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3話
彼と期間限定の同居が始まった夜。
私は不思議な夢を見た。
とても印象的な夢。
夢って起きたら忘れてることが多いけど、事細かく覚えてる。
でも、夢は覚えているのに、夢自体が不安定というか…
顔がぼやけている女性が何かを言っているのに、それが上手く聞き取れなくて。
『……い。あの……えて。私……欲しい…。』
一体、何て言っていたんだろう。
ただの夢なのに、何でかとても気になる。
「おはよう。どうしたの?ボーっとして。」
「あ、おはようございます。何でもないですよ。」
身支度を整えてからリビングへ入ると、既に河本さんは起きていた。
割と早めに起きた気がしたんだけどな。
「あ、そうだ。朝ご飯ってパン派?ご飯派?」
「え?ああえっと、パン派です。」
「良かった。朝の散歩がてらにパン屋さんに行って、焼き立てのパンを買って来たんだ。コーヒーも入れてあげるから一緒に朝ごはん食べよう。」
テーブルを見ると、買ってきてくれたパンと、目玉焼きとサラダが乗ったお皿があった。
「すみません、私の分まで…!」
「気にすることないよ。僕のついでだし、料理は割と好きだからね。」
そうは言われても…
「あの、河本さん。」
「幸助って呼んでくれないの?」
「それはちょっと…」
「じゃあ、せめて純也で。」
本当押しが強いな…。
「じゃあ…純也さん。」
「うん、何かな?」
「今日の晩ご飯は私に用意させてくれませんか?」
「え?」
「お口に合うかは分かりませんが…やってもらうだけっていうのもあれなので。」
「僕は気にしないよ?したくてしてるだけだし。…でも、そうだな。食べてみたいかも。今の美弥子の料理。」
愛おし気な瞳で見つめられて、ドキッとしてしまう。
これは私に向けられている物じゃないんだから!
一々ドキドキしちゃダメ。
平常心平常心。
「あ、そうそう。僕車通勤だから会社まで送ってあげるからね。」
「え?でも手間でしょうし、電車があるのでいいですよ。」
「大丈夫だよ。全然手間じゃないから。帰りも時間が合うようなら迎えに行ってあげるから。」
何てことない、むしろ当然、みたいな言い方。
「さて、食べようか。」
「…はい。いただきます。」
「いただきます。」
彼の用意してくれた朝食は、量も丁度良くて美味しい。
目玉焼きに醤油をかけたら、同じだってすごく嬉しそう。
後片付けも結局彼がしてくれて、申し訳ない気持ちになる。
何となく分かってたけど、この人尽くすタイプなんだな。
あんまりこんな風に扱われたことがないから、正直ちょっと戸惑ってしまう。
勘違いしないようにしなきゃね。
だって全ては、美弥子さんを思っての行動なんだから。
*************
空が暗くなり始めて時計を見ると、もう終業時間だった。
今日はこのまま帰れそうだな。
「晩ご飯、何がいいんだろう。」
誰かに料理を作るの久しぶりだし、そういえば好みも聞いてなかった。
…連絡して聞いてみようか。
「晩ご飯食べたいものありますか?後、嫌いな物ありますか?…っと。送信。」
帰り支度をしていると、すぐに返信が来た。
『もう仕事終わったの?僕も終わったから、迎えに行くよ。一緒に買い物に行こう。』
あ、そうなんだ。
買い物しながら決めてもらった方が早いかな。
『分かりました。今日下ろしてもらった所で待ってます。』
メッセージを送ってから時計を見る。
ここから彼の会社は車で15分かからないぐらいって言ってたし、のんびり準備して行けば丁度いいぐらいかな。
そう思っていたのに、会社を出たらすでに彼の車が到着していた。
「え、何で?」
のんびりし過ぎた?
慌てて近づくと、降りてきて笑顔で出迎えてくれる。
「ごめんなさい!待たせてしまって。」
「大丈夫だよ。今着いたとこだから。お疲れ様。」
「あ…純也さん、も…お疲れ様です。」
「ありがとう。…お互いにお疲れ様って言うの、美弥子とは無かったからちょっと新鮮だな。」
そっか。昔は女性が働きに出ている事は少なかったもんね。
「さてと、買い物して帰ろうか。」
促すように、助手席のドアを開けてくれる。
私が乗り込むと静かにドアを閉めてくれる辺り、紳士だなと思う。
基本的に、優しいし紳士的なんだよね、今の所。
「ところで、本当に晩ご飯作ってもらっちゃっていいの?疲れてない?」
「大丈夫です。そんなに疲れても無いですし。」
「そっか。楽しみだな~。何作ってもらおう。」
ニコニコと鼻歌混じりで運転する姿が子供っぽくて、思わず笑ってしまった。
帰り道にあるスーパーに寄って、カートを押しながら2人で店内を回る。
寒くなってきたこともあり、お鍋やシチューの材料が特売になっていた。
「食べたいもの決まりました?」
「う~ん…あ、じゃがいもが安い。そうだ。肉じゃが!肉じゃががいい!」
「肉じゃがですね。じゃあ、じゃがいもと人参と…」
「玉ねぎは家に余ってるから、それを使ったらいいよ。」
「分かりました。後はお肉ですね。豚肉派ですか?牛肉派ですか?」
「どっちだと思う?思い出して。」
「え…」
肉じゃがって、そんなに昔からあるのかな?
そもそも牛肉って昔から一般的なの?
かと言って豚肉が一般的だったのかなんて、分からないけど…
「…牛肉、ですか?」
私の答えに、彼の顔がパァァっと明るくなった。
どうやら当たっていたらしい。
「勘だとしても嬉しいよ!」
…ああ、やってしまった。
彼に期待をさせないようにしなきゃいけないのに。
でもまあ、本当に勘だったし仕方がない。
「じゃあ牛肉で作りますね。肉じゃが以外は何が食べたいですか?」
「後はお任せするよ。」
「それじゃあ…」
お味噌汁とほうれん草の和え物と…
あ、卵焼きも付けよう。
無事に全ての材料を揃えてレジでお財布を出そうとすると、手で制されてしまった。
「お金は僕が出すよ。」
「え、でも…」
「僕の我が儘で一緒に居てもらってるんだから。お金は全部僕が出す。」
そう言うと、ササっと会計を済ませた彼は、すでに袋に詰め始めている。
慌てて私も手伝って、買い物袋を持とうとすると、スッと全部取られてしまった。
「重いから僕が持つよ。」
「ダメですよ。お金も出してもらったのに…せめて一つぐらいは持たせてください。」
「君にこんなに重い物は持たせられません。いいから早く行こ。もうお腹ペコペコなんだ。」
そんなに重くないはずなのに。
結局全部彼が持ったまま、スタスタと歩いて行ってしまう。
店を出ると、外は既に真っ暗でかなり風も冷たくなっていた。
「わあ。寒いね。」
その言葉に彼を見ると、スーツだけで何も防寒具を身に着けていなかった。
寒さに首を竦める姿を見て、自分のマフラーを外して彼の首にそれを巻いてあげる。
「え…」
「車まで少し距離があるので。私が使っている物で申し訳ないですけど…移動する間だけでも使ってください。」
「いいの?寒くない?」
「私はコート着ているので大丈夫です。」
「…ありがとう。うん、温かいな…。美弥子の匂いがする…。」
柔らかく笑いながらマフラーに顔を埋める彼を見て、なぜか胸の辺りが切なくなった。
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