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プロローグ
本宮帆影は五歳のとき、青年の姿をした神様に出会った。
否、本当に彼が神様だったのかは分からない。彼と出会ったのは、七五三のお祝いで熱田神宮に来ていたときだった。
青年は、それはそれは、人間離れした美貌の持ち主だった。
だから幼かった帆影は感じたのだ──この人はきっと人間ではない、と。
帆影は、熱田神宮の敷地内で迷子になっていた。
当人は迷子の自覚などなく、履き慣れない袴でのん気によちよち歩きしていた。下駄で玉砂利を踏む感覚がおもしろくて、千歳飴の袋を振り回しながら、一人きゃっきゃっと笑っていた。
春夏は緑したたる熱田の杜が、今の季節は緋色や黄金に装っている。澄んだ天色の空と紅葉のコントラストが美しい。白い玉砂利の道に、金色の木洩れ日が落ちている。まるで神様たちの足跡だ。
そんな神話の息づく杜の中で、帆影は青年に見つけられた。
「おやまあ、お人形が動いてる」
彼の第一声が、それだった。くすくすと笑う心地よい低さの、アルトの声。少年と青年の狭間のような声音が、秋風に乗って帆影に届いた。
神様みたいにきれいな人だった、という印象は覚えている。けれど、彼の顔はまったく思い出せない。
そのくせ、その人の口もとに浮かんだモナリザのような微笑みとか、彼の肩にゆれていた木漏れ日とか、そんな細かい場面が鮮烈に記憶に残っている。
不思議なことに、周りには帆影と青年以外、誰ひとり見あたらなかった。彼は帆影をひょいと抱き上げ、
「ふふっ、かわいい。お人形みたいにかわいいね」
その言葉に、帆影は少しむっとした。
人形みたいにきれいなのは、そっちも同じではないか。
「おれ、お人形じゃない」
「もちろん、知ってるよ」
「あと、おんなの子でもない」
そう言い返したのは、当時の帆影がよく女の子と間違えられる容貌をしていたからだ。色白の肌に、まつ毛の長いぱっちりとした瞳、さらさらの栗色の髪。
この時、帆影は男の子用の袴を着ていたから、女の子に間違えられる可能性は皆無だったのだけど。それがおかしかったらしく、彼は軽やかな笑い声をあげた。
「分かってるよ! それに男とか女とか関係ない、俺は子どもが好きなんだから。特に、まだ七歳になっていない子どもが好き」
「どうして?」
「七五三を終えてない子どもしか、俺は触れられないから」
「ふれられない?」
「さわれない、ってこと」
「なんで?」
こてん、と首を傾けるいとけない子に、彼はただ口角を上げるのみ。そのまま、ゆっくりと歩き出す。
深閑とした杜の中で、じゃり、じゃり、と玉砂利を踏みしめる音が響きわたる。帆影を抱っこしたまま、青年は謎の台詞を口にした。
「それに、お前は俺の子だからね──お前のことが大好きなんだ」
すり、といとおしげに頬ずりされ、帆影はむずがゆい気持ちになる。彼の頬があたたかくて、心地よくて、絆されそうになる。でも、主張しておかないといけないことがあった。
「おれ、パパとママの子だもん」
毅然と反論したものの。
青年は、ぱっと顔を上げ名案を思いついたというように、
「ねえ、俺と一緒に暮らさない?」
「え?」
「きれいな庭のある家で、焼きたてのお菓子をいただいて、一日中遊んで。そんな風に、俺と暮らさない?」
瞳をきらきらさせて無邪気に帆影に迫った。帆影の小さな耳たぶに唇を滑らせ、内緒話をするように、そっとささやく。
「──俺と一緒にいれば、ずっと子どものまま、毎日遊んで暮らせるよ」
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