第2章 野薊

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■25  結局、バスに乗り遅れた私は、徒歩で帰ることになった。とほほ。  トウノさんが『車で送っていきましょうか』と言ってくれたが、そこまでお世話になるわけにはいかない。丁重に断って、私は最寄りのバス停まで歩くことにしたのである。  私は歩きながら考えた。歩行中は血流が活性化するのか、頭の回転が速くなる気がする。  上郷さんは妊娠していた。おそらく、殺人犯は、その事実を隠すために上郷さんの胴体を隠し持っているのではないだろうか。しかし、そうなると、同時期に発見された、偽造犯の飯富の死体はどうなるのだろう?  いままでずっと、偽造犯の飯富が、なんらかの事件に巻き込まれて、口を封じられて殺害されたのかと思っていた。上郷さんは、飯富の死の偽装のために殺害されたのだ、と。  しかしここで、まったく逆の可能性が浮上してきた。すなわち、上郷さんの死を隠ぺいするために、飯富が巻き添えを喰らって殺された、と言う可能性である。  六本指を持つ初老の女性なんてそうそういるものじゃない。前々から計画されていた犯罪だったのだろうか。  私はしばらく考えながら歩いていて、突然空が曇ってきたことに気が付いた。馬鹿な。今日の天気予報の降水確率は10%だったじゃないか。  私はぽつぽつと振り出した雨に眉をひそめ、ぱらぱら降ってきた雨に少し駆け足になり、ざあざあと降ってきた雨に全力疾走を始めた。なんなんだこれは。泣きっ面に蜂、バスの逃しに雨じゃないか。  私は住宅街のはずれの、屋根のあるバス停にたどり着いた。雨風しのぎにはちょうどいいだろう。トタン屋根と、見るからに古い木造小屋のようなバス停で、壁には時刻表や謎のポスターが貼ってあるだけだ。私は時刻表を眺めたが、やっぱり2時間に1本程度しかバスが出ていない。おのれ田舎め。  トタン屋根を叩く雨が、いよいよ激しくなってきて、私はむっつりとバス停のボロい椅子に腰を下ろした。普段だったら座るのをためらうような古い椅子だ。  私はスマホを取り出した。ネットの天気予報を見る。降水確率60%。なんだこれ。今朝見たものと違う。後出しじゃんけんか。朝出る前にもっと確認してくればよかった。  私は、古いバス停から、道路に振っている雨を眺めた。雨と言うのは一定ではなく、強さが波のようである。強い雨、弱い雨。私は雨が弱まらないかとじっと観察していたが、そういう気配はなさそうだった。少し小ぶりにはなってきたが、まだまだ傘なしで歩いて帰れる強さではない。  私はしばらく雨を眺めた後、自分のモクレンの花が視界に入った。モクレンの香りがした気がしたが、多分気のせいだ。私は自分の手で頬を押さえて、その感触がちゃんと人間の指であることを確認した。雨はやまない。さて、どうしたものか。  海の波のような音がして、車が一台通り過ぎた。私はぼうっと外を眺めていた。雨がやむか、バスが来るか、どっちが早いだろう。  また波のような音がした。スピードを落とした車が、ハザードをつけてバス停の脇に止まった。ドアを閉める音がして、傘を差した人物が降りてくる。 「ああいたいた、ユウさん」  トウノさんだった。
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