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 それがないことに大和(やまと)が気付いたのは、三年生の先輩にとっては高校生活最後となる県総体当日の朝だった。  この日、午前五時ちょうどに母親に叩き起こされた大和は、トイレと着替え、洗顔と三十秒足らずの歯磨きを済ませた後、二階にある自分の部屋で有名なスポーツブランドのリュックにタオルやスパイク、ゼッケンを付けたユニフォームを押し込んでいた。  昼食やお茶、ゼリー飲料は途中のコンビニで買うことにし、その他の必要な物を一通り詰め終えると、小学生の時から使っている勉強机の引き出しを開けた。上から二番目には、中学時代の友人が遊園地に行った際にくれたお土産の菓子缶がある。それを手に持った時だった。  あれ? と思う。やたらと軽い。咄嗟に、砂のついたざらついた手でさっと背中を一撫でされたような感覚が過ぎる。  だが、それも一瞬のことで、次の瞬間には特に気に留めることなく缶の蓋を開けた。そして、そこでいよいよ大和の右手も思考もぴたりと止まった。  は? なんで?  ここに入れてあったはずの、慣れ親しんだ音楽プレーヤー。それがもぬけの殻なのだ。大和は中身のない缶を力なく手に持ったまま、引き出しの奥を覗き見る。手も突っ込み、どこかに引っ掛かっていないかを確かめる。そうする内に段々と焦りだし、他の引き出しも全て開け、同じように確かめる。だが、やはりない。ありえない。二カ月前の記録会の時には確実にあって、間違いなくここに戻したはずだった。 「大和ー! 早くしなさい! あと五分で出ないと電車もう間に合わないわよ!」  一階から自分を呼ぶ母親の声が聞こえる。だが、大和はそれどころではなかった。一度見た引き出しの中を何度も繰り返し見直す。頭が混乱していた。困る。今日は、あれがないと本当に困るのに。  その時、唐突に、大和の頭に思い浮かぶことがあった。数日前の、どこか散在とした印象があった自分の部屋の状況。  大和は探す手を止め、壁一枚を隔てた隣の部屋に視線を向ける。まさか。  心当たりは、一人だけいる。
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