鬼の心臓を強く締め付けた。しかし、鬼の願いは叶うことなく人間は近付いていく。 「お、お前は、喰われたいのか!?」 「ああ、お前になら喰われてもいい。それで共に居れるなら」 「それならば喰わずにいれば良いではないか! 喰わずとも共に居れるだろ!?」  耳を劈くような鬼の悲鳴。  鬼とは思えぬほどに弱々しくて、脆い人間の女性を彷彿とさせた。男性が言う、喰えば共に居られる意味がわからない鬼の子。 「頼む。私には時間がな――ゴホッ」  言葉の途中で男性は咳を込む。  一回で終わらず、二回三回と激しい咳を込み続ける。  口元に手を充てがうが、咳は止まらずに男性を苦しめた。  鬼は心配になり逃げていた足を止め、男性へ手を伸ばし距離を詰める。お互いの手が触れ合える距離まで着くと、男性が塞いでる手から血が漏れた。 「――……え?」  感情を置き去りにする声が漏れる鬼。  その声は男性と鬼しかいない、静寂で廃れた村に沈んでく。  激しさが増していく咳と共に、喀血が鬼の手に付着する。生温く、生臭く、鮮やかな赤色で泡を含んだ男性の血。鬼は見慣れてる筈なのに、付着した血を呆然として眺めてた。 「……人の子よ。お前、は――死ぬのか?」 「…………ああ」  男性は着物の袖で血を拭い、鬼の問いに答える。  蹌踉めきながら、墓の大石に背を預け座り込む。心臓が痛むのか、己が左の胸を鷲掴みして苦悶に耐える。暫くすると痛みの波が衰えたのか、男性は語り始めた。 「悪疫だ。人間に感染するが、矢張り鬼には効かぬようだな」  鬼は座り込んでる、男性の元へ近寄る。  腰に据えてる瓢箪の酒が、左右に揺られ跳ね上がり水音が鳴った。 「住んでいた村を追放された。母と妹は、感染すると知っても側に居てくれた」  男性は伝えたいことが多すぎるのか、繋がりのない言葉を紡ぐ。 「鬼の子よ。何処にいる」 「……此処だ。お前の隣にいるよ」  既に目を開くことすら叶わない男性は、鬼の居場所を尋ねる。  鬼は男性の隣に座り、強く手を握りしめた。微かに残る手の温もりが、まだ生きてると教えてくれる。だがしかし、徐々に、確実に生命を奪っていった。 「喰ろうて、くれぬか。鬼の子……よ」 「――ッ! それは、困る相談だ。人の子よ」  喰ってほしい。  男性は喰われて鬼の中で生きたいと願いつつ、敢え無い最後を遂げた。鬼は心臓の鼓動が静止した男性を、抱きしめて泣きじゃくりながら独り言を嘆く。 「鬼ごっこ、だろう……?」  男性と会う前は、喰らうことしか喜びを知らなかった鬼の子。  しかし、気まぐれで面白い人間が居て、生まれて始めて喰うことを我慢した。この人間は生かしたほうが楽しめる、そう思ったからだ。 「そんな遠くに行かれては、捕まえることが出来ないだろう!?」  鬼の涙は止まらない。  止めようと思っても、只管に溢れ続ける。 「――誰が、喰ろうてやるものか」  何が何でも捕まえてやる。  鬼は遠くに逃げた男性を、追うと決意した。  銘仙に隠してた鮮血色の盃を取り出して、墓前に置いてある猪口の隣に並べる。瓢箪に入ってる酒をゆっくりと、零すことなく盃に注ぎ込んだ。 「これは黄泉で逢瀬した時、共に呑む分だ」  瓢箪に残っている酒を、自らの口に含み始める。  そして鬼は躊躇なく、動かない男性の唇を奪い呑ませた。  男性の口内に残る血が、酒と混ざり合い体内へ流れ込む。口付けを交わしていると意識したら、脳が甘く痺れて、鬼の理性を蕩けさせていく。 「……愛い奴だ。お前を捕まえられたなら、夫婦盃を交わそうぞ」  墓前を掘り起こし、男性と共に地中へ潜り込む鬼。  奥深くまで辿り着くと、自慢の力で横の土塊を殴り、雪崩のように土を被せる。誰にも邪魔をされない、誰にも喰わせたくない。鬼は愛おしそうに男性を抱きしめながら、死に至るまで深い眠りに入っていった。
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