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第三部 十二話 霊能者達
麦かぼちゃさんが民明放送に来たのは夕方になった頃だった。
窓の外が夕焼けのオレンジに薄く色づき、少し暗くなってきた会議室の電灯をつける。
相楽さんの到着から3時間あまり。
その間、相楽さんに憑りついた悪霊をなんとか剥がせないかと色々試したが、結局なんともできずに時間だけが過ぎてしまった。
私の知る限りの祝詞をあげ、様々な手法を試したが、悪霊の腕はピクリとも動かず相楽さんの体をガッチリ掴んで離さない。
「…………」
自信がなくなりそうだ。
昔から霊に対してはそれなりにやってきたはずだし、やれていたのに。
困った私がまずやったことは母に相談することだった。
スマホで母に電話かける。
お願い出てと念じながらスマホを耳に当てると、ありがたいことにすぐに繋がった。
「もしもし?みーちゃん?」
いつも通りの、のんびりした口調で愛称を呼んでくれる。
「お母さんあのね、私ちょっと今、厄介な霊に憑かれた人をなんとかしようと頑張ってるんだけど、全然うまくいかないのね。それでお母さんのお知恵をお借りできないかなーと思って………」
そう一気に話す私を遮るように母が言葉をかぶせてきた。
「みーちゃんよく聞いて。いざとなったら逃げなさいね?」
およそ母らしくないネガティブな言葉がいきなり出てきた。
声色もいつもの母ではない。
「電話越しでも伝わってくるの。その霊は凄く強いし危険。憑りつかれた人はもうダメかもしれないけど、みーちゃんはまず自分のことを守れる状態を確保するのが大事よ」
「う…うん…わかった」
母がここまで言うのを初めて聞いた。
「それでね、お母さんがそっちへ行ければいいんだけど、こっちもこっちで大変な人が来ていて、すぐには動けないの。だからみーちゃんができるならそれが1番なんだけど、危険な霊だからくれぐれも慎重にして欲しいの。危なくなったら逃げるのも覚悟しておくのよ?」
母の手を借りるのは無理か。
まあアドバイスだけでも充分とは思っていたのだけど。
「うん。わかった。それで、どうすればいいかな」
電話越しに母が少し考えているのがわかる。
「みーちゃんの知り合いの霊能者さんがいるなら来てもらってくれる?できる限りの人数で囲んじゃうのがいいと思う。もちろんちゃんとした霊能者じゃないとだめよ?逆にやられちゃうから。お母さんから嘉納さんに連絡しておくから、スケジュールが合えば嘉納さんにも助けてもらうね」
「嘉納って……佐々木祐一?大丈夫なのそいつ?」
嘉納康明、ウチの神社…というか母に頭が上がらない銭ゲバ霊能者だ。
会ったことはないが嫌いなタイプだと断言できる。
「そんな言い方しないの。嘉納さんだってすごい力を持った霊能者なんだから」
昔の貸し借りがあるから母には頭が上がらないものの、世間的にはとんでもない高額の報酬を要求することで知られている。
たまにテレビなんかに出て偉そうに喋るのが気にくわない。
悪い霊能者の見本みたいな奴だ。
「みーちゃんと知り合いだけで出来るならそれでいいけど、念のため嘉納さんも呼ぶわね?それでいい?」
母が念を押してくる。
ここまで強引なのも珍しい。
「うんわかった。お願い」
母がそこまで言うならそうなんだろう。
「それでね、確認なんだけど、今そこには何人いるの?」
母が話題を変えた。
「私と憑りつかれた人と、あとは関係者が3人いるよ」
そう答えると母は少し黙ってから、
「お婆さんもいる?」
と聞いてきた。
思わず写真に目を落とす。
「いないよ?どうして?」
母はそう、と溜息をついた。
「さっきからお婆さんが何かを言いながら歩き回ってるのよ。みーちゃんと話してる間もずっと。みーちゃんには聞こえない?」
周りを見回す。
スマホを少し耳から離し周囲の音に意識を集中する。
ジローさん達が小声で相談する声、相楽さんの息使い、部屋の外から聞こえてくる日常の雑音、それらに混じって囁くような声がかすかに聞こえる。
ウィスパーと呼ばれる霊の声。
近かったり遠かったり、はっきり聞こえたりボヤけていたり、しかし確実に部屋の中に言葉を発する何者かがいるのがわかった。
「うん。言われて気づいたけど確かにいるね。これお婆さんの声なの?」
かすかに聞こえるものの、その声音や内容まではいまいちよくわからない。
「うん。お婆さんだね。とても暗い声。恨み…なのかな…すごく悔しそう」
ウィスパーに耳をすます。
…………ボソ……ボソ………………この子の両親も………ボソ………ボソボソ…………死ぬるは辛うて………ボソ…………ボソ…………後生でございます………ボソボソ…………
耳のすぐ後ろで聞こえたり部屋の隅から聞こえたり、声の大きさも明瞭さも様々に変化する囁き声。
時折聞こえるその言葉に並々ならぬ苦しさを感じる。
奥歯を噛みしめるような、その状態で絞り出すような、そんな声。
辛いんだ。
もの凄く辛い何かに耐えながら、いや、おそらくはそれに耐えきれず亡くなったのだろう、そして恨みが残った、そんな心象が伝わってくる。
「…………」
ダメだ。
聞けば聞くほど感情を支配されそうだ。
おそらく耳を傾ければ声はもっとはっきり聞こえるはず。
でものめり込むのは危険だ。
厄介な霊だと思った。
「みーちゃん?大丈夫?」
スマホから聞こえる母の声に意識を戻す。
「うん。私にも聞こえたよ。すごく辛そうな声。聞いてると感情が乗っ取られそう」
「そう。じゃあ聞かない方がいいね」
「うん」
「みーちゃん。そのお婆さんの他にも霊はいるの?」
私は簡単に今回の状況を説明した。
心霊写真を集めた箱があって、呪法によって蠱毒のようなことが行われていたこと、それで3枚の写真が残ったこと、その3枚が1つになって妖怪化していること、既に10人以上の被害者がいること。
「酷いことをするわね」
母がため息ついたのがわかった。
「その写真に憑いてる霊に理性が残ってるなら鎮めることができるかもしれないけど、妖怪になっちゃってもう対話もできないなら祓って焼いてしまうしかないかも」
「うん。それで、どうやって祓えばいいと思う?」
「さっきも言ったけど大勢で取り囲んで、それぞれのやり方で構わないから、祝詞をあげたりお経を唱えたり、とにかく霊の意識を分散させて、脅しをかけるのね。それで霊が隙を見せたら後はいつも通りにお祓いしちゃえば憑りつかれた人からは引きはがせるはず。そうしたらすぐに写真に霊を封じ込めて出てこれないようにするの。あとは写真を焼いて灰を海に流す。そこまですれば大丈夫だと思うよ」
「うえ…そこまでするの?」
「それだけ危険なのよ。電話してるお母さんだって寒気がするぐらい怖い霊なの。だからみーちゃん、絶対に油断しちゃダメよ?危なくなったら逃げても仕方ないから、皆にもそう言ってね?」
「憑りつかれた人は?」
「可哀想だけどダメなものはダメ。その人を助けたいのはわかるけど、そのせいでみーちゃんや手伝ってくれる人達が死んじゃったら元も子もないでしょ?」
普段の母なら絶対に言わないことだ。
口調からも普段の穏やかさが完全に消えている。
それだけヤバいということだろう。
「うん、わかった。それでね、お母さん」
リスナーさん達のことも聞いておかなければ。
母にネット配信で霊障が広がってしまったことを説明する。
母は「なんてこと…」と嘆息していたが、しばし考えたのちに「きっと大丈夫」と言った。
「今そこにいるのが霊の存在そのもので間違いないから、その大元をなんとかしちゃえば、これ以上のことは起きないよね。障りが残っちゃってる人はお祓いしないとダメだけど、まずはその霊を祓っちゃうのが一番大事」
そして少し間を置いて、
「そのリスナーさん?達が真剣に考えてくれなくて、どうしてもお祓いに行ってくれないなら、お母さんがお祓いのご祈祷をするところをカメラで撮って、それをネットで見て貰えばもしかしたら…」
と言った。
「え?お母さん、カメラに映っても平気なの?」
私がどれだけ頼んでもウチの雑誌に載せさせてもらえなかったのだ。
その母が自らそんなことを言うとは。
「お母さんや神社の名前を出さなければね。あまりしたくないけど。霊障が映像を通して広がったのと同じで、ご祈祷するところを見るだけでも穢れは多少なりとも祓えるはずだから。そこまでして、それでも霊障があるのにお祓いに行かない人はもう仕方ないよ」
「…………」
篠宮神社の神嫁。
その母がお祓いをネット配信する。
「…………」
見たい。
娘としてよりも、オカルトライターとしての私の本能が狂喜していた。
「わ…かった。その時はお願いね」
「できればそうならないことを願うけどね。それよりもみーちゃん、まずはそこにいる霊をなんとかするのが先決だよ。お母さんこれから嘉納さんに連絡するから、みーちゃんも知り合いの霊能者さんに連絡して、できる限り早く集まってもらってね。今日中になんとかした方がいいから」
そうだ。
相楽さんに憑りついてここまで来た霊が何を考えているのかわからない。
こうしている間にもリスナーさん達を含めて被害は出続けているかもしれないのだ。
それから私は知り合いの霊能者に片っ端から電話をかけた。
といっても私の知り合いなんて数えるほどしかいない。
川崎大師の菅原さん、修験道の小野寺さん、霊感カウンセラーの木崎さんには予定が合わず断られてしまったが、幸いなことに心霊風水師の連雀(れんじゃく)さん、泰雲堂の神宮寺さん、方明寺の笠根さん、伊賀野庵の伊賀野和美さんは来てくれることになった。
和美さんの友達も連れてきてくれるということで、今日これからすぐに動ける霊能者は4人あるいは5人と決まった。
母からLINEが来ており、嘉納康明はすぐにこちらに駆けつけるとのことだった。
「…………」
これで5人。
不詳私を入れて霊能者が6人だ。
皆1人でも充分霊に対処できる霊能者達だ。
戦力としてはなかなかのものだと思う。
そうこうしているうちに麦かぼちゃさん一家が民明放送にやって来た。
会議室に入ってきたのは麦かぼちゃさん本人とお姉さん、そしてご両親だった。
麦かぼちゃさんの家にはお婆さんもいるらしいのだが、ほぼ寝たきりなので置いてきたのだという。
ジローさんが挨拶を済ませて着席を促す。
明らかに緊張している様子の麦かぼちゃさんとお姉さん、訳がわからないといったように困惑しているご両親。
とても邪法を使っている一家とは思えない。
であれば亡くなった祖父だけが心霊写真に関与していたのだろうか。
えー、とジローさんが話を切り出す。
私達も麦かぼちゃさん一家――林田家――に向かい合う形で座る。
相楽さんを見ると縋り付いている悪霊の腕の位置が微妙に変わっていた。
引き剥がそうとして色々やった影響だろうか。
右腕が上に、左腕が下に、後ろから斜めに抱きつくような形に移動していた。
「まずはですね、麦かぼちゃさん…と…私達がお呼びしていたお嬢さん、真由美さんから相談を受けたことがきっかけで、私達は知り合いました」
ジローさんが一連の経緯を両親に説明する。
顔を見合わせたり口をパクパクさせながら話を聞いているご両親。
お姉さんは麦かぼちゃさん…真由美さんから全てを聞いていたのだろう、真由美さんの隣で心細そうにしている。
お祖父さんが亡くなって、形見の中から心霊写真を詰め込んだ箱が出てきて、それを番組に相談したら心霊現象が起きてしまって、番組を観ていた視聴者にも霊障が及んで、勧請院さんが意識不明で、立花さんが亡くなって、写真を預けた高頼寺が全焼してしまった。
そこまで一気に説明するジローさん。
ご両親は唖然としていたが、やがて父親の方が口を開いた。
「か…関係あるんですか…その…うちの親父と…その…亡くなった方達の……その…」
明らかに狼狽している。
責められていると感じているのかもしれない。
ジローさんが父親の言葉を遮って答える。
「もちろん心霊現象とその後の被害については完全に我々の責任です。まさかこんなことになるとは我々も思っていなかった。真由美さんも責任を感じてしまっていると思うけど、そこは勘違いしないでね。事故を起こしたのは俺達だから」
そう言って真由美さんを見るジローさん。
真由美さんは縮こまったまま微かに頷いた。
まるで先生に怒られている生徒のようだ。
その後もしばらく問答が続いたのち、
「それで今日、皆さんにご足労いただいたのは、この写真を溜め込んでいたお祖父さんのことをお聞きするためなんです」
と、ジローさんが本題に話を進めた。
「親父が……なんなんですか……」
父親が反応する。
「まずですね、亡くなったお祖父さんは、どうして心霊写真を溜め込んでいたんです?」
「わ……わかりません。私らも親父が亡くなって初めて知ったんです。そんな箱があるなんて……」
「そうですか。それではお祖父さんの人となりを教えて頂きたいのですが、お祖父さんはどんな人だったんでしょうか?」
「はい……。親父は、一言でいうと厳しい人でした。昭和の人間ですから、寡黙で、仕事一筋という感じの……」
「優しかったよ。すっごい優しかった」
お姉さんが父親の話を補うように話に参加してきた。
「そうだね。お前達にとっては優しくていいお爺ちゃんだったね」
父親の表情が少し和らいだ。
「私ら子供に対しては厳しくておっかない親父でしたが、孫達に対してはかなり甘やかしていたと思います」
「そうですか。お祖父さんや皆さんは特定の宗教を信仰していますか?」
「え…まあ…私らは特に信心はしていないんですが、親父は仏教徒でしたね。あまり熱心な感じではなかったですが。親父の部屋には仏壇もありますし。私らは仏教の会合なんかには行ってませんし、親父も特に私らに仏壇を拝ませたりするようなこともありませんでしたから」
「なるほど。お婆さんはお祖父さんと同じ仏教徒なんですか?」
「違いますね。親父だけです。仏壇を拝んでいたのは」
「ちなみに宗派は?」
「……天台宗?……だったと思います。あんまり覚えていませんが、なんかそんなような名前だったと思います」
「なるほど。仏教徒だけどそれほど熱心なわけでもないと。ところでお祖父さんは、何か心霊関係というか、オカルトというか、そういった類に興味を持っていたとか、そういったことはありませんでしたか?」
「いや、全くそんな感じはありませんでした」
「そうですか」
そこまで聞いてジローさんは言葉が続かなくなったようだ。
父親をはじめ誰もシラを切っている様子はない。
本当に知らないようだ。
「…………」
手掛かりすらないのだろうか。
「念のため、お祖父さんの他の遺品も見させていただきたいのですが、構いませんか?」
「ええ、それは構いませんが……」
しばしやりとりが続き、明日、林田家へ伺ってお祖父さんの部屋や遺品を改めさせてもらうこととなった。
わざわざ民明放送まで来てもらって、その上で翌日お宅にお邪魔するのは二度手間のように思えたが、林田家がどんな人達なのかわからなかったので仕方ないだろう。
いきなり乗り込んで罠でも仕掛けられたらたまったもんじゃない。
ポツポツと、窓に雨粒がつき始めた。
外では雨が降り始めたらしい。
その後、私や相楽さんからも林田家に質疑応答をして、林田家、主に真由美さんからの質問や相談に応えていると、ふいにガチャッと大きな音がして会議室の扉が開いた。
ノックもせずにドアを開けて部屋に入ってきたのは大柄な男性だった。
白髪混じりの髪をオールバックに撫で付けた和装の出で立ち。
でっぷりと太って鼻息荒く肩で息をしている様子は明らかに運動不足といった感じだが、部屋の中を見回すように睥睨するその眼力の強さが、只者ではない雰囲気を醸し出している。
嘉納康明。
日本有数の霊力を自称する拝金主義の霊能者だ。
嘉納康明は相楽さんを見て眉をひそめ、続いて小林アナと私を見比べて言った。
「篠宮のお嬢さんはどちら?」
値踏みせるような不躾な視線に嫌悪感を抱きつつ、「私です」と一歩進み出た。
「ああどうも。お母さんからご依頼いただいてお手伝いに来ました。嘉納といいます」
そう言って軽く頭を下げて挨拶する。
威圧するような視線のままだが、一応の礼儀は示してくれるようだ。
もしかしてあの目つきが普通なのだろうか。
「はじめまして。篠宮の次女の水無月と申します。突然のお願いを聞いていただきありがとうございます」
できる限り丁寧に頭を下げる。
いけ好かない奴とはいえ母の紹介で来てもらったのだ。
母の顔を潰すわけにはいかない。
「それであちらの彼で……間違いない?」
そう言って相楽さんの方を見る。
相楽さんは特に変わった風もなくこちらを見ている。
周りの皆は困惑した様子だ。
「はい。えーと…皆さん、こちらは嘉納康明さ…先生という霊能者の方で、相楽さんの除霊を手伝っていただくために来ていただきました。他にもあと5人ほど来る予定です」
そう皆に紹介する。
「そんなに呼んだの?」
嘉納がおかしそうに鼻を鳴らして言った。
「はい。母からできる限りの人数で取り囲むように言われましたので」
「うんん……まあ確かに一筋縄ではいかんだろうとは聞いておりますし、見たところただ事ではない気配は感じますがね」
「それで…あちらにいらっしゃるのが」
そう言ってジローさん達を手で指し示す。
「今回の問題の当事者の方達です」
ジローさん達が歩み寄ってきてそれぞれ互いに挨拶をする。
テレビでは偉そうな嘉納だが、初対面の相手にはちゃんと礼儀を示せるようだ。
簡単な自己紹介とざっくりとした経緯の説明を受けて、嘉納が相楽さんに喋りかけた。
「高頼寺さんには昔世話になったことがあります。今回のことは大変な災難ですなあ。お見舞い申し上げます」
「いえ、いや、ありがとうございます」
相楽さんは嘉納のことを知らないようだ。
しばらくしてコンコン、と扉を叩く音が聞こえて、小林アナが駆け寄って扉を開く。
新たに会議室に入ってきたのは方明寺の笠根さんと、伊賀野庵の伊賀野和美さんと、もう1人私の知らない小柄な女性だった。
いかにも普通のおばちゃんといった服装で、今しがたエプロンを外したばかりといった格好だ。
おそらくあの人が和美さんの友人の霊能者なのだろう。
和美さん達に駆け寄って挨拶を交わす。
しばらくぶりの再開を喜びつつ、相楽さんを紹介してギョッとさせ、ジローさん達や嘉納康明を紹介する。
嘉納に向き合った和美さんはニッコリ笑って、
「ご無沙汰しております。その節はお世話になりました」
と言った。
2年前に死にかけた原因とも言える男に、こんな形で再開するとは夢にも思わなかっただろう。
険悪になりかねない挨拶を互いに交わし、和美さんは嘉納に背を向けて私の方に近寄ってきた。
「和美さんごめんね?母がどうしてもって呼んじゃったの」
2人にしか聞こえないように声を低くして謝る。
「いいのいいの。あのことはいい勉強になったと思って納得してるから」
和美さんは何でもないという風に笑ってくれた後、
「忘れてはいないけどね」
と小さな声で言った。
笠根さんも嘉納と面識があるようで挨拶をしていたが、嘉納の方は笠根さんのことをよく覚えていないようだった。
ややもして心霊風水師の連雀さん、泰雲堂の神宮寺さんも到着し、総勢6人、私を含めると7人の霊能者が揃った。
和美さんの友人の女性は平野さんという無名の霊能者だった。
メディアには全く出ずに口コミだけで依頼を受けている、知る人ぞ知るというタイプだった。
お金のことを考えていない、嘉納とは正反対のタイプに好感が持てる。
全員が揃ったところで改めて一連の経緯を説明する。
今度はジローさんではなく私から説明した。
霊能者を集めるという方針を伝え、各霊能者さんに連絡したのが私だからだ。
まあ嘉納に関しては母だが。
嘉納や和美さん、他の霊能者の皆さんにもはじめてのケースであるらしく、ネットを通じて霊障が広がる考察に関しては、疑問はありつつも反論はしないという認識のようだった。
そして霊を集めて蠱毒のような呪法を行なっていたという説明の部分では皆、顔をしかめるなど露骨に嫌悪感をあらわにしていた。
結果として高頼寺が全焼し、相楽さんだけが無事に逃げ出すことができたものの、簡単にはお祓いできないレベルでガッチリ憑りつかれた状態でここまでやってきたと、質疑応答をまじえながらそこまで説明するのに30分近くかかった。
「やはりそのお祖父さんの思想、というか思惑というか、その辺りを解明せんことには何もわからんでしょうな」
嘉納が言った。
「それとは別にとっとと祓ってしまいましょう。我々だって暇でここにいるわけじゃあない」
そしてそう続けた。
「もちろんです。そのために皆さんにお越しいただいたので」
私も同意する。
和美さん達も異論はないようだ。
「篠宮さん…いやあなたのお母さんですが……篠宮さんは何と言って数を集めさせたんです?」
そのことについては皆さんも同様に疑問だろう。
「はい。まず相楽さんがここに来てから、私の方でできる限りのことはやってみたんですが、ピクリとも動かないし何の反応もないので、困って母に相談してみたんです。電話で」
そういえば母のことを皆さんに紹介してなかった。
一部の友人を除いて、皆さんから見たら私はただのオカルトライターなのだ。
「ええと、私の実家は九州の篠宮神社という小さな神社でして……」
「知ってるよ。そんなことは笑」
そう割り込んできたのは泰雲堂の神宮寺さんだった。
神宮寺さん、泰雲堂という薬屋を営む傍で、長年に渡って心霊関係の相談に乗ってきたオカルト界隈の重鎮の1人だ。
白髪を後ろで束ねた白ひげの老人で、普段は作務衣を着て店にいるが、今日は白いポロシャツにスラックスという出で立ちだ。
泰雲堂を訪れるのは単に薬を必要としている一般のお客さんか、あるいは心霊的な相談をしに訪れる、いわゆる「それ系」のお客さんだ。
相談に乗るだけのこともあるし、場合によってはそっち方面によく効くお香を提供したり、有力な霊能者を紹介したり、神宮寺さん自ら除霊をしたりと、1人で何でもこなしてしまうオールラウンダーだ。
「篠宮神社の神嫁さんだろ?あんたのお母さんが只者じゃないことくらい皆知ってるさ」
神宮寺さんはそう言って笑った。
周りの皆さんを見ても同様に頷いている。
よかった。
意外にも母のことを知っている人は多いようだ。
ジローさんが呆気にとられて私のことを見ている。
後で説明します、という意味を込めてジローさんに軽く会釈して、話を続ける。
「それなら話は簡単ですね。母に相談したところ、相楽さんに憑りついているのは非常に強力で厄介な霊だから、できる限りの霊能者で取り囲んで、それぞれのやり方で除霊、あるいはお祓いを同時進行して、まあ要するに囲んでボコボコにしろと、そういう助言をもらった訳です」
「その、神嫁さんご本人は来ないのかな?」
今度は方明寺の笠根さんが口を開いた。
「すいません。母も母で厄介な案件を抱えているようで、今すぐは動けないようなんです」
「それで我々が呼ばれたと。いやあ私なんかで大丈夫なんですかね」
そう言って笠根さんがポリポリと頭をかいた。
「あのねえ、この前褒めたばかりでしょ?いつまでもそういうだらしないキャラは通用しないわよ?」
と和美さんが突っ込みを入れる。
「いやいや私、本当に只のお坊さんでして…」
「あのね!そんなこと言ってると当事者の方達が不安になるでしょ?来たからにはシャンとするの!」
前から思っていたのだが、この2人、なかなか相性が良さそうだ。
漫才のような笠根さんと和美さんのやりとりをクスクスと笑いながら見ていた平野さんが「まあまあその辺にして」と和美さんをなだめる。
「よくわかりました。その人に憑いてるのが只の霊じゃなくて、あなたのお母さんがあなたを心配して私達を集めたのね。もちろん、協力させてもらいます」
ニッコリと笑ってそう言った。
平野さん、見た目は普通のおばちゃんそのものなのだが、言葉に妙な説得力がある。
この一言ですんなりと場の空気が決まってしまった。
嘉納ですら嫌味の言葉を差し挟む余地がないほどに。
只者ではないのは平野さんも同じようだ。
ゴホンと咳払いをして、嘉納が先を促す。
「それで?我々は何をすればよろしいのかな?」
ギョロリと睨むような視線を寄越す。
流石に慣れてきたが、相変わらず嫌な目つきだ。
「えーと…ですね、まずは私を含む全員で相楽さんを囲んで、それぞれのやり方でお祓いをします。それで霊が隙を見せたり暴れ出したりしたら、臨機応変に対処しつつ相楽さんから霊を引き剥がします。写真の中に本体がいるはずなので、というより写真そのものが霊の本体であるはずなので、写真自体を封印して霊を動けなくします。そこまでいったらあとはお焚き上げして灰を海に流します。皆さんにお願いしたいのは写真の封印までですね」
「なんともアバウトですなあ」
嘉納が嫌味を言ってくるが、まあアバウトっちゃアバウトなので仕方ない。
「取り囲んで脅しをかけると母は言っていました。そうしたら隙ができるからと」
「隙ぐらい作れるだろうと、そういうことですな」
嫌な言い方をする。
「まあ、そうですかね」
「除霊の肝の部分、霊を相楽さんから引き剥がすのと、写真を封印するのは誰がやるんです?」
「それは…私がやろうと思います。特にご希望がなければ」
「フム。それならそれで結構です」
と言ってそれきり嘉納は黙った。
バタバタッと雨が窓に打ちつけてきた。
外は完全に陽が落ちて真っ暗だ。
「あの…これ……」
と不意にジローさんが窓の外を指差した。
「さっきまで…晴れてたじゃないですか。こういうの、今までも何度かあって、おかしなことが起きる時にこんな風に嵐になるんです」
たしかに。
立花さんという方が亡くなった時の電話。
リスナーさん達からの多数の書き込み。
今回のケースでは霊障が起きる時に嵐になるという報告が多い。
「昨晩も寺の中にいた時は、外が嵐になっているような音が聞こえていました。火事になって外に飛び出した時には何事もなく晴れていましたが」
相楽さんが同じように意見する。
要するにだ。
「この雨も風も霊の仕業であると?」
その言葉に誰も答えない。
確証はない。
もしかしたら本当にただの雨風かもしれない。
しかし連続する現象には意味があるように思う。
「威圧しているんでしょうなあ。怖い怖い」
神宮寺さんがニヤリと笑って言う。
「自分の領域を作り出してるとも言えるかもしれません」
それまで黙っていた心霊風水師の連雀さんが口を開いた。
小柄な若い女性だが、ここ数年で風水関係の書籍を何冊も出版している作家であり、心霊関係にも深く通じている、この場にいる面子では最も若く、最も売り出し中の霊能者だ。
要するに、絶好調。
「自分が影響を及ぼしやすいステージを作っている。取り囲んでいるのは自分だというアピールもあるかも。普通の人ならこれだけでビビっちゃうから、その恐怖心を利用すれば霊障なんて簡単に起こせる」
そう一気に喋って、あとは黙って部屋の中を見回している。
立ち上がって部屋の中央やや北寄りの位置に立ち、相楽さんを手招きする。
「風水的にはここにいてもらうとやりやすいです」
「はい。わかりました」
相楽さんは大人しくその場へ移動する。
ジローさんと阿部さんがその周辺の机と椅子を部屋の隅に片付ける。
麦かぼちゃさん一家、林田家は部屋の隅で固まって様子を見守っている。
部屋から出てもらっても良かったのだが、霊が部屋から出て麦かぼちゃさん一家を襲わないとも限らないので、部屋の中で待機してもらっているのだ。
相楽さんの方を見ると、皆思い思いの場に陣取って、座禅を組む相楽さんを取り囲んでいる。
嘉納は相楽さんの正面に立ち、和美さんは嘉納の反対側、相楽さんの背後に。
神宮寺さんは相楽さんの右側に、連雀さんは左側に。
平野さんは和美さんと連雀さんの中間の位置に、笠根さんは和美さんと神宮寺さんの中間の位置に立っている。
大人数なので自然と円を描くように立ち、座って座禅を組む相楽さんを見下ろしている。
「…………」
私が入るスペースがない。
嘉納の両隣にややスペースが開いているのだが、なんとなく嘉納の隣は嫌だった。
仕方なく嘉納の右側にやや間隔を空けて立つ。
対面にいる笠根さんと目があった。
笠根さんは片眉をヒョイと持ち上げてみせる。
ひょうきんな仕草だが表情が硬い。
やにわに高まった緊張感が伝わってくる。
和美さんが簡単な祭壇を立ててその上に火をつける。
護摩の縮小版のようだ。
嘉納は冊子と小さな剣のような物を懐から取り出した。
「…………」
誰も何も言わない。
黙って座禅を組む相楽さんを見下ろしている。
相楽さんは目を閉じて静かな声でお経を唱えている。
ふいに相楽さんの体に回された悪霊の右腕がピクリと動いた。
それからゆっくりと悪霊の右腕が持ち上がり、相楽さんの喉元を前から握りしめた。
「………ぐっ!」
と相楽さんが呻いて目を見開く。
「……くっ……ぐぐ……ぎ……かぁぁ……!!」
相楽さんが苦しみに呻く。
喉を握りつぶそうとする悪霊の手に自分の両手を差し込んで引き剥がそうと身をよじる。
突如開かれた戦端に全員が即座に反応した。
「唵阿毘羅吽欠(オンアビラウンケン)!南無大師遍照金剛……!」
笠根さんが怒鳴るように読経を始める。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダンカン!」
和美さんが短く真言を唱えて数珠を擦り合わせる。
「天に獄獄 地に獄獄 御柱(みはしら)降り来て守護賜わんと畏み申す 急急如律令(キュウキュウニョリツリョウ)」
嘉納が偉そうに唱えて両手で印を結ぶ。
連雀さん、平野さん、神宮寺さんもそれぞれのやり方で除霊を開始している。
私は祝詞を唱えながら相楽さんの傍に膝をつき、首を絞める悪霊の右手にウチの神社でお供えしていた塩をふりかける。
神様の光をたっぷり浴びた塩をふりかけることで悪霊の力は弱まるはずだ。
連雀さんが細い鎖を取り出して悪霊の腕に巻きつける。
鎖には赤と金の糸が絡むように編み込まれている。
そしてその鎖を思い切り引っ張った。
綱引きのように全体重を乗せて鎖を引っ張る連雀さん。
手が痛くないのかと思って連雀さんを見たら、自身の手が傷つかないように、しっかりと革手袋をしている。
神宮寺さんがよくわからないお経のようなものを唱えながら相楽さんの右肩に手を置いている。
平野さんは右の掌を相楽さんに向けて、目を閉じて何事かを呟いている。
読経する者、直接悪霊の右手を引き剥がそうとする者、それ以外の動きをする者、それぞれがその状態でしばらく膠着する。
私や連雀さんはともかく、他の人達も額に汗が滲んでいる。
少しでも気を緩めたら相楽さんの命はない。
ヒリつくような緊張感が続く。
「ふっ…ふっ…ふうっ!……ふっ…はああ……」
相楽さんの呼吸が幾分か楽になってきている。
効いているのだ。
誰の何が効いているのかわからないが、あるいは全員でやっているからこそなのか、とにかく相楽さんを絞め殺さんとしていた悪霊の力が少しずつ弱まってきているのはわかった。
……ボソ……
不意に耳の後ろで囁く声が聞こえた。
と同時に全身に怖気が走る。
先ほど聞いた囁き声。
老婆の霊のウィスパー。
……ボソ……ボソボソ……
また聞こえる。
何と言っている?
………ボソ……ボソ…ボソ………悔しゅうて悔しゅうて……ボソボソ……私らは必死に祈ったんです……ボソボソ…………それでも神様は………ボソ……祈って呪って祈って呪って祈って呪って………ボソボソ……犬神の血筋に………口惜しい………ボソボソ……
静かな、それでいて凄まじい思いが伝わってくる、そんな声。
泣いているのか怒っているのか、怨念そのものといった静かな呟きが部屋のあちこちから聞こえる。
ふと平野さんの背後に小さな影が見えた。
陽炎のように揺らめきながら移動するソレは、ぼんやりとして焦点が合わないような不確かさで、それでも確かにそこにいる。
バン!と大きな音がして、視界の端でジローさん達が飛び上がったのが見えた。
両手で机や壁を思い切り叩くような、暴力的な音がバン!バン!バン!バン!と部屋のあちこちで連続する。
蛍光灯が明滅を始め、数秒真っ暗になったかと思うとまた点いた。
窓の外から雨粒がバチバチと打ちつけてきて、窓そのものがガタガタと揺れている。
部屋の一番隅の蛍光灯がガシャンと大きな音を立てて地面に落下した。
ポルターガイストのように、誰も触っていなかった机が部屋の端から端へと滑った。
反対側の壁にぶつかって大きな音を立てるその机を見て小林アナが悲鳴をあげた。
麦かぼちゃさん一家はどうなっているのか確認できない。
私は目の前の相楽さんから悪霊の腕を引き剥がすのに集中する。
相楽さんがどうにか呼吸できるほどに腕は引き剥がせていたが、それでもまだ連雀さんと二人掛かりで引っ張っている。
不意に悪霊の左腕が動いて、相楽さんの顔を正面から掴んだ。
アイアンクローのような形で顔を鷲掴みにし、思い切り爪を立てる。
「があああああ!!!!」
相楽さんが痛みに絶叫する。
掴まれて真っ赤になった顔のこめかみに血管が浮いて、顔全体がブルブルと震えている。
押しつぶされた鼻から鼻血が流れ出し、喉笛を掴む右手にボタボタッと垂れた。
蛍光灯の明滅は激しくなり、会議室の中を暴れまわる音もポルターガイストも止むことなく続いている。
連雀さんに右腕を任せて私は顔を掴む悪霊の左腕に塩を塗り込んで祝詞を唱える。
右手で悪霊の左手首を掴み、左手で服の上から御守りに手を添える。
ものすごく熱くなっていた御守りの感触に触発されて、神様の御姿が頭の中に浮かんだ。
可愛らしい私の神様が、私と一緒に悪霊の左手首を掴んでいる。
その想像に思いが至った時、私の右手が悪霊の左手首を握りつぶす感触がした。
生気のない悪霊の左手首に私の指が食い込み、皮と肉を押しつぶして手首の骨を折った。
ゴキッという音が聞こえた気がして右手が掴んでいたはずの悪霊の左手が消えた。
同様に相楽さんの首を締めていたはずの右手も消えている。
両腕ともに姿を消し、相楽さんを襲っていた悪霊の気配も感じなくなっていた。
両手で顔を覆って後ろに崩折れる相楽さん。
連雀さんと目配せをして悪霊が消えたことを確認し、相楽さんの容体を確かめる。
すでに神宮寺さんが相楽さんを抱き起すところで、「大丈夫か!」と声をかけていた。
相楽さんは肩で息をしつつも小刻みに頷いている。
神宮寺さんが相楽さんの目の前に印を切って何事かを呟く。
そして相楽さんに「もう大丈夫だ。霊は離れたぞ」と言った。
「ちょっと!」
という和美さんの声に目を向けると、和美さんの隣にいる平野さんの様子がおかしくなっていた。
相楽さんに右の掌を向けている格好そのままに、白目を向いてフラフラしている。
霊媒、口寄せか。
シンクロしているのだろうか。
あるいは憑りつかれた?
今度は平野さんかとうんざりした途端、平野さんが話し始めた。
「……お…おぉ………お願い……しますぅ……お願い……します………ぉお……お願い……しますぅ……」
およそ平野さんとは思えないしわがれた声。
先ほど聞こえたウィスパー。
老婆の霊の声で平野さんが喋っているのだ。
平野さんは両手をダラリと下げ、老婆のように背中を丸めて一歩、二歩と前へ歩み出た。
輪の中心近くまで来て、「うぅぅぅぅうぅぅ……」としわがれた声で唸った。
「第二ラウンド、ですなあ」
嘉納が誰にともなく言い、相楽さんを安全なところに避難させた神宮寺さんが駆け戻ってくる。
今度は平野さんを中心に輪が出来上がり、先ほどと同じように各自それぞれのやり方で除霊を再開する。
ヒタ…と足音がすると同時に猛烈な悪寒が背筋を走る。
振り返ると女の霊が部屋の隅に立っていた。
綺麗な長い黒髪の女。
あの写真に写っていた女だろうか。
姿形は見て取れるのに表情は読み取れない。
一見しただけではどのような感情を持っているのかわからない。
女の霊はゆっくり近づいてくる。
裸足のようで歩くたびにヒタ…ヒタ…と音がする。
ノースリーブの薄いベージュのワンピース。
両腕はダラリと横に垂らしている。
ヘシ折ったはずの左手首は何事もないようだった。
老婆と女。
厄介な霊を二人同時に相手にすることになった。
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