第2章 野薊

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■24  トウノさんが岸一さんに説明したことは、先ほど聞いた説明とほぼ一緒だった。看護師に知り合いがいること。6本指の年老いた女性が妊娠の検診に来たということ。  岸一さんは、トウノさんが医者を退職したことも知っているようだった。 「まさか、お前の前職の情報網が、こんなところで役立つとはな……」 「あ、情報の出どころは秘密でお願い。患者情報を外に出したことがバレたら、いろいろマズいから」 「心配しなくとも、これから中央病院に正式な捜査状をだすさ。そうすれば検診日や、妊娠何か月だったかなんかの情報がわかるだろう」  岸一さんは立っているのが面倒になったのか、そこにあった椅子に腰を下ろした。私もつられて、余っている椅子に腰を下ろす。 「……しかし妊婦となると、犯人の的が絞られてくるな。容疑者は、彼女の旦那か、不倫相手か、恋人か……」 「あ、上郷さん、ずいぶん前に離婚しているみたいですよ」  私が言うと、岸一さんがびっくりした顔をした。 「なんで君が知ってるんだ」  だいぶ口調が砕けてきた。 「上郷さんの娘さんと、この間話せたんです」 「とんだ偶然もあったようだな」 「偶然じゃないよ。ユウさん、あんなにたくさんいた人ごみの中から、上郷さんの娘を見つけ出したんだから」  トウノさんが自分のことのように嬉しそうに自慢する。やめてくれ。偶然だから。まぁ、腕の花が似ていた、と言うのが一番でもあるが。それをきいて、岸一さんはますます驚いた表情をする。 「やはり、上郷の最近の人間関係を調べるのが一番早そうだな。その娘は、何か言っていたか?」 「ええっと、母親とは、もうずいぶんしばらく会ってない、って言ってました」 「一人暮らし、あるいは同棲か……面倒なことになってきたな」  岸一さんは店の外を眺めた。大型トラックが過ぎ去っていったので、店内が一瞬反射で明るくなった。私はその横顔を見て、前々から疑問に思っていたことを尋ねてみてみることにした。 「あの……岸一さん」 「どうした?」 「あの……岸一さんって、男なんですか、女なんですか……」  私が尋ねると、トウノさんと二人そろってあっ、と言う表情をする。 「いや、その質問をすると……」  次の瞬間、店の前をバスが通り過ぎた。……。……バス!? 「うわっ、もうこんな時間」  私は腕時計を見て叫んだ。まずい、今のは帰りのバスが発車した直後の姿だ。私の自宅は田舎なので、路線バスが2時間に1本しか走っていない。 「やばっ、バス行っちゃった」 「ああ、長い時間引き留めてちゃってごめん」  トウノさんが、あちゃー、と言う顔をする。 「そんなに話し込んでたのか、君たち」  見事に話題が変わったのに安堵しているのか、いつものことなのか、岸一さんは若干あきれ顔だ。 「まあ、ユウさんも、捜査に協力してくれてるし」  あれ、そういうことになってたの? 「ほほう。君も恋人を殺人鬼に殺されたクチか?」  だいぶブラックなジョークを岸一さんが言う。 「いえ、そうじゃないですけど」 「じゃあ悪いことは言わん、こういう事件に首を突っ込むのはやめるんだな」  岸一さんが冷静に言った。なんだか拒絶された気がする。 「さもなければ、君が腕なし死体になる可能性だってあるんだから」  言われて、私は背筋が寒くなった。 「いつもトウノにも言い聞かせているんだがね」 「『腕落し』が口封じのために犯行をするとは思えないけど」  トウノさんが不満げな顔をする。 「やめと、相手は異常性癖の連続殺人犯だ。なにをするのかわからん」 「でも、『腕落し』は、ある一定のルールに沿って犯行をしている」  おそらく、恋人が死んでから、トウノさんはずっと事件を追っているのだろう。 「上郷さんの事件は、『ルール』から外れていると思う」
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