プロローグ

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(ずっと子どものまま?)  それは、なかなか魅力的に思えた。大人ってなんか大変そうだし。  このきれいな人と、きれいなお庭で、宝石のようなお菓子を食べて、鬼ごっこしたりかくれんぼしたりする、そんな毎日を夢想する。なんて素敵なのだろう。  ──けれど。 「パパとママが泣くから、やっぱ、だめ」  帆影はまっすぐな瞳で、迷いなく答えた。  そのとき、青年がどんな表情をしたかは、逆光だったので分からない。ただ、帆影を抱く手が一瞬、震えて、ぎゅっと力がこもった。 「──そう」  何かを無理やり押さえ込んだような、無機質な声。  その声音は、聞いている側が悲しくなるほど空虚で──幼い帆影は、この青年がかわいそうになった。かわいそうなことをした、と思った。 「……おにいちゃん、ひとりなの?」 「……うん──うん、そうだね」 「友だちいないの?」 「おい、人をなんだと思ってる」  彼は笑おうとして、失敗したみたいだった。  おそらく彼は、自分の本心を巧みに隠せるほど大人ではない。そのことを、帆影は幼いなりに機敏に悟った。 「おにいちゃん」 「ん?」 「ごめんなさい」 「……こら。子どもが気を使うんじゃないよ。あんまかわいいと、無理に連れて行きたくなっちゃうじゃないか」  下手な笑顔が泣きそうに歪む。渇いた秋空を湿らせてしまいそうな表情に、帆影は紅葉に似た手のひらで、彼の頬をなでた。 「おにいちゃんも、まだ、わりと子どもだよね?」 「そうだよ。俺は立派な子どもさ」  なぜか威張るように言い返される。 「くふっ」  それがおかしくて思わず笑い声を漏らすと、 「……ふふっ」  彼もようやく不器用に笑ってくれた。  意外と彼は表情がころころ変わる。それこそ子どもみたいに。最初は人形のようだと思っていたけれど、大間違いだ。 (もっと、わらってほしい)  そう思った帆影は、持っていた千歳飴の袋に手を突っ込んだ。  中の飴は、迷子になる前に父が一口大に折ってくれていた。飴を買った直後、帆影がすぐ食べたいと駄々をこねたためだ。  千歳飴の、ほんのり優しい甘さを思い出す。すべての子どもを幸せにしてくれる味。それを口にしたら、彼はきっと、もっと笑顔になってくれる。 「おにいちゃん」  彼に声をかける。  彼は唇を開いた。なあに?と聞き返すためだっただろう。それが音になる前に、帆影は小さな飴のひとかけらを青年の口に放り込んだ。  瞬間、彼の瞳が驚愕に見開かれる。 「ちとせあめ! あまいでしょ!」  屈託なくはしゃぐ帆影に──青年は、絶句した。さあっ、と彼の桜色の頬から血の気が引いていく。 「おにいちゃん?」
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